入札希望者には、情報開示
わずか18台が製造されたフェラーリ・ディーノ206S/SPスポーツ・プロトタイプのうちの1台が、フランスのオークションに出品される。
【画像】18台のみ製造、フェラーリ・ディーノ206S/SP【実車】 全14枚
ほとんどの読者には、手の届かぬ相場で入札が繰り広げられるだろう。
1966年製造で、カスタマー向けのフェラーリとしては最もレアなモデルだ。タルガ・フローリオを始めたとした輝かしいモータースポーツのヒストリーが、その希少価値をさらに高めている。
今回の競売を運営するオークションハウスは、落札予想価格をまだ公開していない。ただし、入札希望者としてコンタクトを取れば、答える用意があるという。
つましい暮らしを送るわれわれには縁遠い世界が存在するものだ。
シャシーナンバー022
この個体が成し遂げた偉業といえば、1970年のタルガ・フローリオ(写真)だろう。
当時のオーナーであるピエトロ・ロ・ピッコロが、アルファ・ロメオTZから乗り換え、コ・ドライバーのサルヴァトール・カラシベッタと手を組み、クラス2位(総合11位)を獲得した。
当初シャシーナンバー022は、シチリアの上流階級出身でレーシング・ドライバーでもあったクレメンテ・ラベットが管理をしていた。
レースデビューは、1966年7月31日のトリエステ-オピチーナ・ヒルクライムで、この紳士がステアリングを握っている。その時は、ドローゴによるオリジナル・ボディをまとっていた。
それから1967年のモンツァ1000kmを、F1にも名を連ねたプリンス・ガエターノ・スタルラッバ・ディ・ジャルディネッリとともに闘うが、エンジン不調に泣く。
スパイダー・ボディに
その後、モンテ・ペジェグリーノ・ヒルクライムで2位を獲得したあとに、前述のロ・ピッコロの手に渡ったわけだ。
元オートバイのレーサーであったロ・ピッコロは、3シーズンに渡りこのクルマを駆り、1970年のイタリアン・チャンピオンシップを勝利。
1969年シーズンには、スパイダー・ボディにアップデート。これが現在まで続く姿となる。
翌1970年は、コッパ・ファッロ、トロフェオ・ルドビコ・スカルフィオッティなどで6回の勝利を重ねる。
それからオーナーを何人か変えたこのマシンは、ジャック・セットンの個人的なコレクションに収まり、丁寧なメンテナスを受けながら直近の36年間を過ごしたという。
こんな輝かしいヒストリーを持つ貴重なディーノが、2月にフランスのオークションに登場する。
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