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池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼II』とその後【第15回:レインXアート カウンタック】

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池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼II』とその後【第15回:レインXアート カウンタック】

唯一無二!? GTレースにカウンタックで本格参戦

週刊少年ジャンプで連載された『サーキットの狼』の影響を受け、「スーパーカーブーム」が日本を席巻。週末になると当時の輸入車販売店であったシーサイド・モータースやロイヤル・モータース、オートロマン、ミツワ自動車の前にカメラを携えた子供たちが押しかけ、テレビで放映された「対決! スーパーカークイズ」に夢中になった。また、小学生たちはBOXYのボールペンでスーパーカー消しゴムを弾くスーパーカーレースに熱狂した。

池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼II』とその後【第15回:レインXアート カウンタック】

そんなスーパーカーブームで盛り上がりを見せたのはフェラーリ 512BBとランボルギーニ カウンタックの両巨頭が繰り広げた場外戦。フェラーリとランボルギーニの「最高速度300km/h」バトルは子供たちの間でも大きな話題となり、休み時間にはフェラーリ派とランボルギーニ派が熱きプレゼン合戦を繰り広げたのである。

その熱狂は日本のモータリゼーションの進化を後押し、自動車大国を築く礎になったと言っても過言ではない。さらにスーパーカーブームはモータースポーツに興味を持つ子供たちを増やし、富士スピードウェイで開催されたグラチャンやグループA(ツーリングカーレース)、中嶋 悟選手のフル参戦をきかっけとしたF1ブームへと繋がっていく。そこで今回は、スーパーカーブームの立役者でありレーサーとしても活躍する池沢早人師先生をお招きし、JGTC(全日本GT選手権)に出場したレーシング・カウンタックの思い出を語って頂く。

カウンタックでレースするのは夢であり憧れだった

『サーキットの狼』を描き始めた頃、ボクの中には「レーサーとして活躍する」という大きな夢があった。だから主人公の“風吹裕矢”が公道レースからF1レーサーへと成長を遂げるストーリーには、自分自身の「夢」を投影した部分があるんだ。もちろん、実際にF1ドライバーになれるとは思っていなかったけど、レーシングドライバーとしてサーキットで活躍することは大きな目標であり、夢だったんだよね。

その後、『サーキットの狼』が世間に認知されたことで色々なレースに参加できるようになったんだけど、ボクにとって大きな夢が実現したのが1994年に開催された全日本GT選手権(JGTC)にランボルギーニ・カウンタックで出場したこと。この話の発案者は当時GENROQで編集長を務めていた明嵐正彦氏によるもので、アートスポーツのバックアップを受けてカウンタック 25th アニバーサリーをベース車両にして参戦することになったんだ。

ちなみに全日本GT選手権は今のスーパーGTのルーツでもあり、当時はJGTCの初年度ということもあって、やっとエントリーが揃った年だった。クラスとしてはGT1、GT2の2つに分かれ、ボクが出場したのはGT1クラス。今のスーパーGTで言えばGT500クラスになる。日本に置けるGTレースの最高峰ってことだ。

25th アニバーサリーをレース仕様にモディファイ

エントリーしていた車両はニッサン スカイラインやトヨタ スープラなどの国産車勢に対して、輸入車ではポルシェ 911、962C、フェラーリ F40、そしてボクたちのランボルギーニ カウンタックと豪華絢爛だった。ドライバーは高橋国光、長谷見昌弘、星野一義、鈴木利男、土屋圭一、影山正彦、服部尚貴、飯田 章、エリック・コマス、トム・クリステンセン、アンソニー・レイド、ジェフ・クロスノフなど錚々たる名選手たちが揃っていた。

日本を代表するトップドライバーがひしめくJGTCに飛び込んだボクたちのチームはJLOC(ジャパン・ランボルギーニ・オーナーズ・クラブ)のメンバーでもあった寺井エンジニアリングの寺井輝昭氏が中心となった「KENWOLF with TERAI ENGINEERING」。ちなみにチーム名の「KEN WOLF」は、『サーキットの狼』の“ウルフ”と『モデナの剣』の“剣”からきている。エントリー車は「レインXアート カウンタック」で、ベース車両はカウンタックの生誕25周年を記念して作られたアニバーサリーモデルだ。

当時は「ランボルギーニはレースをしない」という暗黙の了解みたいなものがあって、レース用のパーツは全く存在しなかったから、レーシングモデルと言ってもノーマルのアニバーサリーにバケットシート、ロールケージ、ハーネス、サスペンションを交換した程度。なんとかレースに出場できるよう間に合わせただけで、シェイクダウンする時間もなかったのが現実だった。

最高のパートナーと共にJGTCで奮戦

でも、ボクが相棒としてコンビを組ませてもらったのはアドバンカラーのF3000で大活躍した和田孝夫選手。「眼鏡をかけたレーサーは大成しない」という定説を覆したほどのトップレーサーだから、本当に心強かった。野球で言えば「眼鏡を掛けたキャッチャーは大成しない」のジンクスを覆した古田選手みたいなレジェンドだ。

レースは富士スピードウェイ、仙台ハイランド、スポーツランドSUGO、MINEサーキットを転戦する年5戦で行われ、レインXのイエローを纏ったカウンタックはサーキットでもかなり目立っていた。本当に注目度は抜群だったよ。でも、実際に走ってみると次々にトラブルが出てしまい、初戦はハブのトラブルでリタイヤ・・・。

2戦目の仙台ハイランドで唯一の入賞を果たすも、3戦目の富士はサスペンションが折れて100Rで怖い思いをし、4戦目のSUGOもトラブルで連続リタイヤ。5戦目の最終戦は完走するのがやっとだった。ここだけの話、当時和田選手と「ヤバイ、どうしよう。今回もダメなのかなぁ・・・」と毎回凹んでいたんだ。

カウンタックでのレースは苦労の連続

ポルシェ 911みたいにレースを前提にしたパーツが開発されていないカウンタックでレースにエントリーするのは無茶だったよね。コーナリングに関してはシャープさがあって良いんだけど、とにかくダウンフォース不足がネック。あのフェルッチオ・ランボルギーニさんがレースをするなど1mmも考えずに作ったカウンタックを、世界でも初めてサーキットのレースに持ち出したんだから、まあ当然ではあるよね。

あのV12エンジンはトラブルはなかったけどレスポンスが物足りなかった。それはレースで規定の最低車重よりも確か200kg以上も重く、大きなハンデを背負っているようなものだった。何といっても軽さが足りなかったから他のものに負担がかかってたんだ。寺井エンジニアリングさんも頑張ってフロントリップを追加してくれたりしたけどね。

1994年は決勝レースがテストの場所だった。ハブやサスの初期トラブルに始まり、次々に出てくるトラブルに対応していたら1年が終わってしまったって感じだね。クラッチは交換するのに手間とお金がかかるから、レーシングスタートをせずに大切に使って1年間保たせたんだけど、これって凄いことだよね。1シーズン走って1回もクラッチ交換しないなんて、トップカテゴリーのレースでは聞いたことがない。カウンタックのクラッチは結構丈夫なんだ。

ランボルギーニによるモータースポーツ参加の先駆けに

JGTCをカウンタックで走れたことはボクにとって大きな経験になった。ドライバー交代をしてピットから和田選手がドライブするカウンタックの姿を見て「カッコイイ~」って感動したことを今でも鮮明に覚えている。鮮やかなイエローのカウンタックに乗って自分自身がJGTCを走っていると考えた瞬間・・・全身に鳥肌が立ったよ。トップカテゴリーでのレースは『サーキットの狼』を書き始めた頃からの夢が叶った瞬間だったからね。

結局、1994年のレースをカウンタックで走り切り、翌年のJGTCはディアブロへとベース車両をスイッチすることになった。1995年には「レースをしない」と言い切っていたランボルギーニがボクたちの活動を評価してくれて、ディアブロSEベースのGT仕様「ディアブロ イオタ(P-01)」を作ってくれることになったんだ。

これはレース界にとっても、自動車界にとっても衝撃的な出来事だったと思う。イタリアから遠く離れた日本の地で、勝手にカウンタックを使ってレースを始めた小さなチームがランボルギーニ社を動かし、その実績が今のランボルギーニのワンメイクレース「スーパートロフェオ」や、IMSAやブランパンなどの「GTチャンピオンシップ」に繋がっているんだからね。もちろん、スーパーGTもね。

トップカテゴリーで戦うという夢を叶えたカウンタック

スーパーカーブームで一世を風靡した「ランボルギーニ カウンタック」。世界広しといえどもカウンタックを使って本気で公式なレースをした人間は他にはいないと思う。そんな貴重な経験をさせてくれ、長年の夢を叶えてくれたカウンタックはボクにとって忘れられない思い出の一台だ。

最後に余談だけど、その当時レースクイーンとしてボクがスカウトしてチームをサポートしてくれたのが井原慶子ちゃん。レースクイーンから転身してル・マン24時間に出場するほど世界を代表する女性ドライバーとして活躍した。JGTCに参戦したカウンタックはボクやそれを取り巻く人の運命だけでなく、ランボルギーニ社の方向性を変えた大きなターニングポイントの一因になったんじゃないかと思うと・・・凄いことだったんだよね。

Lamborghini Countach 25th Anniversary

ランボルギーニ カウンタック 25th アニバーサリー

GENROQ Web解説:カウンタックの最終モデル、アニバーサリー

1971年、ジュネーブショーにおいてマルチェロ・ガンディーニによる過激なボディデザインを纏った「カウンタック LP500」が発表された。切れあがるようなウェッジシェイプは近未来を予感させる仕上がりを持ち「シザーズドア」と呼ばれる跳上げ式のドアが大きな特徴となる。エンジンは5000ccの排気量を持つV型12気筒を採用し、エンジン自体を横置きに搭載するものの前方にトランスミッションを設けるという個性的なレイアウトが与えられていた。

LP500の発表から3年後となる1974年、満を持して登場した市販モデルは「カウンタック LP400」と名付けられ、プロトタイプであるLP500の基本スタイルを踏襲した姿で市販が開始されたのである。細部を比較するとオーバーヒート対策として数多くのエアーインテークやアウトレットが設けられ、エンジンはミウラから受け継ぐ3929ccのV型12気筒エンジンへと切り替えられた。

プロトタイプの5.0リッターV12エンジンではなく、既存のエンジンを流用したことで肩を落としたファンも少なくなかったという。その後、石油王でありランボルギーニの上顧客だったウォルター・ウルフのために3台のスペシャルモデルや、カスタムモデルのLP500R(SS/GTと称されることもある)などの特別仕様を輩出しながら、LP400S、LP500Sへと正常進化を遂げていく。

オラチオ・パガーニのリデザインで更にマッシブに

1985年には永遠のライバルであるフェラーリ テスタロッサの高性能化への対策として既存のV12エンジンを4バルブ化し、キャブレターをダウンドラフトへと変更した「LP5000 QV(クアトロバルボーレ)」を発表。排気量も5167ccへと拡大され455psの最高出力を発揮するモンスターへと進化を遂げた。ちなみにライバルのテスタロッサは最高出力390psで、5000 QVは実に65psものアドバンテージを誇ったことになる。

そして1988年、スーパーカーの王者として君臨したカウンタックは次世代モデルへのスイッチを頭に描きながら生誕25周年を記念した「25thアニバーサリー」をランボルギーニデイで発表。この記念すべきモデルのプロデュースは、当時クライスラー傘下であったランボルギーニ社が独自に行ったもの。開発のためにチーフエンジニアはルイジ・マルミローリが務め、デザインはランボルギーニの契約デザイナーとして活躍していたアウトモビリ・パガーニを率いるオラチオ・パガーニとなる。

カウンタックシリーズ史上最多の生産台数を記録

ガンディーニのデザインをベースにスポイラーやサイドステップ、リヤコンビネーションランプのリデザイン、スリットを設けたエアーボックスデザインなど細部に渡って改良が施され、カウンタック史上最多販売数となる657台をセールスした。そして1990年7月4日、最後のモデルをラインアウトすると同時に、長きにわたって王者の座を守ったカウンタックはディアブロへとその座を明け渡したのである。

TEXT/並木政孝(Masataka NAMIKI)

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みんなのコメント

4件
  • 当時から富士に入り浸ってましたけど あのカウンタックの音は最高でした!V12のサウンドは富士では聴き慣れてなかったけど あの音は良かった
  • カウンタックは、ええなぁ
※コメントは個人の見解であり、記事提供社と関係はありません。

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