ロールズとロイスの出会い
イギリス初と言われる自動車輸入販売店を営んでいたチャールズ・スチュアート・ロールズは、レースへの出場経験もあるなどクルマ好きとして知られる人物でした。一方電気関連会社を営んでいたフレデリック・ヘンリー・ロイスは自動車に未来を感じ、自動車を開発。その最初のモデルが1.8リットルの2気筒エンジンを搭載する10HPでした。
10HPが完成し、工場から路上に出たのが1904年4月1日。そして、5月に運命の出会いが訪れます。ロイスは10HPに乗ってロンドンへ赴き、自動車販売店を経営するロイズと面会。ロイズは10HPの品質に惚れ込みます。12月にはブランド名を二人の名前をとって、ロールス・ロイスとすることと、そのクルマの独占販売をロールズの経営する自動車販売会社で行うことが契約されます。
試作車から2年後に誕生する伝説的名車
歴代のロールス・ロイスシリーズのなかでもっとも有名なモデルが「シルバーゴースト」と呼ばれるクルマです。「シルバーゴースト」は1906年に登場する40/50HPと呼ばれたモデルに後から付けられた愛称です。ロールス・ロイスは13台目のシャシーに銀色のオープンボディを架装、ランプや金具類を銀メッキしたうえで「Silver Ghost」のプレートを装着し、2000マイルを走る競技に参戦します。この競技は速度や燃費だけでなく、クルマの信頼性も評価されるもので、走行後のクルマが部品レベルにまで分解され、その摩耗具合などがチェックされました。そうしたチェックでも素晴らしい成績を残しました。
世界大戦と合併、そしてBMW傘下に
ロールス・ロイスもほかの自動車メーカーと同様にモータースポーツで名を上げることに注力しましたが、第一次世界大戦では飛行船用のエンジンを開発します。これをきっかけにロールス・ロイスは航空機エンジンへの参入を果たし、現在でもジェットエンジンなどを製造するに至っています。
第一次世界大戦後の1931年にはベントレーを傘下に収めることになります。第二次世界大戦中は自動車製造をいったん中止し、航空機エンジンに特化する戦時体制となります。戦後にはふたたび自動車製造を開始します。しかし、航空機用ジェットエンジンの開発時の失敗などにより経営が悪化、1971年には国有化されます。
その後、ロールス・ロイスは重工業メーカーのヴィッカーズに売却されます。そしてヴィッカーズはフォルクスワーゲンに売却、その後BMWに売却され現在に至ります。ただしベントレーはフォルクスワーゲンに残り、現在もフォルクスワーゲングループの一員となっています。
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