28歳のレーシングドライバーを偲ぶ
1月28日、世界で最も偉大なレーシングドライバーの1人が亡くなってから、ちょうど84年になる。ベルント・ローゼマイヤー(Bernd Rosemeyer)である。84年というのは特別な記念日ではないが、筆者は彼の未亡人エリー・バインホルンが書いた伝記を読み終えたところだ。
【画像】ベルント・ローゼマイヤー【当時のグランプリマシンも写真で見る】 全9枚
バインホルンは優秀な作家というより、エイミー・ジョンソンのような剣呑なドイツ人(冒険的な女性飛行士として有名)だったが、この本には、ローゼマイヤーや彼が生きた華やかな(そして小さな)世界の魅力的な姿が描かれている。その人物像が明らかになったことで、彼の命日が注目されることなく、ただ通り過ぎていくのはおかしいと感じたのだ。
ニッチな世界を除けば、いつもそうなのだが。今どき、偉大なレーシングドライバーを聞かれて、ローゼマイヤーの名を挙げる人はほとんどいない。現役時代に彼のファンであったならば、少なくとも現在90歳を過ぎているはずだ。
ローゼマイヤーは、1930年代のグランプリ黄金時代に、アキッレ・ヴァルツィ、ハンス・シュトゥック、ルイ・シロン、ルイジ・ファジオーリ、ルドルフ・カラッツィオラ、タジオ・ヌヴォラーリらとともにレースをしたエリートドライバーの1人であった。
しかし、その誰もが人々の記憶から急速に消えつつある。このようなことは、人間社会のあらゆる分野で起こっている。筆者はなぜか悲しくなる。おそらく、「人は2度死ぬ」と言われているからだろう。1度は肉体的に、そして2度目は、誰もがその人のことを忘れたときに死ぬ。わずか25歳で戦死した筆者の曾祖父の写真を見ると、よくそう思う。ローゼマイヤーが亡くなったのも、28歳という若さだった。
そこで、今日はこのリンゲン(ドイツ・ニーダーザクセン州の町)出身の少年について話そう。この少年は、世界の表舞台に姿を表すと、瞬く間に他の誰よりも明るく燃え上がった。そして、それはほんの一瞬の閃光のように、儚く過ぎ去っていったのだ。
天性のテクニック ポルシェV16
この話は、ハリー・エンフィールドのコメディ『When Life Was Simpler』のようなシーンから始まる。二輪車メーカー、ツェンダップ社の地元代表であるゲオルク・スワーティング氏が、ローゼマイヤー家のガレージに立ち寄り、たまたま「今度のレースで病気のためライダーが休んでいるんだ」と言った。若いベルントはBMWに飛び乗り、サドルに後ろ向きに座ったりして、前庭を走り回った。当然、この最初のレースは楽勝だった。
1933年のシーズン開幕戦では、NSUのチームマネジャーに見初められ、その後数回の圧勝を経て、アウトウニオン(やがてフェルディナンド・ポルシェの革新的な新型グランプリカーが導入されることになる)のフルメンバーとなった。
そして、どうにかチームを説得し、レーサーとして契約することになった。しかし、その年の初戦であるアヴス(Avus)での出走には不安があった。このサーキットは、アウトバーンの2本の直線が180度のコーナーで結ばれたシンプルなものだが、そこには「死の壁」と呼ばれ恐れられたバンクが存在していたのである。
若きローゼマイヤーは、上司のオフィスのカレンダーに毎日「ローゼマイヤーはアヴスに出るの?」と書き込み続けた。やがて、苛立ったウィリー・ウォルブ氏は「Nein(No)」から「Ja(Yes)!」へと書き直し、出走が決まった。
初戦ではタイヤがバーストしてしまい、デビューはお預けとなったが、その数週間後にニュルブルクリンクでメルセデス・ベンツの伝説的なドライバー、カラッツィオラに一矢報いたことで、ドイツ中の話題をさらった。
アウトウニオンは運転が難しく、リアミッドに搭載されたポルシェ製V16エンジンは、400ps近いパワーをリアの原始的なタイヤに伝え、型破りなハンドリングをもたらした。しかし、多くのドライバーが適応に手間取る中、運転経験が全くなかったローゼマイヤーにとっては障害というよりむしろ助けになったようだ。
初優勝は1936年のチェコスロバキア。この年は6勝を挙げ、そのうち欧州選手権に数えられる4戦中3戦で優勝し、悲願のタイトルを獲得している。チームメイトのベテラン、ハンス・シュトゥックと有望な若手、エルンスト・フォン・デリウスに何秒も遅れを取らせることがよくあった。
人類初の偉業 ナチス党との関係
最も印象的な勝利は、1936年にニュルブルクリンクで開催されたアイフェル・グランプリである。雨中のスタートでヌヴォラーリのアルファ・ロメオをオーバーテイクした後、濃い霧が立ち込めてきた。誰もがスピードを落としたが、ローゼマイヤーだけは、イタリアのライバルよりも10秒も速いタイムで走っていた。
バインホルンは、これは彼が並外れた視力によるものだと語る。かつて彼女は、ローゼマイヤーが愛車のホルヒを高速で走らせるとき、実際に体験したのだ。
いずれにしても、この勝利によって、ローゼマイヤーがかのハインリッヒ・ヒムラーから親衛隊(SS)に任命されたという話は、避けて通ることができない。当時、目覚ましい発展を遂げていたドイツの自動車工学は、あらゆる点でナチス党と表裏一体であり、アウトウニオンやメルセデスが同政権のプロパガンダの道具であったことを忘れてはならない。
SSへの任命は、当時のドイツ人なら安全に断ることができない名誉だったが、ローゼマイヤーはナチスではなかった。彼は一度も入党することなく、実際にSSの制服を着ることもなかった。勇敢にも、ナチスの宣伝部長ヨーゼフ・ゲッベルスに会うときもスーツを着ていったのである。
ローゼマイヤーはその後、公道での速度記録を破るというアウトウニオンの挑戦に参加し、最初のセッションで速度世界記録である376.4km/hを打ち立てた(今から86年前のことである)。
1937年、ヴァンダービルト・カップ(米国初の国際レース)が開催されたニューヨークで、彼のレースキャリアは頂点に達した。タイトでツイスティなサーキットはドイツ車に不利だったが、ローゼマイヤーは無邪気にも、膝丈のソックス、ショートパンツ、緑のチロリアンハットを身につけて米国人を相手に名勝負を繰り広げ、勝利を手にした。
1937年のレースシーズンは全体的に厳しいものだったが、この年、彼は人類初の400km/hの壁を破る大記録(401.9km/h)を打ち立てる。流線型のアウトウニオンをまっすぐ走らせるのは至難の業で、走行後は意識が混濁した状態でクルマから降ろされるほどだったという。
そのことを、彼は前兆ととらえるべきだったのかもしれない。
心は少年のまま 消えない灯火
しかし、スピードと大胆さを求める彼の情熱は、決して冷めることはなかった。1938年初めにはバインホルトとの間に初めての子供(男の子)が生まれたが、再び記録達成に挑戦する道を選んだのだ。
1938年1月28日。メルセデスのカラッツィオラがアウトバーンでローゼマイヤーの速度記録を破り、公道最速の432.6km/hを樹立する。直後にローゼマイヤーもトップ奪還を目指してアウトバーンに繰り出し、431km/hを記録したが、カラッツィオラにわずかに及ばない。風は強くなっていたが、彼はまだ改善できると信じ、もう1度走り出した。それが彼の最後のドライブとなった。
その日、カラッツィオラが出した432.6km/hというスピードは、驚くべきことに2010年代まで破られることがなかった。
当時、英AUTOCAR誌のジョン・ダグデール記者は、「ローゼマイヤーは、エースとして確立された。ドイツでは大変な人気者となり、子供たちが固唾を飲んで話す、まさにスピードの鬼となった。彼の少年のような大胆さと興奮が、写真のためにポーズをとることも、じっと立っていることも、集中することもできないほど強い神経エネルギーに変わるのをわたしは見たことがある」と賛辞を贈った。
アウトウニオンのチーム代表、カール・フォイレーセンは、「彼は真の友人、公正なスポーツマン、まっすぐな男として、永遠にわたし達の記憶に残るだろう。彼は、勝利を収めた偉大な戦士として、またすべての人の模範として生き続けるだろう」と語っている。
不謹慎かもしれないが、愛する国やチームを破壊した戦争の惨状を見ずにこの世を去ったのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。戦後に生まれ変わったアウディの大成功と、彼の功績が忘れられていないことを、間違いなく喜んでいるだろう。
もし、まだ見たことがないのであれば、YouTubeでローゼマイヤーがアウトウニオンを走らせている映像を検索してみてほしい。そして、もしフランクフルトからダルムシュタットへアウトバーンを走る機会があれば、木々の間に小さな記念碑が建っているので、ぜひ偉大なレーシングドライバーに思いを馳せてほしい。
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