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【山本尚貴インタビュー/前編】「やっぱり目の前が真っ暗になった」。壮絶クラッシュの記憶と2か月の入院生活

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【山本尚貴インタビュー/前編】「やっぱり目の前が真っ暗になった」。壮絶クラッシュの記憶と2か月の入院生活

 大クラッシュでサーキットが沈黙に包まれた2023年9月のスーパーGT第6戦SUGO。他車からの接触によるクラッシュによる怪我で2023年シーズンを終えることになった山本尚貴が完全復活に向けて2024年を迎えた。今季初めて公の場に姿を現した東京オートサロン2024年の会場で、現在のリハビリ状況、SUGOでの事故のこと、そして2か月に及んだ入院生活について聞いた。

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⎯⎯東京オートサロン2024のチームクニミツブースでのトークショーでもチームメイトの牧野任祐選手と冗談を言い合うなど(最近カメラが趣味の牧野に、マレーシアでのGTテストではカメラマンとしてリストアップされているなど軽快なトークを披露)、元気な姿が見られました。そこでも体調は『大丈夫』と話していましたが、現在はどのような状況なのでしょうか。
「体は大丈夫ですよ」

「でも、大丈夫ですよと言っていますが、レーシングドライバーとしては走ってみて速く走れないときちんとした復活にはならないし、どこかを庇いながら走るようなことになったら、その時は考えなければとは思っています。正直、まだレーシングカーには乗れていないので、不安はあります。『風邪をひいて治りかけです』とは違って、現役の選手が自分の体にメスを入れているのは当然、喜ばしいことではないですし、現実的に考えると今までより身体が強くなるというのは難しくなるので不安はあります」

⎯⎯当然、不安はありますよね。それでもリハビリが順調に進んでいると聞きました。
「首を手術したので首周りの筋膜を一度切って剥がしているので、首本来の動きができなくなったので、それをまずはリハビリで戻すというところからスタートして、徐々に本来の動きに近づいてきています。それに合わせて負荷をかけたトレーニングをし始めました。今はリハビリというよりも、トレーニングと言っていい段階に移行し始めたかなという状態です。トレーニングは12月の半ばくらいから始めました」

⎯⎯約2か月の入院生活。やはり首の筋肉、筋力はかなり落ちてしまったのでしょうね。
「落ちなかったら、逆に今までのトレーニングはなんだったんだっていう話になっちゃう(苦笑)。筋力としてはやはり、かなり落ちました。リハビリ直後は本当に首の筋力がなくて、『これはマズいな』と思ったのですけど、トレーニングを重ねていくと、どんどん筋力が戻ってくる感覚が思っていたよりも早かった。それは嬉しい誤算でしたね」

⎯⎯その回復の早さ、そして最後に首を守った首の筋力も含めて、普段から首のトレーニングを欠かさず続けていたおかげという部分も大きいのでしょうね(2013年から山本は森永製菓inトレーニングラボにて首周りを中心に専門的なトレーニングを受けている)
「そうですね。公にはクラッシュの映像は止まったところしかないですし、アクシデント自体の身体へのインパクトは結構、強くて(ガードレールにぶつかって跳ね上がって空中で一回転して)着地した場所が芝生やダートの上だったらまだよかったのですが、着地した場所がアスファルトの上だったので大きな衝撃を受けてしまいました。そこでまず、自分の手足が動かなくなってしまいました」

⎯⎯クラッシュの瞬間、その後と全部覚えているのですね。
「はい。首から下の感覚がゼロになってなくなってしまって、『これはヤバいな』と。ちょっと最悪なことも覚悟したのですけど、その間ずっと意識はあったので全部覚えています。意識があるのに最初は手足の感覚がなくて、手足が取れてしまったのかと思いました。でも、『手足が取れたら痛いはずだよな。でも痛みを感じない』と。首の痛みだけは感じていましたが、手足の痛みは感じませんでした」

「そしてドクター、レスキューの方たちが助けに来てくれて話をしている間に、ちょっとずつ手足の感覚が戻ってきてくれたのを感じました。その状態をあとで主治医の先生に聞いたら、神経が一瞬、気絶したような状態だったようです。損傷してそのまま動かなくなる可能性も大いにあったようですが、今回は運良く気絶で済んで、その後、神経が戻ってくれたから不幸中の幸いだったと言われました。その話を聞いた時はさすがに怖かったですね」

⎯⎯同じ現場にいた身として、ちょっと生々しくて言葉が出ません……。
「あとはあのクラッシュで火が出なかったことも良かったことですね。あの状態で出火してしまっていたら、『クルマからすぐ降りないと』と頭では思っていても、手足が動かないから降りたくても降りられなかった。無線を使いたくても使えなかった。自分の意識があることをいち早く伝えたかったですし、クルマを壊してレースもリタイアしてしまったので、申し訳ないという気持ちをチームに伝えたかったのですけど、手と腕が動かなかったので無線のボタンをすぐに押せませんでした」

⎯⎯去年のあのSUGOのクラッシュは山本選手にとって人生最大のクラッシュですよね。
「過去にクラッシュは何度もしてきちゃいましたけど、救出が必要なクラッシュは初めてでしたね」

⎯⎯その後、ドクターヘリに乗ったことも初めて?
「初めてでしたね。まさか自分の人生でドクターヘリに乗ることなんてないと思っていたので。ドクターやレスキューの方にお世話にならずに、大きな怪我をせずに現役を終えられればそれが一番幸せなことだったのかもしれないですけど、今まで幸いそういうことがなかった。逆に自分でこういう大きな事故を経験したことで、安全面やレスキューのことで気が付くことがたくさんありました」

「今回の経験を踏まえて、いつ何時、万が一のことがあってもやっぱりレースが安全に行われる、僕たちが安全に戦えるように、さらに良い環境にしていける部分は大いに感じました。事故が起きなければ良かった部分はありますが、その反面、気付けて良かった部分もあったので、今回のクラッシュを無駄にしたくないと思う気持ちはすごくありますね」

⎯⎯それから仙台市内の病院で最初の検査を受けて、その後、レーシングドライバーの治療に実績のある病院で精密検査を受けることになったわけですね。
「最初にドクターヘリで運ばれた搬送先の病院では外傷がないということですぐに病院を出ても大丈夫という判断だったのですけど、自分としては身に覚えがない強い痛みがあって、このまま普通に戻って大丈夫なのかなという違和感が正直、ありました」

「その段階ではその2週間後にオートポリスのレースもあってドクターストップが出ていない状況だったので、そのまま安静にしてレース直前にトレーニングを開始すればオートポリスには間に合うかなと思っていたのですが、首の強い痛みでその晩は一睡もできなくて、翌日になっても痛みが引かなかった。そこでGTAのドクターの方に相談したら、もう一度精密検査を受けた方がいいとのことで、すぐに別の(専門の)総合病院に精密検査を受けに行ったら、あまり状況が良くないということを伝えられました」

「痛みの強さから、ある程度の覚悟はしていたのですけど、やはり言葉として先生から聞くと正直、ドーンと(精神的に)くるものがありましたし、レースを続けたいのであれば手術が必要だと。首の手術となると1週間や2週間で復帰できるものではないことは僕もわかっていました。今季の復帰は絶望ですというのも言われましたし、同時に手術をすればレースを続けられる可能性はより高まるとも言われたので、だったら中途半端に年内の復帰を粘るのではなく、今年(2023年)は諦めて来年(2024年)の早い段階で戻りたいなと。そこからチーム、ホンダにも了承を得て、すぐに手術をする決断をしました」

⎯⎯『外傷性環軸椎亜脱臼』及び『中心性脊髄損傷』との診断ですが、『外傷性環軸椎亜脱臼』は手術をした場合、他のスポーツカテゴリーでは引退勧告に該当すると聞きました。現役復帰には手術をせずに自然回復させるしかなかった。
「ええ。それを先生から言われた時が精神的には一番キツかったですね。それは『今シーズンが絶望』ということではなく、選手生命に関わることだったので、『ああ、ついにここまで来てしまったか』と。病室でずっと首を固定した状態で言われたのですけど、さすがに、その時は精神的に落ちるものがありましたね。それでもやはり、レースを続けたいという意志が強かったので、そこに関する手術はできる限り避けたくて、外傷性環軸椎亜脱臼の治療方針に関してはかなり慎重に先生とも協議を重ねながら何度も細かく検査をして経過を追っていました。受傷後、1か月経った時に経過が良好だと分かった時にはかなりホッとしましたね」

⎯⎯その時の気持ちはお察しします。幸運にも自然治癒が進んでいい方向に向かっていたわけですね。その自然治癒を待っていた間、病室ではどのように過ごしていたのですか?
「約1か月、ずっと頸椎カラーをつけて絶対安静と言われていたのですけど、やっぱり復帰することしか考えていませんでした。筋力や体力が落ちてしまうのはしょうがないけど、落ち過ぎたところから戻すよりは、ちょっとでも維持したいなと思って、できる範囲で首を動かさないようにエアロバイクを漕いだりしていました。リハビリの先生たちにも協力してもらって、下半身のトレーニングではないですけど、自重で負荷をかけたり、身体が鈍らないように、筋力が落ちるスピードが極力鈍るような感じで協力してもらっていました。それに、これまでのセットアップやタイヤのこと、他の選手の車載映像を見ながらドライビングについてもできる範囲で研究していました」

⚫︎レース復帰を諦めなかった、病室での日々

⎯⎯その間、スーパーGTやスーパーフォーミュラ(SF)などのレースは見ていましたか?
「見ていましたし、GTもSFもどう進めて行くべきか、オンラインでのチームのミーティングに僕も参加していました。ただ、GTに関してはメインとしては牧野(任祐)選手が引っ張っていく役目だったので、彼に委ねるところが多くて、どちらかと言うとサポートという形の役回りですね。もちろん、急に『じゃああとは牧野選手よろしくお願いします』というわけにもいかないですから、比較的これまでと変わらないようなやり取りはさせてもらったつもりです。(代役の)木村(偉織)選手にも協力してもらって、残り2戦、助けてもらったので、彼のサポートではないですけど、僕の方からもいろいろ伝えさせてもらいました」

⎯⎯SFの方でも、代役で参戦した大津弘樹選手が『山本選手が包み隠さずアドバイスをくれた』と話していました。ドライバーとして、特にフォーミュラではシートを奪われるかもしれない相手に、どのような気持ちでサポートしていたのですか。
「大事なところは彼には隠していますよ(笑)。それは冗談ですけどまあ、そうですね……自分のノウハウを隠して、というのもひとつのスタイルだと思いますけど、自分が乗れないからこそ、自分がやりたいことを大津選手にやってもらって、それで何か新しいヒントが得られればチームの底上げにもなるし、翌年の自分のシートが確約されているものは何もなかったですけどで、自分が復帰したときには一段も二段も高いところからステップを踏めるので。僕が信頼している先輩方が当時、僕たちのような後輩にそういった姿勢で向き合ってくれたことを今度は立場が変わり僕がしたまでです」

「もちろん、そのまま大津選手が活躍することで2024年のシートが彼になって、自分が乗れない可能性もありましたけど、それはそれで。かわいい後輩のひとりですし、彼もSFのレギュラーシートがない中で自分の実力を発揮することによって他のチームからも声が掛かる可能性もありましたし、彼は嫌味がない素直な性格で純粋にレーシングドライバーとして速く走りたいという姿をこれまでも見てきたので、おせっかいながらも彼が次のチャンスを掴めるその一端を担えるのであればと。もちろん、自分が一番速く走りたいのはレーシングドライバーなら誰もが思っていることですけど、シートを決めるのは最後はチームですから。そこで自分の枠がなければ、その時は身を引くだけだというのは今も変わらず思っています」

⎯⎯山本選手らしい考え方ですね。『外傷性環軸椎亜脱臼』の自然治癒も進み、その後、無事に『中心性脊髄損傷』の手術も行えて、そこから退院の目処はどのように見えてきたのですか?
「手術後は一般の方よりは慎重に診てもらった時期があって少し長めに3週間ほど入院していました。お陰様で後遺症のようなものも残らず、術後の経過も良好でしたので、リハビリ/トレーニングにもすぐに移行できました。病院で担当してくれた先生、リハビリの先生、看護師さんたち、森永製菓のトレーナーさんには本当に頭が上がりませんね。感謝しかありません」

⎯⎯11月半ばに退院して、自宅に戻ったときのSNS、そして掲載した写真(子供の「ぱぱおかえりなさい」「ぱぱいつもあそんでくれてありがとう」という手紙)がとても感動的でした。
「まあ、そうですね(苦笑)。本当に自分の人生で、そして現役中にこんなに長く病院で入院生活を送るなんて思ってもいなかったので、本当にまさかですよね。でも、そのまさかは人生の中では突然やってくる。身をもってそれを体感しましたし、家族にも迷惑をかけてしまいました。プロとして14年、スーパーGT、スーパーフォーミュラで戦わせてもらって、これまでひたむきに頑張ってきたからこそ、いったん離れたことで視野が広がった部分がありましたし、今まで気づくことができなかったことに対する価値観とかにも気づくことができたのかなと思うところはあります」

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⎯⎯その気づいた部分を、もう少し具体的に教えてもらえますか?
「今までレースができてあたり前とは言わないですけど、レースが人生の中心としてこれまでやってきたんですけど、自分の実力不足でレースに出られないということではなく、突然の怪我でレースに出られなくなることもあるのだなと。もちろん、そういうことがあることを頭で理解はいましたけど、実際にこうして自分の身に起こるとやっぱり、こんなに辛いものなんだなと」

「もしかしたらもうレースができないかもしれないと先生に言われると、本当に生きがいじゃないですけど、やっぱり目の前が真っ暗になっちゃいました。命は助かったけれども、レースができないと、ちょっとそれはキツいなと。半永久的にシートがある訳じゃないことは理解していますがまだまだレースで勝ちたいし、チャンピオンを獲りたいし、やり残したこともまだたくさんある。家族も養っていかないといけない。そう思うと、『じゃあ、ここで辞めよう』という訳にはいかない」

「なんとか復帰する手立てを連日先生と相談しながら、チームにも迷惑をかけながら模索していく中で、そこで復帰の目処が立ったということで、今はレースに戻ることができるかもしれないということが、本当にうれしいというか、心の底から良かったなと思っています。これまでの当たり前は当たり前じゃないんだというのを、レースを1回離れたことでより強く感じましたね」

⎯⎯それはさすがに……経験した人にしかわからない重さですね。
「残念ながら、レースで命を落とす人もたくさんいるし、レースで怪我をして選手生命が絶たれた人も、レースでなくても他のスポーツでも怪我で選手生命を絶たれた人もたくさんいると思います。でも自分が大怪我を負ってその立場に立たされるとは正直思っていなかったです。どこか自分の身体と現代のマシンを過信していたところがあったようにも思います。でも実際には違くて、人間の身体は思っているよりも繊細で脆かったです。それでも命が助かって、また復帰できるかもしれないのは本当に良かったなと思っています」

「ただ、本当の意味での自分の復活というのはやっぱり、『日常生活に戻れた』というのではないですし、ましてや『クルマに乗れたから良かったですね』でもない。怪我をする前と同じか、それ以上に速く走れなければ本当の意味での復活ではないですし、そこはやっぱりプロとしてしっかり自分の中で線引きをしないといけない。そのタイミングは近いうちに、テストという形で確認することになる日が来るかなと思っています」

「トレーニングは順調にできていますし、あとは痛みと後遺症がまったく気にならずにプロとしての仕事が遂行できれば、必要とされるところでこれからも乗り続けたいなと思っています。不安と期待が入り混じるオフシーズンですけど、今はもう、今まで以上に速く走れることを目標に頑張ろうと思っています」

⚫︎インタビュー後編
『復活への道筋と、宮田莉朋の挑戦、福住仁嶺と大湯都史樹の移籍で感じたこと』に続く

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

Profile:山本尚貴(やまもとなおき)
1988年7月11日生まれ/栃木県出身。カートで数々に実績を残して四輪にステップアップし、2010年から国内最高峰カテゴリーのスーパーフォーミュラ、スーパーGT500クラスに参戦。スーパーフォーミュラでは3度(2013、2018、2020)、スーパーGTでは2度(2018、2020)にチャンピオンに輝き、2018年、2020年と2度のダブルタイトルを獲得。2019年日本GPではトロロッソ(アルファタウリの前身)から金曜午前のフリー走行1回目(FP1)でF1デビューを果たし、鈴鹿を走行した。2018年に双子の女児が誕生、妻はテレビ東京アナウンサーの狩野恵里さん。








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