2021年11月末にウイリアムズF1チームの創設者である、サー・フランク・ウイリアムズがこの世を去った。F1史に燦然と輝く名門チームを立ち上げた伝説的なオーナーの死には関係者から多くの悲しみのコメントが寄せられている。1980年にウイリアムズで初めて世界チャンピオンとなったアラン・ジョーンズも、フランク・ウイリアムズに敬意を評し、その功績を讃えている。
アラン・ジョーンズは1975年にF1へデビュー。1978年からウイリアムズへ加入し、FW07でウイリアムズへ初めてのドライバーズタイトルをもたらし、コンストラクターズタイトルの2冠に導いた。
■ウェイン・レイニー再起の影に、フランク・ウイリアムズ卿の存在。半身不随で失意のレジェンドにかけた言葉
ジョーンズはフランク・ウイリアムズの訃報を聞くことは精神的に厳しかったと認めつつ、次のように語ってくれた。
「結局のところ、チームのボスだったという部分を除けば、彼は友人だった」と、ジョーンズは言う。
「家族ともとても仲良くさせてもらったと思う」
ジョーンズはフランク・ウイリアムズの最大の特徴として、決断力と、モータースポーツへの純粋な熱意を挙げている。特にモータースポーツへの情熱という点については半身不随を患うことになった自動車事故以降に、特に強調されていたと語っている。
「彼は究極の熱意と決意を表していた人物だった」
「言ってしまえば、チームオーナーという側面を除けば、彼は心からモータースポーツを愛した人だった。四肢の麻痺に耐えあれだけ多くのグランプリに向かった人を、私は他に知らない」
「彼の決意や熱意、それは本当に驚くべきモノだった」
「僕は彼のレガシーは、”気持ちがしっかりあれば、基本的に何でもできる”ということだと思っている」
ジョーンズはウイリアムズ時代の成功を振り返ると、自分とフランク・ウイリアムズ、そしてテクニカル・ディレクターだったパトリック・ヘッドらが持ち合わせていた反骨精神によって、より特別なものとなったと語っている。
「私達は素晴らしい協力関係にあった。フランク、パトリックそして私の3人は、みんな同じような年齢だったんだ」
「素晴らしい関係だったし、3人一緒に成長していった。有名チームを相手に勝つなんて、とても、とても満足の行くものだった」
「集大成みたいなものだった。フランクは中古のF1マシンを買ってレースを初めて、いろいろなモノをかき集めていった。その彼が世界チャンピオンを勝ち取ったのは、夢の集大成だった」
「そしてオーストラリアから渡欧して、劣ったマシンを経験してきた私にとっても、世界チャンピオンとなったことは、非常に感動的な瞬間だった」
そしてジョーンズは、フランク・ウイリアムズの仕事ぶりについても、最高の人間だったと語っている。
「彼は大変な仕事を課してくる人間だったが、100%フェアな男だった。これまでも最高の男だったとよく話してきたものだ」
「私の言うことを注意して聞いてくれていた。特に挙げられるのが、ワトキンスグレン(1980年アメリカGP)でのことだろう。私は予選で上手く行かなかったんだが、フランクにはエンジンのパワーが落ちているかもしれないと話をした。そうすると彼は『よし、交換しよう。金を払ってドライビングしてもらっているのに、君の言葉を疑っても仕方がない』と言ってくれた」
「そしてエンジン交換を行なったが、私は朝のウォームアップでは最速だったんだ」
「彼はそういう男だった」
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