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ニューモデル 2019.4.13

世界ご長寿モデルランキング トップ33 33位~23位

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トレンドなど無関係

中味には最新の軽量素材や安全技術を取り入れつつ、外観には新たなデザインを与えることで、各自動車メーカーは、消費者の購入意欲を喚起しようとしてきた。

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だが、今回ご紹介するのは、トレンドなどには背を向け、非常な長命を誇ったご長寿モデルのトップ33台だ。

偶然にも、こちらも高い人気を誇ったスズキ・ジムニーベースをベースに、マルチスズキが創り出した小型ピックアップモデルのジプシー(写真)が、33年の生涯を終えるという悲しいニュースが飛び込んできた。

さらに、最近フォルクスワーゲンもビートルの販売終了を発表しているが、このニュースは改めて初代ビートルのモデルライフの長さを思い起こさせてくれた。

今回ご紹介するのは、真に長命を誇ったモデルばかりであり、その頂点に君臨するのが初代ビートルだ。まずは33位からご紹介しよう。

33位:プジョー205(1983~1998)-15年間

競争力を失いつつあった104の後継として、プジョーが205の設計を開始したのは1978年のことだった。

当時、シトロエンとクライスラーの全欧州部門を吸収合併したばかりのプジョーには財務的な余裕がなく、104のモデルチェンジで失敗など許されなかったために、開発コストを抑えるべく、数多くの既存パーツを使用するとともに、205には軽量で生産性に優れたモデルになることが義務付けられていた。

1983年、4ドアハッチバックモデルとしてデビューすると、瞬く間にプジョーのベストセラーの1台となり、直ぐラインナップが拡充されている。

2ドアハッチバックやコンバーチブル、バンモデルとともに、高い人気を誇ったGTi(写真)が登場し、ラリーとT16は、クルマ好きをプジョーのショールームへと呼び寄せることとなった。

1990年代中頃からは、バリュー・フォー・マネーであることが205最大の魅力となり、1998年末の生産終了まで、数々の限定モデルがこのクルマの人気を支えていた。

32位:メルセデス・ベンツSL(R107、1971~1989)-18年間

R107世代のメルセデス・ベンツSLほど、時代を超越した気品を感じさせるロードスターモデルは他に存在しない。最高のインテリアを持つSLは、20年近くにわたってメルセデスのラインナップトップの座に君臨し続けたが、現在では固定ルーフを持つ4シータークーペとしてしかSLの名は残っていない。

SLCと呼ばれた写真のモデルは、W126をベースとするSECに後を譲るかたちで、1981年にラインナップから姿を消している。

31位:フォード・モデルT(1908~1927)-19年間

フォード・モデルTは、史上初の量産モデルとして知られている。豪華で高額なプライスタグを掲げた同時代のクルマと比べるとシンプルで、真っ当に働いてさえいれば、誰もが手に入れることのできる手ごろなモデルだった。

1917年当時のスタートプライスは500ドルであり、現在の価値に換算すれば9600ドル/7100ポンド(万円)ほどに相当する。さらに、ユーズドモデルであれば、より安価に手に入れることが可能だった。

このクルマが持つ重要性とは、数百万もの米国人に、馬や鉄道を利用することなく長距離移動を可能にすることで、余暇の概念を変えたことにある。

12ヵ国で1500万台が生産されたあと、モデルTはその生涯を終えている。

30位:スズキ・ジムニー(1998~2018)-20年間

1970年の誕生以来、小型軽量でシンプルさが魅力のジムニーは世界中で愛されてきた。初代は11年、2代目は17年の現役生活を送ったが、昨年4代目へとモデルチェンジしたばかりの3代目は、20年もの長寿を誇っている。

パワーは66psから最高でも87psに留まったが、そのパワー不足も、切替え可能な超低レシオのギアボックスと約1000kgという軽量ボディが補っており、無敵の小型4 x 4モデルとして、ジムニーを非常に魅力的な存在にしていた。

29位:プジョー206(1998~現役)-21年間(継続中)

1998年、205の後継として、プジョーはついに206をデビューさせている。先代よりもボディバリエーションを拡大させた206では、2ドア/4ドアハッチバックに加え、SWと名付けられたステーションワゴン、電動格納式ハードトップルーフを持つコンバーチブル、さらに、市場によっては4ドアセダンを選択することも可能だった。

すべての工場で生産された206の出荷台数を合計すると、その数はおよそ1000万台にも達するが、このクルマがもっとも人気を博したのは欧州と南米市場だった。

206の人生は想定外の連続だった。ダチアの成功に驚いたプジョーは、当時デビューしたばかりの207に替わる選択肢として、206+と名付けたモデルによって、低価格志向に応えようとしている。中国市場では、2シトロエンC2へと姿を変え、シトロエンのエントリーモデルとしての役割を担うとともに、現在でもイランではその生産が継続されている(写真)。

28位:フィアット・パンダ(1980~2003)-23年間

初代パンダはシトロエン2CVとルノー4に刺激を受けて生み出されたモデルだ。フィアットでは、開発部門に対し、このクルマをミニマルなインテリアと動力性能を組み合わせた、丈夫でシンプルなモデルにするよう指示し、エクステリアデザインを担当するイタルデザインにも同じことを求めた。

全員がこの理想を掲げて開発を行った結果、初期モデルが搭載したのはフィアット126の空冷2気筒エンジンであり、リアサスペンションには、ときに批判の対象ともなったリーフスプリングが採用されていた。

その長きにわたる現役期間中には、4 x 4モデルや、樹脂製パーツでボディを延長したバン、さらには2シーターの電動モデルなど、さまざまなバリエーションモデルが登場しており、トリノにあるフィアットの工場からは、実に450万台ものパンダがそれぞれのオーナーのもとへと旅立っている。

生産終了から14年を経過しても、初代パンダはイタリアのみならず、フランスの一部でも日常の風景の一部となっている。

27位:レンジローバー(1970~1996)-26年間

オフロード性能ではシリーズIIに一歩譲るものの、レンジローバーは、あらゆる場所に行くことのできるレジャービークルを求めるひとびと向けに開発された、新しいランドローバーだった。SUV人気の高まりとともに売上を伸ばしていったことも、その長寿の理由とされている。

1980年代には急速に高級志向を強め、1987年のロサンゼルスモーターショーで米国デビューを果たすと、米国の高級スキーリゾートには欠かせない存在となっていった。

26位:フィアット126(1972~2000)-28年間

126は500に替わるフィアットのエントリーモデルとして登場しているが、1975年までこの2台は併売されていた。

500よりも現代的なボディスタイルを与えられていたものの、中味はほとんど同じようなものであり、そのコンパクトなボディには4つのシートが与えられ、エンジンルームには2気筒エンジンが収まっていた。

その時代遅れの設計により、126が西欧で500ほどの人気を得ることはなかったが、なぜかポーランドでは大人気となり、「ベビー」を意味する「Maluch」のニックネームが与えられている。

460万台に達する126の総生産台数のうち、330万台はポーランドのティヒ工場から生み出されているが、現在この工場では、復活したフィアット500の生産を行っている。

25位:ジープ・ワゴニア/グランドワゴニア(1963~1991)-28年間

高級SUV市場を創り出したのはジープ・ワゴニアであり、第2次世界大戦中に活躍したウィリスから生み出されたCJとは、一切パーツやデザインにおける共通点を持たないモデルとして、ジープとっては記念碑とも呼べる存在だ。

ファミリーユースに十分な室内空間とともに、四輪駆動システムの能力を発揮させるに十分な最低地上高も確保していた。

レンジローバー同様、ワゴニア(後年にはグランドワゴニアの名を与えられている)もその生産期間中、徐々に高級志向を強めており、ジープではより乗用モデルに近い快適性を確保すべく、キャビンにおけるノイズと振動の削減に努めていた。

グランドワゴニアの生産が終了したのは、後継モデルのグランドチェロキーがデビューした1991年のことだった。

24位:フォルクスワーゲン・ジェッタ(2代目、1984~2013)-29年間

フォルクスワーゲンが中国で2代目ジェッタの生産を開始したのは、欧州での生産が終了する1年前の1991年のことであり、初期には完全なノックダウン(CKD)方式で生産されていたものの、1995年からは中国第一汽車とフォルクスワーゲンの合弁会社が、中国製パーツを使ったジェッタの生産が始まっている。

その生産期間中、2代目ジェッタにも、同時代にフォルクスワーゲンが使用していたデザイン言語を反映した3種類のフロントデザインがそれぞれ採用され、現在でも北京を含めた中国の一部ではタクシーとして活躍している。

最近フォルクスワーゲンは、中国市場ではジェッタが独立ブランドになることを発表した。

23位:トヨタ・センチュリー(初代、1967~1997)-30年間

初代LSがメルセデス・ベンツとBMWに衝撃を与えるはるか以前、トヨタは初代センチュリーを登場させており、ほとんどが手作りとなるこのクルマは、もっとも目の肥えた日本人ドライバーに向けて創り出されたモデルだった。

旧態全としたサルーンモデルとしては、驚くほどの最新技術が投入されており、1971年にはすでにオートエアコンが、1982年には冗長性を確保した光ファイバー通信システムが採用されていた。

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(AUTOCAR JAPAN 編集部)

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