今でも時折街中で見かけるターコイズブルーのトレーナー。背には黒い文字でLEYTON HOUSEと描かれている。1980~90年代に国内外のモータースポーツ界で一世を風靡したレーシングチーム、LEYTON HOUSEの名残だ。
そのLEYTON HOUSEを設立したのが赤城明氏。本業の不動産業での収益をレースに注ぎ込んだ。モータースポーツへの関与は1984年の萩原光への支援がきっかけ。ツーリングカーレースや富士GCレースに参戦し、86年に萩原がテスト中の事故で亡くなってからも活動は継続、国内レース界での存在感を高めていった。LEYTON HOUSEのクルマでレースを戦ったのは故・萩原を初め、関谷正徳、星野一義、岡田英樹、影山正彦……など。トップドライバーの名前がずらりと並ぶ。
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赤城の野望は日本国内に留まらず、世界、それも最高峰のF1グランプリに向けられた。1987年にはレース活動を再開したマーチ・エンジニアリングを全面的に支援。イワン・カペリ、マウリシオ・グージェルミンの2人のドライバーを抱えてF1グランプリに打って出た。89年にはマーチを買収、正式にコンストラクター”LEYTON HOUSE Racing”としてレースに参加した。
ハイライトは1990年のフランスGP。カペリとグージェルミンは予選7番手、8番手からスタートし、レースのほとんどをリードする快走振りを見せた。残念ながらグージェルミンはリタイアしたが、カペリはゴールまで3周を残してフェラーリのアラン・プロストに抜かれ、無念の2位に甘んじた。自動車メーカー系のチームが力を発揮するF1グランプリで、プライベートチームでも優勝に王手をかけられる希望を見せつけた。その時のクルマを設計したのが、F1界随一の才能といわれる天才デザイナ−、エイドリアン・ニューエイだった。
順風満帆に見えた赤城のレース活動だったが、1991年、赤城は富士銀行赤坂支店の不正融資問題に絡んで逮捕された。多額のレース活動経費の融資を不正に受けたと言われ、10年間服役をした。服役を終えてからは投資会社を興してビジネス展開をしていたが、8月8日に急逝した。享年73歳。
豪快な事業展開をするビジネスマンだったが、モータースポーツ界に限らず、国籍も人種も民族も越えて多くの人に慕われた。ご冥福をお祈りします。
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