大鶴義丹 × SUZUKI GSX1100S カタナ
【大鶴義丹・54歳、迷走の果て Vol.2】フロント19インチ、アンチノーズダイブ……旧車の時代感を楽しく乗る
俳優・大鶴義丹さんがスズキGSX-1100Sカタナを入手。最近はビッグアドベンチャーでハードなオフロード遊びがメインだったが、そこに空冷カタナを買い足す理由とは? その顛末をミリオーレwebで連載開始。
●文:大鶴義丹
大鶴義丹(おおつる・ぎたん)/1968年4月24日生まれ。俳優、作家、映画監督など幅広いジャンルで活躍。バイクは10代の頃からモトクロスに没頭。その後、ハヤブサやGSX-Rシリーズでカスタム&サーキット走行も楽しみ、最近はハードなオフロード遊びがメイン。2012年に公開された映画「キリン」では脚本監督を手がけた。映画「キリン」から10年が経過し、スズキGSX1100Sカタナを入手した。
ブログ 大鶴義丹 不思議の日々
YouTube公式チャンネル 大鶴義丹の他力本願
「カタナという原風景」
この春にカタナを買った。言うまでもなく新しい水冷カタナではない、空冷GSX1100S、1990年式のアニバーサリーと呼ばれるモデルだ。縁あって我が家に来ることになったこのマシン、幾つかの部分をカスタムされてはいるが、基本ノーマルという極上モノである。
千葉のスズキ系有名店、テクニカルガレージRUNで、前オーナーが長い期間フルメンテを委託していたもので、同店を介して私が新たなオーナーとなった。タイミングとしても、この手の絶版大型空冷バイクは高騰を続けているので、今を逃したら次はないと決断した。
―― 最近のハード林道遊びの相棒はスズキ Vストローム1050XT。詳細はYouTubeで。
空冷カタナの原風景というものを考えると、80年代の青春を過ごした世代としてはどうしても「バリ伝・ヒデヨシ」と「あいララ・首都高キング」の2台に戻ってしまう。奇しくもその2台はナナハンなのだが、当時の社会背景では、1100は存在自体が非現実的であったから仕方がないだろう。
「あのカタチがあらわすもの」
空冷カタナの本当の魅力や意味に気がつき、実際に所有するまでには、漫画誌面での出会いから、40年近い時間がかかった。そして現在、私の空冷カタナは完全室内保管という甘やかしぶりだ。
一階の客間の隅に現代アートのように鎮座している。我が家を訪れた客人は一様にその迫力に言葉を失う。乗る以上に見るだけで人をそこまでひきつけるバイクというのも珍しいだろう。また、外からそこに出し入れするための特殊な「家具」も自作した。
―― 千葉のテクニカルガレージRUNで定期的にメンテナンスされてきた個体を入手。普段は我が家のリビングで保管する溺愛っぷり。
そもそも空冷カタナというバイク、その中身は「牛・ベコ」とも揶揄されたGSX1100Eであるのは言うまでもない。1980年当時は世界最速を謳ったほどのスーパーマシンであるが、何ともデザインが「愚直」過ぎて、その時代に色々と心無い言葉を言われたらしい。実際に、開発責任者の横内二輪設計次長はその当時の状況を、スズキは大型バイクの歴史がまだ浅く、マシンの性能に一生懸命過ぎで「外観までは手が回らなかった」と語っている。何とも涙の出る昭和スズキ列伝だ。
次回は「あのエンジンと19インチの味」
50代半ばになって、やっと理解できた、空冷カタナの乗り味と性能について書かせていただきます。
―― マフラーはケイファクトリー製のチタンフルエキゾーストが装着されている。ブレーキはブレンボ製キャリパーにサンスター製ディスクの組み合わせ。 [写真タップで拡大]
―― GSX1100S KATANA 1980年にドイツで開催されたケルンショーで試作車を発表。ドイツ人デザイナーのハンス・ムートが日本刀をイメージしてデザイン。1991年に輸出仕様車として販売。日本では排気量上限の自主規制値が750ccだったため、1982年からGSX750Sカタナを販売。しかしカウリングとセパレートハンドルは違法との認識だった時代で、巨大なアップハンドルを採用。当然、ハンドル交換するユーザーが後をたたず、警察もGSX750Sカタナをマークし、それは「カタナ狩り」と呼ばれた。その後、規制が緩和し1994年からは日本でもGSX1100Sカタナの販売を開始。2000年に生産終了した。
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聖秀吉を思い出す。