1932年7月9日のスパ・フランコルシャン24時間で初めて、フェラーリを象徴する「Prancing Horse(跳ね馬)」エンブレムがマシンに付けられた。
跳ね馬の誕生から90年という節目を記念し、フェラーリはレッドブルリンクで行なわれるF1オーストリアGPの土曜日から、シャルル・ルクレールとカルロス・サインツJr.の両マシンのサイドポンツーン手前に初期の跳ね馬エンブレムのステッカーを貼っている。
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また記念行事の一環として、オーストリアGPと同週末にイタリア・モンツァで行なわれている世界耐久選手権(WEC)を戦うフェラーリ『488 GTE』の跳ね馬エンブレムもオリジナルに変更されている。
その跳ね馬のエンブレムは初期から現在にかけて劇的に変化している訳ではないが、若干の差異がある。
当時のエンブレムでは、馬のデザインが控えめで、スクーデリア・フェラーリを表すSとFの頭文字も小さく、その間隔も空けられている。
フェラーリを象徴する跳ね馬は、元々第一次世界大戦のイタリア空軍のエースパイロットである”撃墜王”フランチェスコ・バラッカが、パーソナルマークとして機体に載せていたエンブレムが由来。バラッカの家族がフェラーリ創設者のエンツォ・フェラーリに、レーシングカーの幸運の証として使うよう提案したのが始まりだ。
後にフェラーリを象徴するエンブレムとなる跳ね馬のアイデアを思いついた時のきっかけについてエンツォ・フェラーリはこう綴っている。
「バラッカの両親との出会いは全くの偶然だった」
「1923年にラヴェンナのサビオサーキットで初めて(F1で)優勝した時、私は空飛ぶヒーローの両親であるエンリコ・バラッカ伯爵とパオリナ伯爵夫人に出会った」
「ある日、伯爵夫人が私に言った。『フェラーリ、あなたのクルマに私の息子の跳ね馬を載せてみたら?』と」
「馬は昔も今も黒だが、私はモデナ市の色であるカナリアイエローを背景色に加えた」
フェラーリの本拠地があるマラネロはモデナ県の中にある。モデナの県章はイエローで、フェラーリのコーポレートカラーもそれに従っている。
バラッカの跳ね馬とモデナのイエロー、そしてエンブレム上部には緑・白・赤とイタリア国旗のトリコローレが入れられている。
跳ね馬が初めてマシンに載せられた1932年のスパ24時間では、当時アルファロメオ傘下のスクーデリア・フェラーリがアルファロメオ『8C 2300MM』を走らせ、アントニオ・ブリビオ&エウジェニオ・シエナ組とピエロ・タルッフィ&グイド・ディポリト組が1−2フィニッシュを遂げた。
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