ジョージ・トテフと云う男
1990年代の折返しを過ぎた頃、アメリカンカープラモのファンの間でにわかに盛り上がったトピックがあった。当時とっくに過去のメーカーと認識されていたリンドバーグから、1/25スケールの凝りに凝った60’sアメリカンカーの見事なフルディテールキットが発売されたのだ。
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リンドバーグといえば昔からカープラモにあまり熱心ではなく、あったにしてもそれらはPSMのようにamtやジョーハンとの競合に敗れて倒産したメーカー製品の再販で、できばえの古臭い印象は否めないものだった。そうした状況からまったく突然に、独自企画・新規金型による目を見張るような製品を世に問うてきたのだから、古くからのアメリカンカープラモファンは色めき立ち、そして当惑した。どうしちゃったのリンドバーグ、と。
そのときリンドバーグのロゴの陰に隠れてひっそりと記された「クラフトハウス」の名に気づいた者は、日本はもとより当時のアメリカでもごく少数だった。
謎めいたこのクラフトハウスを陣頭に立って指揮していた男、彼は名をジョージ・トテフと云った。
ジョージは1950年代のはじめ、まだ創業したばかりのamtに無名のパターンメーカー(ここでは金型設計・製作に幅広くかかわる技能職を指し、必ずしも木型職人を限定して指すものではない)のひとりとして入社した。
知的で穏やか、誰とでも親しい友人として付き合い、それでいて内に進取果敢の心を秘めたこの静かなる若者は、当時amtが苦慮していた生産上のある課題――毎年発表される実車が複雑なフォルムを次々とボディーに取り入れるのに対し、それを模すプロモーショナルモデルの金型は上下型の制約にいつまでも縛られてうまく追従できず、再現しようとすれば成型可能な面ごとにパーツがバラバラに分かれてしまい組立の手間とコストばかりがかさむ悪循環――この難題に果敢に取り組んでみごとに解決してしまった。
上下のみならず多方向にスライド展開する金型によってボディーパーツをワンピース成型する「スライディング・ピラー方式」、いわゆるスライド金型の考案・実用化である。今でこそ当たり前になっているこの技術は当時たいへんに画期的で、完成した姿を常態としていたプロモーショナルモデルにとっては組み立ての苦労とコストを数分の一に抑え、amtのみならず模型全体を次代へと進み出させる強力な加速剤となった。(余談だが当時のソビエト連邦のような大国にプラスチック製モデルカーがまったくといっていいほど出現しなかった主な原因に、このスライド金型技術の欠如があったといわれている)
ジョージはまた、完成品であるプロモーショナルモデルの生産だけでは採算の取りづらい状況を打破するため、成型した部品をバラバラのまま安くキットとして提供し、ユーザー自身の手で組み立てて愉しんでもらうことを提案、さらには当時盛り上がりを見せていたカスタムカー文化との橋渡しとなるような多彩なオプションパーツをこれに盛り込んで、自動車メーカーの単なる組立工のそれとは違うウィークエンド・エンジニアリングの気分と憧れを、主にまだ実車を手にすることができない全米の年少者にシミュレートさせるキット(本連載でのアメリカンカープラモ)として一般流通販売にこぎつけ、全米規模の大成功を収める。
現在のアメリカンカープラモとほぼ変わらないフォーマットを最初からそなえたこの試みによって、amtの財務状況は新展開の初年度からいきなり大きくプラスへと向かい、ジョージはすぐに同社の副社長に就任、実務のほぼすべてを一任されることとなる。
その後の1960年代は、最初から最後まで一貫してアメリカンカープラモの時代といってよかった。カープラモの1タイトルが100万個、200万個、ものによっては500万個、現代ではもはや想像するのも難しい数を当たり前のように売った時代、ジョージ・トテフはそんな時代を文字どおり「仕掛けた」技術者だった。
現代において仕掛け人を気取る者たちが、製品そのものには見向きもしないまま、巧みな弁舌でころがすように物を売るのとはまったく対象的に、ジョージは常にカープラモに盛り込む「新機軸」を来る日も来る日も考え続け、カープラモを手にした少年たちが夢に見る世界の住人たち――カスタムビルダーやカスタムカーオーナー、ドラッグレーサーたちと積極的に交わっては意見をあつめ、それをカープラモという形にし続けた。
amtから独立し、自らのメーカーを興す
彼は業界のトップランナーとなったamtの副社長にとどまることなく、1963年にはさらなる発展の思いを胸に同社をまことに円満に辞し、自らMPC(モデル・プロダクツ・コーポレーション)というプラモデルメーカーを立ち上げるが、その転身は決して同業が互いを喰い合う覇道を征くものではなく、古巣amt、ライバルのジョーハンやレベルとともに同じホビーの世界をより充実させたいとの願いを本気で叶えようとするもので、彼は他社が手がけた「売れ筋」アイテムを自社でも出すことを決してよしとしなかった。「ひとつの車にひとつのプラモデル」、アメリカンカープラモに見られるこの特有の傾向もまた彼が身をもって定めしものであった。
やがてジョージの手腕と姿勢は、ホビー業界に大きな関心を寄せていた大企業ゼネラル・ミルズの目にとまり、破格の厚遇をもってMPCは同社の傘下となった。これはすでにできあがった高収益の事業を金にものをいわせてポンとぶん取るものではなく、同社はあくまで彼の手腕と姿勢、ビジョンに金と敬意を払った。たとえばちょうどその頃、同じゼネラル・ミルズ傘下にあって斜陽の憂き目を見ていた鉄道模型の老舗ライオネルがあるとき突然の復活を遂げた背景には、そうした采配によってライオネルのトップに迎えられたジョージの活躍があったのだが、その話は本稿ではひとまず置く。
後世のヒストリアンがジョージの功績を語るとき、ある者は彼を「アメリカンモデルホビーの父」といい、またある者は「製造業者の鑑」と呼んだ。本稿もそうした称号にまったく異論はないが、真に驚くべきは、始祖のポジションに充分過ぎるほどの資格をもって早々に座ったはずの彼が、その歩みを決して止めることなく、いつも最前線に、つねに真新しいアイデアをたずさえて新人のように立ち続けたことにある。
ゼネラル・ミルズのホビー分野での多チャンネル展開において、ジョージほど多彩な仕事をこなした者はいなかった。その仕事はプラモデルだけにとどまらず、ユーザーがその手を動かして自身を肯定する趣味であれば、たとえそれが塗り絵(ペイント・バイ・ナンバー)のようなものであっても真剣に取り扱った。
ホビーと名のつくどんなジャンルにその身を配しても必ず成功をなし遂げる者として、内外で彼の評価は揺るぎないものとなっていった。そんな彼が最後に社長を務めた会社、それがクラフトハウスだった。彼がこれまで経験してきた中で最もコンパクトで精鋭ぞろいの、それは前例のない「ホビー総合プロデュース企業」だった。
その志はリンドバーグを経由して現在へと受け継がれる
1990年代、ただの古ぼけたレトロ看板になっていたリンドバーグにクラフトハウス・チームを率いてあらわれた彼は、姿こそすっかり老境にあったが、その手には'61シボレー・インパラSSをはじめ'67オールズモビル442、’64ダッジ330といったいずれも焼き直しではないタイトルの精密な設計図があった。
’61のインパラSSは、彼がamt在籍中にどうしても手がけたいと願いながら果たせなかった「あのとき本当に出すべきインパラ」だった。ビーチボーイズの曲にも歌われる409エンジンを積んだ、市販のロードカーにあるまじきあまりにも本気のスーパースポーツ。
’67オールズ442もまた、1964年にポンティアックGTOとならび立つオリジナル・マッスルカー、オールズ442をひとつもプラモデルにできなかった後悔が作らせたものだったが、なぜ’67だったかといえば、それは古巣だったamt(当時AMTアーテル)が彼の動きに協調してまったく同時期に’66を手掛けることになったからだった。そして’64ダッジ330、これはかつてMPCを立ち上げるときに共同設立者に名を連ね、彼を支えてくれた恩人にして名作ドラッグカー・カラーミーゴーンのオーナーであったディック・ブランストナーへの熱い手向けであった。
リンドバーグ/クラフトハウスによる1/25スケールのアメリカンカープラモはこのように、アメリカンカープラモの始祖が手ずから果たしに来た遠い昔の約束のようだった。彼はこれらを求める人たちのところへ無事に送り届けると静かに引退し、余生を家族とともに暮らし、2011年に亡くなった。彼の名を知らないアメリカンカープラモのファンたちは、彼の名を知らないまま「リンドバーグ、新製品出さなくなっちゃったね」「いいキットばかりで楽しみだったんだけどな」「あれはなんだったんだろう」と口々につぶやいた。
しかし、晩年の彼はふたつの「誕生」をしかと見届けてやっと最前線を退いたのだった。2005年にはのちにアメリカンカープラモの庇護者となるラウンド2LLCの、2006年には数々の素晴らしい新作アメリカンカープラモをごく私的な発願から生み出すことになるメビウスモデルズの誕生を。ジョージ・トテフの「仕事」は歴史の1ページに綴じ込まれることなく、トーマス・ロウ(ラウンド2)やフランク・ウィンスパー(メビウス)ら後進にしかと受け継がれ、生前と変わらない精励をもって今もわれわれに次なる愉しみを準備し続けているのだった。
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