2月9日のニッサンの2019年モータースポーツ活動計画発表会で、電撃的に発表された本山哲のスーパーGT500クラスからの引退。フォーミュラ、そしてGTと国内最高峰カテゴリーで数々のタイトルを獲得してきた本山は、どのような心境の変化で今回の決定を導くに至ったのか。新しくニッサン系チームエグゼクティブアドバイザーとしての役割、そして今も変わらぬレースへの情熱とドライビングへのこだわり……本山哲が今の気持ちを語った。
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GT500引退セレモニー 本山哲 挨拶全文「すべての人々に感謝しています」
──今シーズン、スーパーGTのGT500クラスに乗らないという決断はいつしたのですか?
昨年のシーズン後半、どこかの段階でそれもありかなと思った。でも子どもの頃から純粋に速く走りたい、勝ちたいと思ってレースをしてきて、自分としてはそれが得意で、一生懸命やってきた。20年以上GT500に乗ってきて、我ながらよく飽きないなと思う反面、どんなレースもいつも要素が違うし、3位であれば1位になりたいと思うし、いろんなクルマのセッティングを考えたりとか、タイヤを選んだり、そういうことをするのがやっぱり好きなんだなと思った。
──だからこそ、現役続行の気持ちもあるわけですね。
うん。でも自分のなかで変わってきたなと思うのは、昔はとにかく、一番でなければいけない。絶対に勝ちたい。一番だったとしても圧倒的に一番でなければいけない、僅差で一番だったら自分のなかでは負けだという意識でレースをずっとしてきたのが、ここ数年のなかでいえば3位に入りたいなとか、そういう感覚に変わっているのかなともうすうす感じていた。
スーパーGTだからウエイトハンデとか、タイヤとか、その年によってメーカーごとのクルマの調子があったり、いろんな要素があって、もともと自分のなかでもっていた優勝を基準とすることが、ここ数年のレースでできなくなっていた。
だからある意味、ニスモの赤いクルマから降りてモーラに行ってからのほうが、むしろ純粋にレースをしてきたかなとも思う。ニスモにいたときには絶対に勝たなければいけないと自分のなかで感じていたけども、逆にモーラに行ってからの数年間はレースすることを楽しく感じていた。それまでカート時代から含めてレースが楽しいと感じることは正直一度もなかった。勝つことが義務であるし、速く走らなければいけない、一番でなければいけないとね。実際は、クルマとかタイヤとか、いろいろなシチュエーションでいつも一番はあり得ないんだけれど、その状況のなかでも一番すごいパフォーマンスを常に出していなければいけない。それは非常に苦しいことでもあった。
──ニスモからモーラに移籍してからレースが楽しくなったとはどういうことですか?
義務が減って、ある意味で気楽で純粋にドライビングに集中できた。だからニスモの最後の数年間よりも、モーラの数年間のほうが速さとしてはあったと思う。
──つまりパフォーマンスに限界を感じて降りるのではないのですね。
それはない。レース後に疲れてどうしようもないということも皆無だし、スピードに対する部分でも、少しも落ちているとは思わない。実際に去年とか一昨年とか、半分遊びでスーパーフォーミュラに乗ったことがあったけど、逆にGTよりスーパーフォーミュラのクルマのほうが感覚に合うと感じた。そこはある意味、自分のなかの感覚をたしかめたいというのもあって乗った。
──スーパーフォーミュラが合うというのは、操縦性がよりダイレクトだからですか?
よりレベルの高いクルマのほうが合うということ。
──それでも立場を変える決断をしたということですね。
実際、何年も前からいつやめようかなと考えていた。5~6年前には、いつやめてもいいという気持ちもあった。
──それは充分なリザルトを残せたからですか?
やっぱり、最後はいいリザルト、優勝とか、表彰台とかチャンピオン争いとか、そういうなかで「今シーズンで終わりにします」と言いたい気持ちもあったし、自分の性格だとそうなったらなったで、やめる気にならないかなとかね……。常に葛藤していた。プロのレーシングドライバーとしては、ファンやスポンサーやチームから走ってほしいという思いを受けて走るものだし、それがある限り走ることが必要。それにモチベーションもあって、自分のパフォーマンスもずっと落ちない。そうするといつまで続ければいいのか、星野(一義)さんなんか54、55歳まで走っていて、俺もやればできるなとは思ったけど、1回、自分の立ち位置を変えてみるのはいいかなと考えた。
■エグゼクティブアドバイザーとしての役割とニッサンGT-R陣営に必要なもの
──選手/ドライバーからチーム組織へのマネジメントへの切り替えは自分のなかでついていますか?
ポジションが変わることについては、チーム・モトヤマという全日本のカートチームをずっとやってきて、そこのなかから松下(信治)なり、何人か上に上がっていったりとか、そういった活動をしていたのもあるし、ここ数年縁があって全日本F3とかスーパーフォーミュラの監督などいろんな役割をするなかで、そういったことをするのも自分としては嫌いじゃないし、けっこう得意分野かな、とも思っている。
──自分が培ってきたものを次の世代に渡していく。
うん。ドライバーに対してだけでなく、チーム全体の仕事になるけども、そういったところにも貢献はできるんじゃないかな。正直、ここ数年、ニッサンのGT500クラスがちょっと低迷気味なのもあって、そこをなんとかしたいと思っていた。自分が走っていると、ドライバーという立場からは意外と全体に対して意見ができない。会社としても対ドライバーだと会話も変わってくるだろうし。
──エグゼクティブアドバイザーとして、クルマを速くするために積極的に働いていくということですね?
ニッサンとしては初めてのポジション、役割というところで、実際、試行錯誤しながら進んでいくところだけれど、客観的に全体を見て、具体的に現場でアドバイスするというよりも、次のレースに対する改善点を見つけたり、半年後、一年後に全体レベルが上がっていくような、そういう部分に貢献していきたい。
──去年までのドライバー視点で、いまGT‐Rに足りないものは何だと思いますか?
単純にクルマのパフォーマンスが足りないというのは正直なところ。具体的にどうとはここでは挙げないけれど、ただニッサンが強かったときはもちろんあるし、ライバルがいて、お互い切磋琢磨して、開発競争して抜かれては抜き返してと繰り返してきた。そのなかでここ数年は苦しい。厳しいところではあるけど、そこを少しでも頑張って追いついて、追い抜いて、ニッサン・ファンがレースを観て楽しく、結果に対しても喜んでもらえるような状況に戻したい。
──高校時代からプロのレーシングドライバーとしてレースをしてきて、その軸が生活からなくなってしまうことについてはどう考えていますか?
走ること、レースをすることは好きなので、何かしらしたいと思っていて、スーパー耐久かもしれないし、カートかもしれないし、あとGT3のクルマでいろいろ幅広くいろんなレースをやっているから、鈴鹿10時間にしても、他のビッグレースでもいろいろ機会があればチャレンジしていきたい。
──あくまでGT500限定での引退ということですね。
とりあえず、そのくくりにしてもらった。GT500に復帰するのもアリだと自分のなかでは思っているし(笑)。
──では、やはり引退ではない?
引退しても復帰するなら、復帰セレモニーをすればいい(笑)。プロレスの大仁田厚も8回引退したしね。亀田興毅も引退試合の終わりで引退撤回したもんね。
──やはり他のアスリートの引退は気にするものですか?
やっぱり気にするよね。(フェルナンド)アロンソもやめると言いながらすぐ乗るしね。
──あらためてGT500もどんどん速くなっていますが体力的な厳しさは本当にないですか?
体力的には一切ない。もちろん速いけど、まわりがイメージを作っているほど大変なものじゃないというのが現実。フォーミュラはGTの2倍、いや、3倍疲れるクルマで、2倍の時間乗る。そのクルマに乗れる体力が自分のなかで基準。だから通常の300kmのGTレースだったらひとりでも余裕で走れる。300km走ったとしても、自分の体力の基準からしたら半分しか使わない。走っているときに力んでいないというのも、もちろんある。そこも才能だと思うし、2輪の原田哲也や亡くなった加藤大治郎もそうだったけど、単純な体力で測れないところがある。古い話だと、星野さんもそう。ずっと近くで見ているけれど、あの人が暑いとか疲れたとか言ったのを聞いたことがない。星野さんの思考回路にそのふたつは入っていない。昔のクルマはいまより暑かったし、フォーミュラのハンドルも重かったからね。
■スーパーGT500クラス復帰、そしてGT300クラス参戦の可能性
──フォーミュラ・ニッポン全盛時代より体力が落ちていたとしてもスーパーGTでは問題ないと。
スーパーフォーミュラのドライバーに聞けば分かるけど、片手で運転できるレベルだよ。
──となると、来年GT500か、GT300に乗っている可能性もある?
走りたい気持ちはもちろんある。
──GT300というのは本山さんとしてアリですか?
ありだね。そこにこだわりはない。
──ひとまずGT500を降りて、ここまでの23年間で一番達成感があったのはいつですか? 3回タイトルを獲ったそのいずれかですか?
1999年も獲っているから実質4回なんだけど、エリック(コマス)にだまされた(笑)。(※編集部注:ル・マン24時間予備予選出場のためバッティングしたGT第2戦を休場)難しいなあ……。でもやはり2008年かな。GT‐R復活でデビューウインとチャンピオンが至上命題と言われて、それをきちんと達成できたというのはドライバーとして満足できるものではあったし、チームメイトのブノワ(トレルイエ)とともに走れたのはすごくよかった。とくにブノワとは日本に来てから、ずっとフォーミュラでチームメイトで、もともと才能ある速いドライバーではあったけど、半分くらいは教育したところもあったと思う。ブノワがあそこで一人前のドライバーになって、一緒にチャンピオンを獲れて、そのあと海外で認められて、海外の一線級のところに行ってもきちんと走っている。
──それまでのトレルイエ選手は速くても飛び出す、レースをまとめられない印象でした。
そうだね。チームメイトになったときもいくらやっても俺に勝てなかった。俺が速くて安定しているからね。俺がいたからチャレンジして向上しただろうし。速さとしてはあったから、好きにやらせておいて、「タイヤがダメになったらピット入ってきて。代わるから」というノリでレースをやっていた。それが最後のほうはタイヤマネジメントまでできるようになった。大したもんだなと思ったよ。
──その2008年にパルクフェルメで本山さんが泣くシーンを何度も見た気がします。それだけプレッシャーがあったということですか?
開幕2連勝してウエイトハンデと別にGT‐Rが速すぎるというのでウエイトを積まれて、3戦目の富士は195kgだった。そのときは予選で14番手のクルマの2秒落ち。苦しい時期を過ごしてとにかく勝つのが大変だった。勝つためにはドライバーだけでなく、いっぱいいるスタッフ全員が頑張らないとレースには勝てない。カートだったらメカニックひとりとドライバーひとりが頑張ればいいけど、スーパーGTだとそうはいかない。
──チームスタッフにも厳しい要求をすれば、ドライバーとして結果を求める自分へのプレッシャーも大きくなるということですか?
まあそうだね。自分のなかで勝つことが基準。チャンピオンも別に気にしてなかったし、2位で悪くなかったというのは自分の感覚のなかではなかった。1位だけで、2位になったら負け。古いタイプかもしれないし、スーパーGTはウエイトハンデとかいろいろな要素があるから、続けるのは難しいんだけどね……。
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もう一度、プレッシャーのかかる「楽しくないつらい状況」で勝負してケジメをつけたかったというのが本山の本音だろう。その姿を見届けたかったファンも少なくないはずだ。自動車という複雑な道具を使うモータースポーツにおける、巡りあわせの難しさを感じずにはいられない。それでも、ひとまず今年のスーパーGTにおいて、GT‐R復活にどのように本山が貢献していくのか注目していきたい。
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