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スポーツ 2018.10.4

MotoGPコラム:アラゴンでのマルケスの走りに怒りを表したロレンソ。その言い分は正しいか間違いか

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 イギリス在住のフリーライター、マット・オクスリーのMotoGPコラムをお届け。第14戦アラゴンGPの1コーナーで転倒を喫し、リタイアとなったポールスタートのホルヘ・ロレンソ。レース後、ロレンソは、転倒の原因はマルケスのブロックにあるとコメントしていた。この論争についてオクスリーが分析する。

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 ホルヘ・ロレンソ優勝のチャンスはアラゴンのターン1出口で潰えた。レース後、ロレンソはマルク・マルケスの走りについて怒りを表していたが、この論争については誰に責任があるのか?

 『1984年』や『動物農場』やそのほか重要な本の著者であるジョージ・オーウェルのことを、ホルヘ・ロレンソが聞いたことがあると考えたい。一番よく読まれている一冊は『カタロニア賛歌』(スペイン語ではHomenaje a Cataluna)であり、これはスペイン内戦を戦った彼の陰惨な経験をつづったものだ。

 オーウェルはバルセロナで民兵組織に参加し、アラゴン戦線で戦った。そこは日曜日にロレンソとマルケスが戦った場所からそう遠くない。1937年の5月にオーウェルは喉をスナイパーに撃ち抜かれて死にかけた。

 モーターランド・アラゴンでは、ロレンソはそれほどの負傷はしなかった。マルケスがロレンソを追い抜いた際、ロレンソがハンドルバー越しにマシンから投げ出された時、彼が耐えなければならなかったのは足の親指の脱臼と、もう一方のつま先の複雑骨折だった。

 ロレンソが早い段階でリタイアしたのは、3度のMotoGPチャンピオンである彼のためだけでなく、タイトル争奪戦においても非常に残念なことだった。なぜなら2台のドゥカティはポイントリーダーとの争いに絡んでおり、チャンピオンシップの様相がひっくり返す可能性が少ないながらもあったからだ。しかしながら、ひっくり返されたのはロレンソだった。

 そして彼はそのことに怒っていた。「マルクは僕のレースと足を台無しにした」と彼は息巻いた。「彼はまた、このレースでの優勝とおそらくはタイGPでの優勝の可能性も打ち砕いてしまった」

■怒るロレンソの言い分は正しいか
 実際には、マルケスはなんらそのようなことはしていない。現王者マルケスは3番グリッドからスタートし、ブレーキング勝負でアンドレア・ドヴィツィオーゾを追い抜いた。そしてアクシデントが起きやすいことで有名なスポットであるタイトな最初のコーナーをアタックする際に、ロレンソを抜き去ったのだった。

 間違いなくマルケスは限界にあった。彼のタイヤは温度が十分に上がっておらず、タイヤラバーはコーナーに入るところでアスファルト上で横滑りしていたので、マルケスはワイドに走った。なぜならそれ以上ラインをタイトにすると、転倒してしまうからだ。だが誰にも接触することはなく、マルケスはラインを取れていた。だからそこはマルケスのコーナーだった。

 ターン1でロレンソがすべきことはダメージを抑えることだった。彼もコースの汚れた部分をワイドに走った。そこでリヤタイヤが横滑りしてグリップし、彼はシートから投げ出されたのだ。

「マルクは僕をコーナーに進入させようとしなかった」とロレンソは付け加えた。「彼は僕をダートに追いやった。そこでスロットルを開けたらクラッシュしたんだ。あれはブロックパスだ。彼は僕のことなど気にかけず、とても遅い段階でブレーキをかけた。コーナー出口のことなど気にもしていなかった」

 ロレンソがメディアに話した後で、私はドゥカティ・チームの関係者何人かと話をした。この出来事に対するロレンソの見方に同意するものは誰もいなかったが、彼らは記事のためのインタビューではそのような発言はしなかった。
 トップレーサーの一部はこのようなものだ。彼らは怒りで頭に血が上り、自分の視点でしか物事を見ることができなくなる。強さというものは、このような見方から生まれる。なぜなら自己不信があったり、自分は正しくないのではという気持ちを払拭できなかったりすると、それはレーサーの心理上、小さいながらも致命的な弱点となるからだ。

 マイケル・ドゥーハンの忠実なチーフクルーであるジェレミー・バーゲスは、5度の世界チャンピオンであるドゥーハンについてこう言っていたものだ。「ミックは常に正しいんだ。たとえ間違っていてもね」

■MotoGPとオーウェルのエッセイに関係性あり
 オーウェルは戦争や社会、人間性といったシリアスな本を書くだけでなく、新聞にも寄稿していた。彼は第二次世界大戦末期に『1984年』の執筆準備を行う一方で、『The Sporting Spirit(スポーツ精神)』という題のエッセイを発表した。このエッセイは英国とビジターチームであるロシアとのサッカー試合についてのものだ。

 オーウェルはサッカーについて「尽きることのない悪意の原因」、「酷い悪感情」、多くの「悪意ある激情」があるとし、「現時点で世界に存在する膨大な悪意を増やしたいのなら、サッカーの試合に勝るものはないだろう」と書いている。オーウェルは、勝つためには手段を選ばない選手たちのことだけでなく、「観客たちはこうしたばかげた試合に対して怒りを爆発させていた」とも指摘している。

 このエッセイで最も有名な箇所はこの部分だ。

「真剣なスポーツはフェアプレーとはなんら関係がない。深く関係しているのは憎しみ、嫉妬、傲慢さ、あらゆるルールの無視、暴力を目撃することによる加虐的な喜びであり、言葉を変えればそれは銃撃のない戦争である」

 日曜日に最初のコーナーで起きたことと、オーウェルのエッセイは関係があるだろうか? もちろんある。

「ブロックパスは正常なものではない」とロレンソはレース後のインタビューでこう続けた。「違法ではないが、紳士協定があるべきだ。ブロックパスは紳士協定に反するものだ。もし彼ら(レースディレクション)が何の対処もしないのなら、やりたくはないが僕も同じ行動をすることになるだろう」

 モーターバイクレースは紳士のスポーツではない。だがなんらかの紳士的なプロフェッショナルスポーツというものはあるのだろうか? そうは思えない。

 ロレンソが怒りを爆発させたことは、ある種の驚きだった。なぜなら彼はこの数カ月で変わったようだったからだ。アラゴンGPのレースウイークでロレンソはこれまでにないほどにリラックスし、自身をしっかりと持っていた。土曜の午後、アラゴンで私はロレンソになぜなのか訪ねた。「僕は年上だから、よりリラックスしている。なぜなら年を重ねるとより多くの経験をし、物事を違う見方で見るようになるからね」

 その通りだろう。そしてロレンソの古くからのライバルであるバレンティーノ・ロッシが達成できなかったドゥカティでの優勝を達成したこと、また小さなことだが過去2シーズンにわたり2400万ユーロ(約31億8000万円)を手にしたことは、新たに至った落ち着きの境地に寄与していることだろう。

 2010年、2012年、2015年にMotoGPチャンピオンとなったロレンソは、レーサーとしても変わった。彼はドゥカティを乗りこなすためにライディング技術を大幅に調整し、ミシュランタイヤに合うようにレース戦略を適応させた。つまりヤマハ/ブリヂストン時代にそうしたように、ライバルたちと距離を置くのではなく戦うことを選んだのだ。

 最近のレースではライバルたち、特にマルケスを華麗に追い抜く場面を多く見せている。ロレンソは誰にも増して急降下爆撃のような攻撃を仕掛けることを学んできた。なぜなら現在のMotoGPの技術時代においては、勝つためにはそうしなければならないからだ。

 ロレンソは、レッドブルリンクでは残り3周のターン9で素晴らしいブロックパスを見せた。彼の乗るデスモセディチGP18はマルケスのRC213Vによってイン側に押さえ込まれていたが、ロレンソは現王者マルケスが蛇行しスライドするよう仕掛けたため、マルケスはロレンソがリードを取りレースで優勝することを防げなかった。

 サンマリノGPでは、時速130マイル(約209キロ)の右コーナーであるターン12でもブロックパスがあった。勝者ドヴィツィオーゾの後ろで2位争いをするなか、ロレンソはマルケスを抜き去った。

 マルケスはサンマリノGPでロレンソに押さえ込まれても、レース後に不満を漏らしてはいない。不満を言ったら何が起こるか、マルケスは賢明にも分かっている。おそらくマルケスの両親は、すねに傷持つ者は他人を批判しない方がよいと教えたのだろう。誰かがロレンソにこの古いことわざを思い出させる必要がある。

 もちろん、スポーツは良いもののはずだ。レーストラックやサッカー場で良い振る舞いをするよう教えることは、選手が現実世界でも良い人間になる助けになるだろう。しかし、それはプロフェッショナルスポーツという巨大企業よりも、草の根レベルのスポーツに関して言えることだ。

 市民レベルのスポーツを推進している団体、スポーツ・イングランドは「スポーツは、教育から地域の安全に至るまで、社会的に有益な影響がある」と主張しており、主要な利点としては、教育の改善、生涯学習、犯罪の減少、そして地域の団結と安全を挙げている。

■レース後に冷静となったロレンソ
 最近までロレンソのナンバー99のロゴには、光の輪と一対の悪魔のツノがあしらわれていた。これは彼の精神を非常によく要約しているし、まさにほとんどのレーサーの精神をも表しているかもしれない。31歳のロレンソは落ち着きを得て集中するために、長いこと瞑想に入れ込んでいるから、ブッダになるかベルゼブブになるかの間で板挟みになっているのだろう。

 アクシデントの翌日、ロレンソはインスタグラムに彼の最新の考えを投稿した。それによれば、ロレンソはレースとその影響について長く真剣に考えたことが分かる。それは素晴らしい文章であり、ジャコモ・アゴスチーニ、ロッシ、アンヘル・ニエト、マイク・ヘイルウッドを別にすれば、誰よりもレースで勝利を飾ってきた男の内面の優れた洞察となっている。

「僕は人生とスポーツは常にジェットコースターのようなものだと考えてきた。それは瞬間と感情が入り混じったものだ」とロレンソはインスタグラムで書いている。

「ジェットコースターのアトラクションでは、長くゆっくりとした上り坂がある。未熟だと人生は常にこうした上昇が続くものだと考えてしまう」

「自分の両親や友人が苦しんだような人生における下降は自分には起こらないと、無邪気にも考えてしまうのだ。僕のように何百回となく上昇と下降を経験した者でさえ、すでに知られていることを無視しようとする。登りつめたら下降しなければならないことを」

「なぜなら、最後には必ず下降することになるからだ。そして時にその下降はとても急で長いものに思え、まるで終わることがないように見える。(そのようなことはほとんどないが)」

「そうした極端な瞬間の合間には、さらに短いアップダウンがあって方向を見失ってしまう。見通しのきかないカーブがあり、自分の運命がどうなるのかまったく分からなくなってしまう」

「生きている実感という対照的な感情のおかげで、ジェットコースターは病みつきになる。上昇による満足と安全を味わうためには、下降による苦悩と不安を経験する必要がある。はっきりとしたビジョンを得るためには、そうした瞬間を経験しなければならない」

「人生が予測がつかないものであるなら、先の見えないカーブは必要なものだ。誰もがそれぞれのジェットコースターに乗っていると僕は思っている。そしてほとんどの場合、僕たち自身がそのジェットコースターのエンジニアであり建築士なのだ。もちろん、一度ジェットコースターに乗り込んだら、そうした瞬間をどのように乗り切るかを選ぶことしかできない」

「日曜日、僕は最新の下降を経験した。気に入らなかった。実のところ、まったく気に入らなかった。僕はそのことを予測できなかった自分を罵っていた。今、アイスパックで足を包み、ベッドに横たわっている。次のジェットコースターでどのように改善できるか、より良く生きることができるのかを考えることがやめられない」

 レース後、マルケスは様子を尋ねるためにロレンソに電話をした。チームメイトになる数カ月前に、彼らふたりの間の緊張が多少とも和らいだであろうことに、疑いの余地はない。ロレンソはレース直後の分析は誤っており、頭に血が上っていたことに気づいたのだろう。ロレンソが前進し、タイGPでは100パーセントの走行ができるように、願うことにしよう。

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