F1には、”スーパーサブ”ドライバーの様々な歴史がある。つまり、代役参戦ながら大活躍し、F1でのキャリアを切り開いていったのだ。
ミハエル・シューマッハーも、それを達成したひとりである。彼はベルトラン・ガショーが傷害事件を起こして逮捕された際、1991年のベルギーGPで代役としてジョーダンのマシンを走らせた。またセバスチャン・ベッテルのデビューも、2007年のカナダGPで大クラッシュを喫したロバート・クビサの代役として、次戦アメリカGPでBMWザウバーのステアリングを握ったモノだった。
■スーパーフォーミュラで2勝、バンドーンF1へ旅立ち「SFは僕にとって、とても良い経験になった」
しかし、最近のF1では、スーパーサブの例がほとんどない。2018年と2019年は、20人のドライバー全員が全てのレースに参戦することになった。
2017年には、何度かドライバーの変更があった。怪我、出走レースの重複、ドライバーズマーケットに関係するモノ……などで、アントニオ・ジョビナッツィ、ピエール・ガスリー、ブレンドン・ハートレー、ジェンソン・バトン、ポール・ディ・レスタらが代役を務めた。しかしそのいずれも、12位以上でフィニッシュすることはなかった。
代役として素晴らしい活躍を披露した例としては、その1年前のバーレーンGPまで遡らなければならない。それは、ストフェル・バンドーンである。
バンドーンは何年にもわたって、F1シート獲得に近いところにいた。2013年にはフォーミュラ・ルノー3.5でケビン・マグヌッセンに次ぐランキング2位となった。翌年からはGP2に挑み、その初戦で優勝したものの、結局はランキング2位に終わっている。
ただ当時のマクラーレンのレーシング・ディレクターであったエリック・ブーリエは、タイトルを獲得することを熱望。バンドーンはそれに応え、2015年シーズンには7勝を含めた記録的なポイントを獲得し、圧倒的な強さでチャンピオンに輝いた。
しかし当時のマクラーレンは、フェルナンド・アロンソとジェンソン・バトンという、F1チャンピオン経験者のコンビ。バンドーンが入り込む隙間はなかった。そのためバンドーンは、活躍の場を日本に求め、スーパーフォーミュラに参戦することになった。
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