誇張された「世界で最も美しい4シーター」
何事も、見た目で判断するのは良くない。だが、表面的な印象が8割を決める、ということも事実だろう。
【画像】知られざるフィアット125 ヴィニャーレ・サマンサ 同時期の小さなクーペたち FFの128も 全145枚
フィアット125 ヴィニャーレ・サマンサは、「世界で最も美しい4シーター」として売りに出された。しかし、だいぶ誇張した表現といえた。1960年代の終りには、より優れた美貌を備えるモデルが少なからず存在した。
フィアット125をベースに作られたクーペは、イタリアン・カロッツエリアのボディをまとう。滑らかなシルエットはエキゾチックで、コーチビルド・モデルとして一定の評価を集めたことは間違いない。目を細めれば、カッコ良く見えるかも。
最高出力は91psで、最高速度は165km/hに留まり、同時期のジャガーEタイプより英国価格は高かった。多くの人の記憶から消えたフィアットになっても、不思議ではない。
サマンサは、スクエアなカタチのサルーン、125と基本的にメカニズムが共通だった。不揃いなプロポーションも、それが理由。特に、エンジンルームとキャビンを隔てるスカットル部分が高く、腰高にならざるを得なかった。
中身は同じで、衣装を着せ替えただけのモデルといってもいいだろう。それでも、約60年という時を経て、不思議な魅力を漂わせている。
ボディを観察すると、上級グランドツアラーからヒントを得たであろう処理が、散りばめられていることへ気付く。離れた位置から斜め後ろをぼんやり見れば、その頃のマセラティと勘違いできなくもない。
カジノ経営者が英国へ積極的に輸入
サマンサを英国へ積極的に輸入したのは、ロンドンのカジノ経営者だった。彼がいなければ、グレートブリテン島でつかの間の話題を生むことはなかっただろう。
1960年代のイタリアでは、アルフレッド・ヴィニャーレ氏の名を冠したカロッツエリアが急成長。小さなボディ・ワークショップから、車両自体の量産が可能な生産ラインを備える、統合的なスタイリング・ハウスへ変化していた。
現アウディの一部を構成するNUSは、1920年代末にフィアットと提携し、NSU-フィアット、後のネッカー社を設立。ヴィニャーレ社はその複数のスタイリングを依頼され、堅調に収益を上げていた。フィアット850でも、クーペとスパイダーが任された。
事業の安定化を狙い、同社は1966年に独自ブランドのモデルラインを創設。フィアット 124 エヴリンに続いて、1967年のイタリア・トリノ・モーターショーで発表されたのが、サマンサだった。
同時に公開されたのが、フィアット・ヌォーヴァ500をベースにした、小さなヴィニャーレ・ガミーネ。これが、ミラノに滞在していたギリシア系の実業家、フリクソス・デメトリウ氏の目に止まった。
その4日後には、自身と彼の顧問弁護士はアルフレッドへ対面。右ハンドル車の提供を条件に、200台の契約が結ばれた。
また一緒に、彼はヴィニャーレ・フィアット850 スペシャルや、サマンサなども一括で購入を希望した。現金で支払える資金力が、有利に話を進めたはず。
イタリア車の輸入事業を本格的にスタート
フリクソスの浪費は、翌年も続いた。別のカロッツエリア、フランシス・ロンバルディ社へ接触し、850をベースにした小さなクーペ、ロンバルディ・グランプリを複数台契約。イタリア車の輸入事業を、本格的にスタートさせた。
フィアット・ベースの変わったモデルへ、彼が強い関心を抱いた理由は定かではない。情報を表に出さなかった人物として知られ、英国では多くの逸話が残されている。
明らかな事実は、彼が地中海に浮かぶ小さな島国、キプロス共和国を拠点にカジノ・チェーンを創業したこと。ロンドンにも、店舗の1つを構えていた。だが営業ライセンスの剥奪を恐れ、事業の多様化を進めたようだ。
ロンドン西部のクイーンズウェイ地区へ広大な土地を準備したフリクソスは、そこへ珍しいボディをまとったフィアットを並べた。1968年のロンドン・モーターショーには、その1部を出展。翌年のショーにも、自らのブースを用意した。
その頃の自動車雑誌、カー誌は、「レーシングカー・ショーで最も意欲的ではない出展者」というタイトルで、彼を紹介している。黒いコートとサングラスで着飾った彼の写真が表紙を飾ったが、インタビューにはかなり非協力的だったことがわかる。
本家の124 クーペより高かったサマンサ
小さなヴィニャーレ・ガミーネは、メディアから注目を集めた。サマンサも、エキゾチックなクーペとして存在感は小さくなかった。
英国で課題になったのが価格。関税を乗せるとサマンサは2211ポンドに達し、フィアット124 スポーツクーペより773ポンドも高くなったのだ。
それでも、フリクソスはヴィニャーレ側へ大量注文。量産車によるレース、英国サルーンカー選手権への出場を発表し、露出の拡大が狙われた。しかし、ロンバルディ・グランプリでの参戦と同じく、実現はしていない。
彼の考えに、明確な裏付けはなかったのだろう。それでも、野心と財力は大きかった。約50万ポンド、現在の価値で約700万ポンド(約13億5800万円)を輸入車ビジネスへ投じていたのだから。そのかわり、成功が難しいとわかると撤退も早かった。
他方、英国の正規ディーラーは、フィアット・ベースのヴィニャーレやロンバルディが別ルートで輸入されていることへ、納得していなかった。これらのモデルは、完成度が高いわけでもなかった。
フリクソスと彼の弁護士は、イタリアの本社と契約を結び、輸入した車両は正規ディーラーでの保証が受けられることになっていた。ところが、英国のフィアットへその事実は通知されていなかった。ディーラー側が不満を抱いたとしても、不思議ではない。
この続きは、知られざるフィアット125 ヴィニャーレ・サマンサ(2)にて。
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