F1に初めてフル参戦した日本人ドライバーは、1987年の中嶋悟である。当時ロータス99T・ホンダを駆ってデビューした中嶋は、チームメイトのアイルトン・セナと共に日本のF1ブームの火付け役となった。
しかしF1に初めて出走した日本人ドライバーは、この中嶋悟ではない。遡ること11年前、富士スピードウェイで開催されたF1イン・ジャパンの決勝レースに出場した長谷見昌弘(コジマ)、高原敬武(サーティース)、星野一義(ティレル)の3人。いきなりの参戦だったが、並み居る外国勢の中でさすがの走りを披露し、世界中の度肝を抜いた。
■13歳のカート世界王者がレッドブル・ジュニアチームに加入……成長著しいタイのモータースポーツ界に、アレクサンダー・アルボンが及ぼした”好影響”
ただF1エントリーならば、その前年1975年オランダGPでの鮒子田寛(マキ)が日本人最初。この時はトップから13秒遅れながら予選通過を果たしたものの、決勝に出走することはなかった。
アジア人初のF1エントリーが鮒子田であり、決勝出走が長谷見や高原、星野であり、フル参戦が中嶋だ……というのは実は違う。鮒子田のエントリーよりも25年前、ひとりのアジア人ドライバーがF1に参戦し、活躍していたという事実がある。
1950年のF1イギリスGP……つまりF1世界選手権として最初のレースにマセラティのマシンを駆って出場したのが、タイ王国の王子であるプリンス・ビラだった。
プリンス・ビラは予選5番手。これは、当時最速を誇っていたアルファロメオ勢を除けば最上位だった。決勝ではリタイアに終わったが、続く第2戦モナコGPで5位、スイスGPでは4位と、立て続けに入賞を果たした。この結果、同年のドライバーズランキングは8位。当時はインディ500もF1の1戦に含まれていたため、これを除けばランキング6位という成績である。彼より上位だったのは、ジュゼッペ・ファリーナ、ファン-マヌエル・ファンジオ、ルイジ・ファジオーリ、ルイ・ロジェ、アルベルト・アスカリ……錚々たるメンバーである。
その後もF1への参戦を重ね、1954年にはフランスGPで4位。F1の非選手権戦では優勝も記録、ル・マン24時間レースにもアジア人として初めて参戦してみせた。
F1引退後にはオリンピックのセーリング選手として活躍。1964年の東京オリンピックにも参加している。
その後日本人の他、マレーシア人(アレックス・ユーン)、中国人(周冠宇)、インド人(カルン・チャンドック、ナレイン・カーティケヤン)などもF1に参戦してきたが、最上位は鈴木亜久里(ローラ/1990年日本GP)、佐藤琢磨(BARホンダ/2004年アメリカGP)、小林可夢偉(ザウバー/2012年日本GP)、アレクサンダー・アルボン(レッドブル/2020年トスカーナGP&バーレーンGP)の3位。優勝したドライバーはまだいない。
なお日本人ドライバーとしてのドライバーズランキング最上位は、2004年の佐藤が記録した8位。一方タイは、プリンス・ビラの8位と、アルボンの7位(2020年)という成績が残っている。
アルボンに続けと、13歳のエンツォ・ターンヴァニチュクルが、FIAカート世界選手権のOKジュニアクラスでチャンピオンに輝き、レッドブル・ジュニアチーム入り。F1を目指した歩みを始めた。そのターンヴァニチュクルは、インタビューの中で次のように語っていた。
「タイはおそらく他の国ほどモータースポーツで成功していない」
いやいや。プリンス・ビラやアルボンの成績を見れば、実はアジアで最も輝かしいモータースポーツの歴史と記録を持っているのは、タイだとも言える。
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みんなのコメント
だからナニ?w