いすゞは製品を国際レベルに引き上げるために、車体デザインを手がけるイタリアのカロッツェリアのひとつである「ギア社」に新型のファミリーセダンのデザインを依頼した。これが小型車ベレットのメカニズムや生産設備を生かして誕生する1.6Lセダン「フローリアン」だ(企画は1965年2月にスタート)。このクルマは、いすゞ社内の開発コードでは「117」と呼ばれた。
その後、ギア社に移籍したカーデザインの巨匠ジョルジェット・ジウジアーロ氏の提案によって製作された、ファミリーセダンのシャシーをベースとした4人乗りのスポーツクーペの試作車を、1966年3月のジュネーブショーにギア社のブースで展示することになった。その名は「ギア-いすゞ117スポルト(Ghia-Isuzu 117 Sport)」。117という名前が初めて表に出たのはこのときだった。
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ギア-いすゞ117スポルトは、出品されるや、その美しさが一躍話題となり、同年7月にはイタリア国際自動車エレガンス・コンクールで名誉大賞を受賞してしまう。こうして、いすゞが総合自動車メーカーとして飛躍するためのシンボルカーという位置づけで量産化を決定。ベースはもちろん117のセダン(フローリアン)だった。
1966年秋に開催された第13回東京モーターショーでは、改良を加えた試作車を「117スポーツ」の名前で参考出品(イタリア語の「スポルト」を英語読みの「スポーツ」に変更している)。同時に本命だったファミリーセダンの試作車も、まだ名前が決まっていなかったこともあり「いすゞ117」という名前で公開された。
1967年秋にも「117スポーツ」としてモーターショーで展示されたが、1968年10月発表の市販モデルでは「117クーペ」という車名になった。当時、117(イチイチナナ)という数字の記号名をそのまま車名として使うケースは国産車ではきわめて異例だった。当初は固有の名前も検討されたというが、『モーターショーで公開され知名度が高まっていたこと。また当時ジェームス・ボンドの007シリーズが人気を集めており、117とオーバーラップして語呂も良かったこと』(ドライバー1975年1-20号)などの理由で、開発コードがそのまま車名になった。映画のタイトルが車名に影響を与えるとは、ちょっと意外なエピソードだ。
一方で、後半の「スポーツ」については「クーペ」に改められた。クーペは、馬車に端を発し、自動車では本来「2人乗りで2ドアの乗用車」を指す名前だが、4~5人乗りでも、後席から後ろにかけて緩やかに傾斜する形状を持つクルマを「クーペ」と呼ぶ。スポーツカーは純粋に走りを楽しむクルマとして居住性や快適性が多少犠牲になる場合もあるが、117クーペは実用性に配慮した高級4人乗りクーペを意図して造り上げた。そのため、最終的には”スポーツ”の名前を避けたようだ。記号名はそのまま使ったが、コンセプトにかかわる部分は見直したのだ。
(写真説明文章)
●1968年、117クーペ。全長4280mm✕全幅1600mm✕全高1320mm。エンジンは1.6L直4(120ps/14.5kgm)。価格172万円(117クーペ・4速MT)
●ギア-いすゞ117スポルトは1966年3月のジュネーブショーで披露。その美しさが称賛され商品化を決めた。このときは平仮名のいすゞマークが付いている
●ジウジアーロが日本のクルマとして選んだ唐獅子のシンボル。日本から持ち帰った風呂敷の柄にあった唐獅子をモチーフにデザインしたと言われている
●117クーペのものと思われるスケッチ。10分の1スケールで右上のサインから1965年製作であることがわかる。ジウジアーロがベルトーネからギア社に移籍してまもなく描かれたものだろうか
〈吉川雅幸著『車名博物館PART1』(八重洲出版)より〉
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みんなのコメント
1人は言わずもがなの『ジョルジェット・ジウジアーロ』。
ただ、氏の2次元のデザインを実車に落とし込むには相当な苦労があり、ましてそれをショーカーから量産化させるには、当時の日本の自動車製造技術力(及び当時のいすゞの経営状態)からは困難を極めたという。
そこに現れたもう1人のイタリア人が『ジョルジョ・サルジョット(Giorgio Sargiotto)』。
60年初頭に「スカイラインスポーツ」の量産技術指導の辣腕を振るった氏は、再来日を果たし「117」の技術指導に尽力した(この頃、往年のプリンスがらみからか、R380のボディ製作を技術指導もしている)。
つまり、ショーカーとしてデザインされた『117スポルト』を、量産初期の俗に言う“ハンドメイド”にまで持って行けたのは、イタリアのカロッツェリアで腕を振るったサルジョットがいたからだと言っても過言ではないのだ。