女性ライダーの世界選手権に参戦する、平野ルナ選手に聞く
スーパーバイク世界選手権(SBK)第4戦エミリア・ロマーニャラウンドのパドックには、青と黒のテントが並んでいました。そのテントは、併催されている『FIM Women‘s Circuit Racing World Championship』(女性サーキット・レーシング世界選手権。以下、WCR)のピットなのです。
【画像】WCRに参戦する唯一の日本人ライダー、平野ルナ選手を画像で見る(14枚)
WCRは、2024年シーズンからスタートした、女性ライダーによって争われる2輪ロードレースの世界選手権です。今季はミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリで行なわれるエミリア・ロマーニャの開幕戦を含め、全6戦が予定されています。
WCRのマシンは、ヤマハ「YZF-R7」のワンメイクで、タイヤもまた、ピレリのワンメイクとなっています。ライダーは18の国と地域から集まり、開幕戦はワイルドカードを含めて26名が参戦しました。2018年スーパースポーツ300世界選手権(WSS300)チャンピオンのアナ・カラスコ選手や、今季も電動バイクレースFIM Enel MotoE World Championshipを戦うマリア・エレーラ選手もエントリーしています。
そして、日本人ライダーとして、唯一、WCRに参戦するのが平野ルナ選手(#44/Team Luna)です。
選択肢がなく、ST600に出ると決めた
エミリア・ロマーニャラウンドの木曜日、昼ごろにWCRのテントピットに足を運びました。テントひとつの区画に、3台のマシンが並んでいます。
平野選手のピットを覗くと、忙しいスケジュールの中、平野選手が笑顔で出迎えてくれました。インタビューを始めようとレコーダーを操作していると、細身の男性が遠慮がちにそっと椅子を差し出してくれます。あとから知ったことですが、彼は今季、平野選手に帯同しているイタリア人のメカニック、マヌさんでした。
それではとピットで向かい合った平野選手に、少し、時間をさかのぼってもらうことにしました。
平野選手がバイクに乗り始めたのは、7歳のころ。現在のモビリティリゾートもてぎで、電動のキッズバイクに乗ったことがきっかけでした。キッズバイクに乗って「面白い!」と言った平野選手に、お母さんがポケバイを勧めたのです。
ただ、小学校3~4年生のころ、平野選手の気持ちはポケバイから離れてしまいました。
「当時は石井千優、橋本翼、クラスは違いますけど、たまに小椋華恋もいました。同年代だけでも4人の女の子がいて、親同士の戦いみたいになって。たくさん怒られて、『もうやめる!』って」
そこで気持ちがきっぱりと途切れてしまってもおかしくはないタイミングに聞こえますが、平野選手はバイクに再び乗り始めるのです。
平野選手をバイクにつなぎとめたのは、友人たちの存在でした。「やめたら友達に会えなくなる」、そう思うと心が揺らぎ、ポケバイを続けることにしたのです。
その後、ミニバイクレースとCBR250Rドリームカップを経て、平野選手は17歳で筑波ロードレース選手権ST600クラスへの参戦を始めます。このST600参戦が、平野選手にとってひとつのターニングポイントでした。現在、日本人の女性レーシングライダーとして大型マシンを走らせる稀有な存在となった原点が、ここにありました。
「当時、全日本選手権に出るためのライセンスを取るには、J-GP3かST600、JSB1000しかなかったんです。すでにけっこう身長があったし、そうなると250(J-GP3)は除外されて、身長があるから600にチャレンジすることにしました」
「周りからはすごく反対されました。『女の子が(600ccのクラスは)危ない』ということだったようです」
けれどその後、平野選手は地方選手権を経て全日本ロードレース選手権ST600にフル参戦し、2019年には市販車ベースの1000ccマシンで争われる鈴鹿8耐にまで、参戦を果たすのです。17歳のときに600ccのマシンを走らせることを決断した平野選手は、「大きい排気量のほうが自分には合っていたと思う」と言います。
また、環境の違いも平野選手にとって刺激になりました。
「250ccのマシンで走るレースに出ていたときは、セッティングなども全部メカさん任せでした。600も最初はそうでしたけど、勉強しないと乗るのが難しいバイクだったので、いろいろメカさんに聞いて学びながらレースをしていました。だから、600はすごく楽しかったですね」
そうした経験を経て、2024年シーズン、平野選手はWCRという世界選手権への挑戦をスタートさせたのです。
WCRへの参戦を決めた理由
平野選手が、WCRに参戦を決めた理由は何だったのでしょうか。
「2023年度で、私が5年間所属していた鈴鹿8耐のチーム(TransMap Racing)が解散になったんです。そのためST600の参戦を続けるか、バイク関連の企業に就職するか、と決断を迫られました。全日本でもチームを探しましたが、今、日本の2輪レース業界ではメカニック不足が本当に深刻なんです。メカニックがいないのに、ライダーはどんどん増えている、という状況です」
「そんなとき、WCRの話がありました。WCRは日本向けに全く情報がなかったのでエントリーするのもすごく大変だったんですけど、レースをやめるくらいなら最後にチャレンジしてみよう、と思いました。世界を走ってみたい、という思いはありましたが、(参戦しようと思ったのは)“女性ライダーの”世界選手権だから、というわけではないですね」
「(タイミングが)ちょうどよかった、というのが本音です。チームが白紙になって、どうしようと悩んでいた時にこの選手権の話があったので」と、平野選手は言います。情報が無い中、伝手をたどって懸命に詳細を集め、エントリーシートにたどり着いたのは、締め切りの1週間前だったそうです。
今回の参戦は、平野選手単身でのエントリーのため、航空券やホテルといった手配を始めとする手続きの全てを、平野選手が行なっています。
「飛行機やレンタカー、ホテルの手配など、全て自分で行なっています。レースでは、レギュレーションでお手伝いやメカニックが1人から3人は必ず必要なんですが、そこがすごく難関でした。なかなか見つからなかったところ、関口太郎さん(レーシングライダー)が探してくださったんです。それが、メカニックのマヌさんです。それで無事に土台ができました」
マシンはヤマハが一括管理しており、タイヤやブレーキパッドの交換は、全ライダー同時に行ないます。ただ、タイヤ交換などの作業自体は、各チームのメカニックが作業する、という形です。基本的にほぼイコールコンディションのマシンですが、もしレバーやステップなどを交換したい場合は自分でパーツを用意してマヌさんに作業してもらうことになります。その「変更する」という判断も、平野選手の場合は、自分で行なわなければなりません。平野選手は、ライダーであるとともに、監督、チーフメカニックなどを同時に担って参戦している、と言えるでしょう。
こうしたなか、初めて参戦する海外の選手権で、平野選手は徐々に周囲との関係性を築き、体制を整えてもいました。
今回のレースウイークでは、マヌさんの友人が駆け付けてメカニックは2人体制となり、また、台湾のリウ・チュン・メイ選手(WT Racing Team Taiwan)のチームの日本語が話せる女性がグリッドで傘持ちをしてくれたり、ブリーフィングで手助けをしてもらったそうです。
ST600や鈴鹿8耐への参戦、そして今回のWCR参戦など、平野選手はいつも、大きくて高い壁に向かって、力いっぱいチャレンジしていこうとしているようです。けれど、実際に話していると、平野選手は不思議なくらいに「自然体」なのです。その背景に、大きな苦労や厳しい状況があったとしても。
「端から見ると、すごいものに挑戦し続けている感じですけど、そこに道があるから『行こう』という感じなのですね」と尋ねると、平野選手は「はい」とうなずきました。
「チャレンジ! って感じじゃないですね。バイクに乗っているのが好きなので、なんとか続けたいな、と思っていたら続いています」
「けっこう大変でしたけどね……ホテルの手配とか、初めて全部自分でやるので。SBKのパスの申請もすごく時間がかかっちゃった。英語が全くできないので、『どうすればいいんだ!』って」
そう言って、平野選手は笑います。「走り続けたい」という、レーシングライダーとしての純粋で真摯な、そして強い思い。その「走りたい」という思いが、平野選手をWCRに導いたひとつなのかもしれません。
「わたしの仕事は日本の女性ライダーに世界を目指すことが可能だと示すこと」
ここまでのほとんどは、「女性レーシングライダー」ではなく「レーシングライダー平野ルナ選手」に質問をしてきました。しかしここで、日本人として唯一、WCRを走るレーシングライダーに、あえて「男女混走の選手権でキャリアを積んできて、女性レーシングライダーとしての苦しさなどはありましたか?」と聞きました。それは、WCRに参戦するライダーである平野選手が、この選手権をどうとらえているのか、というアンサーにもなると考えたからです。
「(男性ライダーは)『男が女に負けるな』と言われるようですね。あとは、基礎体力の違いは感じます。0から100の力を出そうとしたとき、女性は0から100まで時間がかかりますが、男性はその時間が短いんです。恐怖心の無さの違いも感じます。性格によるとは思いますけどね。女性の利点としては、丁寧に乗るということじゃないかなと思います」
「けれど、鈴鹿8耐を走っていて、そこまで男女の違い、差は感じなかったです。総合的に見たら、それほど大きな違いはない、とは思います」
「ただ、トップを目指すとなると、すごく難しいと思います。全体的な体のつくりが違うと思うんです。女性は筋力に限界があるので、どんなに頑張って体を鍛えても、女性は(SBKなどで)トップを走る人の体にはなれないと思います。極論になりますが、そのくらいの差はあるのではないでしょうか。でも、ミドルクラスなら、女性でも戦えると思います」
よって、こうした独立した女性ライダーによる世界選手権は、意味がある、と平野選手は考えています。
「世界的に見ても、女性レーシングライダーは男性の1割くらいです。こういう選手権があると、みんなの目指す場所になると思います。わたしが参戦できた意義として、日本で走っている女性ライダーでも世界を目指すことが可能だと示すことが仕事なのかな、と考えています」
「わたしは今、24歳ですけど、結婚や、『女の子は危ないから』という声を考えないでいい場所がここなんじゃないかな、と。(バイクに乗り始めたばかりの)小さい女の子でも、最初は『世界を走りたい、MotoGPに行きたい!』って、思うはずなんです。最高峰だから。でも、どこかのタイミングで『MotoGPは無理なんじゃないか』と思ったとき、『女性の世界選手権もある、そっちを目指すのもいいんじゃないか』と考えられる、そういう選択肢が増えるのはいいことですよね」
「ここ(WCR)が最後(の目的地)じゃないと思うんです。ここからSBKに行ける可能性もあるし、EWC(FIM世界耐久選手権)のライダーになれる可能性もある。自分のプロモーションの場所にもできると思います。ぜひ、この選手権を目指してもらいたいと思います」
平野選手によると、現時点で、日本の女性レーシングライダーは減少傾向にあると言います。一方、将来的に600cc以上のマシンを走らせる女性レーシングライダーが誕生する可能性を感じてもいるようです。
「年齢的なものもありますが、結婚や就職などで、全日本は今年、(女性ライダーが)一気に減ってしまいました。女性は男性と比べて、体の違いで大半の方は長くできない。衰えるのは女性の方が早いと思うんです。全日本でも、長く続けている方もいますが、30、40歳まで続けるのはすごく難しいことです。それから、今の全日本ではどんどんメカニック不足が深刻になっていて、そこがネックなんだと思います。速い女の子を育てられる余裕のあるチームが、そもそも少ないんです」
「今は、MiniGPでも女の子が走っていますよね。わたしたちのときよりも、いい土台ができています。うらやましいです。MiniGPの存在は大きいと思います。若い時からたくさん競い合って……、わたしは高1くらいからでしたけど、体格によっては、もしかしたら中学校くらいから大型に乗れるライダーが出るかもしれないですよね」
「この選手権(WCR)は18歳から参戦できます。18歳になったらこの選手権に出るんだ、と思ってもらえたら嬉しいです。そうしたら、日本のバイク業界の状況も変わっていくんじゃないかな、と思います」
そう語る平野選手は、やはり穏やかな口調でした。けれど、その内にどこか熱がこもっているように感じられたのは、気のせいではないはずです。
平野選手は、WCR開幕戦エミリア・ロマーニャのレース1を14位、レース2を16位でゴールしました。特にレース1では転倒が多発する状況でしたが、2レースでしっかりと完走。経験値を積み、さらにポイントを獲得してWCRの初戦を終えています。
世界へとつながった道を、平野選手は走り続けます。
■平野ルナ選手(1999年10月17日生まれ)
2016年:つくばロードレース選手権ST600 参戦第52回NGK スパークプラグ杯 鈴鹿サンデーロードレース ST600 9位
2017年:つくばロードレース選手権ST600(ナショナル・フレッシュマン)ランキング4位(優勝2回)もてぎロード選手権ST600 ランキング6位(優勝1回)鈴鹿4時間耐久ロードレース 総合14位 国内クラス7位
2018年:全日本ロードレース選手権 ST600 フル参戦開始
2019年:全日本ロードレース選手権 ST600参戦鈴鹿8耐参戦EWC第2戦セパン8時間参戦
2020年:全日本ロードレース選手権ST600参戦
2021年:全日本ロードレース選手権ST600参戦
2022年:全日本ロードレース選手権ST600参戦鈴鹿8耐参戦
2023年:全日本ロードレース選手権ST600参戦鈴鹿8耐参戦
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