1960~1970年代にトヨタ自動車ワークスチーム『チーム・トヨタ』のキャプテンドライバーとして活躍し、名車『2000GT』や『トヨタ7』の開発に携わった細谷四方洋(ほそや しほみ)さんが亡くなったことが1月30日に行われたレジェンドレーシングドライバーズクラブの総会で報告された。85歳だった。
1938年に広島県で生まれた細谷さんは、1964年から当時のトヨタ自動車工業とドライバー契約を結び、名車であるトヨタ2000GTの開発に携わる。
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また細谷さんはプロレーシングドライバーとしても活躍し、1965年のKSCCオール関西でコロナ1600Sをドライブして優勝を飾る。また、翌1966年の鈴鹿500kmをトヨタスポーツ800で制すと、ワークスであるチーム・トヨタ発足の際にキャプテンに就任する。
その後もトヨタワークスドライバーとして、1967年4月の富士24時間と7月の富士1000kmを大坪善男さんとトヨタ2000GTで制した細谷さんは、翌1968年にトヨタ初の本格レーシングカーであるトヨタ7のドライバーを務め、全日本鈴鹿自動車と鈴鹿12時間レースで優勝を飾った。
1973年に現役を引退した細谷さんは、トヨタ自動車で新車開発アドバイザーやテストドライバーの養成などに携わり、1998年に退職。その後も自動車関連の講義など広く活動を行い、2023年には運転免許証を自主返納したことが話題となっていた。
なお、葬儀などは近親者のみで行われ、1月30日に開催されたレジェンドレーシングドライバーズクラブのニューイヤーパーティーでは逝去のお知らせとともに黙祷が捧げられた。名ドライバーの逝去に、心から哀悼の意を表します。
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