■悲劇の名作!? 生誕50周年を迎えたアルファスッドとは
2021年、自動車史上に冠たる名作、あるいはエンスージアストの記憶に残るクルマたちが、記念すべき節目の年を迎えることになった。
アルファ ロメオに「スプリント」復活!! 「ジュリア」は460万円から
イタリアの国策として誕生し、「Sud(南部地方)」を車名に掲げたアルファ ロメオの傑作コンパクトカー「アルファスッド(Alfasud)」もその1台で、1971年のデビューから、今年でちょうど半世紀を迎えた。
そこでVAGUEでその誕生にまつわるストーリーを紐解き、自動車史に輝く1台への敬意を表することにしたい。
●イタリアの国策プロジェクトからスタート
アルファスッド誕生の前提条件として説明せねばならないのが、この時代のアルファ ロメオが実質的な国営企業だったことである。
第二次大戦前から、モータースポーツへの過大な投資などによって慢性的な経営ひっ迫状態にあったアルファ ロメオ社は、時のファシスト政権の強い意向もあって1934年から国営公社「イタリア政府産業復興公社(I.R.I.)」の傘下に入る。
そして大戦後には、自動車製造や造船、航空機製造、鉄道開発まで含む重工業全般を集約したI.R.I.の持ち株会社「フィンメカニカ(Finmeccanica S.p.A/現レオナルドS.p.A.)」が、アルファ ロメオの実質的な親会社組織となっていた。
戦後、順調に経済再建を果たしたイタリアながら、大きな問題となっていたのがミラノやトリノ、ローマを含む北(Nord:ノルド)イタリアと、ナポリなどの南(Sud:スッド)イタリアの間に開いた経済格差であった。そこで国営フィンメカニカは、イタリアの南北格差緩和の切り札として、大きな雇用を生み出す自動車生産を南イタリアでおこなうという壮大なプロジェクトを始動させた。
そこで白羽の矢が立った生産拠点は、傘下であるアルファ ロメオが第二次大戦中に航空機エンジン生産のため建設した、ナポリ近郊ポミリアーノ・ダルコのプラントであった。この旧工場を基礎としつつも大幅に改装・拡大することにより、巨大な国策工場を建設するに至った。
こうして国策としてスタートしたプロジェクトのために開発され、1971年にデビューしたのが、名門アルファ ロメオ史上初の小型車となるアルファスッドだった。
設計・開発の指揮を執ったのは、第二次大戦前にウィーンの「フェルディナント・ポルシェ設計事務所」でキャリアをスタートし、ポルシェ博士の愛弟子といわれたオーストリア人エンジニア、ルドルフ・フルシュカ(“ルスカ”と表記する日本語文献もあり)である。
戦後はイタリアに拠点を移し、チシタリアにコンサルタントとして参画。1950年代にはフィンメカニカを経て、アルファ ロメオの技術責任者、オラツィオ・サッタ・プリーガ技師の要請を受けて、アルファ技術陣に加わったとされている。
彼は「ジュリエッタ」の開発に参画したのち、1950年代末にはフィンメカニカの意向を受けて、ジュリエッタよりもさらに小さなベルリーナの設計を任された。
ここでフルシュカは、意欲的なアイデアを実行に移した。それは、当時はまだ珍しかった前輪駆動とすること。ジュゼッペ・ブッソ技師とともに、ジュリエッタ用1.3リッター直列4気筒DOHCユニットを896ccまで縮小したエンジンを、横置き搭載にするFF試作車「ティーポ103」を製作した。
ところが当時のアルファ ロメオ首脳陣は、多大なコストを要するティーポ103には見切りをつけ、同じ国営である仏ルノーから「ドーフィン」の生産権を取得。ジュリエッタの下位モデルにあてる決定を下してしまう。
さらに、あくまで社外コンサルタントの立場にあったフルシュカ技師は、ティーポ103試作車の完成を待たずしてアルファ ロメオを離れ、いったんはフィアットおよび仏シムカにも協力した。
しかし、1967年からアルファ ロメオに戻り、アルファスッドの車両開発を任されることになるのだが、結果としてこれが彼にとって絶好のリベンジの機会となったのである。
■ボディが錆びにくければ、間違いなく名車だった!?
約4年の開発期間を経て、いまから50年前となる1971年にデビューしたアルファスッドは、実用的なコンパクトカーとしての資質と、アルファ ロメオのブランド名に相応しいスポーツ性を兼ね備えた傑作となった。
パワーユニットは、一説には「日本のスバル1000用エンジンの影響を受けた」ともいわれる、低重心かつ超ショートストロークのボクサー(水平対向)4気筒SOHCエンジン。等速ジョイントが発展途上だったこの時代には、ティーポ103の経験から横置きFWDには不安要素があると判断したフルシュカ技師は、縦置きの前輪駆動を選択。フロントのオーバーハングを短く収めるため、水平対向のシリンダーレイアウトを選んだとされている。
●クォリティ問題に翻弄された傑作
そのかたわら、フロントをインボード化した4輪ディスクブレーキなど、ベーシックカーにはもったいないほどの高度なメカニズムを惜し気もなく投入することによって、この上なくシャープなハンドリングと快適な乗り心地、そして高度の実用性を両立することに成功した。
ボディデザインは、創業から3年を迎えていたイタルデザイン社が担当。すでに巨匠としての名声を築き始めていた創業者ジョルジェット・ジウジアーロは、アルファ ロメオ「ティーポ33.2ストラダーレ」をベースとするコンセプトカー「イグアナ」などで試行したボディラインを、2BOXコンパクトカーのプロポーションに巧みに落とし込むことで、流麗なスタイリングと優れたパッケージングを両立することに成功した。
デビュー当初のボディタイプは、2ドアと4ドアのファストバック型ベルリーナ(セダン)のみ。1973年末には高性能版の「アルファスッドti(turismo internazionale)」が追加された。また1975年には豪華版にあたる「L(Lusso:デラックス)」が4ドア版に設定されたほか、ロングルーフスタイルにリアゲートを設けた3ドアワゴン「ジャルディネッタ」が追加された。
さらに1976年には、同じくイタルデザインのジウジアーロによってデザインされたスタイリッシュなクーペ「スプリント」も用意される。もとより、スポーツカー顔負けのハンドリングを身上としていたアルファスッドながら、より低重心のスポーティなスタイルを得たことによって、スッド・スプリントは掛け値なしのスポーツカーと評されるようになった。
一方、当初1186cc・63ps(スタンダード)/68ps(ti)でスタートした水平対向4気筒SOHCエンジンは、まず1976年にスプリント/1300ti専用の1286cc・75psが追加。1978年にはスタンダードが1351cc・79psにスープアップされるとともに、スプリント/1500tiには1490cc・105psが載せられることになる。
そして1980年になると、大型樹脂製バンパーの採用やテールライトの大型化などで外観が大幅にモダナイズされた後期型、通称「Seria 2a(シリーズ2)」に発展する。このシリーズ2では、ボディパネルの一部に亜鉛メッキ鋼板が使用されるなど、デビュー以来アルファスッドの致命的弱点といわれた防錆対策も改善。インテリアも一新されることで、こちらもスッドの弱点だったフィニッシュも若干ながら向上した。
エンジンは85psの1.35リッターがスタンダード版、105psの1.5リッターがスプリントとtiに搭載。翌1981年には、ボディスタイルに相応しいテールゲート付き3/5ドアのハッチバック版も、ようやく追加されることになった。
アルファスッドは、少なくとも設計段階においては半世紀前の技術的水準を大幅に超える、優秀かつ魅力的な小型車だったことは間違いない。
ところが基本設計の素晴らしさと裏腹に、とくにデビュー当初のモデルは当時のイタリアの労働問題が一因となるフィッティングの悪さ。そして、労働争議に悩まされたイタリア鉄鋼産業の生産力不足を補うため、旧ソ連から輸入したといわれるボディ用鋼板による錆と腐食の問題に悩まされ、「ナポレターノ(ナポリ製/イタリア俗語では“まがいもの”という意味もある)」のネガティブなイメージは、最後まで好転することはなかった。
1983年には事実上の後継車となる「アルファ33」がデビューしたものの、アルファスッドは残存パーツの消化のためか、短期間ながら生産を継続。翌1984年までに生産された台数は、ベルリーナ/ジャルディネッタだけでも89万3719台にのぼったとされる。
また、スポーツカーとして位置づけられたスプリントのみは1989年まで継続生産され、1987年以降はエンジンをアルファ33上級モデル用の1712cc・118psにコンバート。累計生産台数は12万1434台となった。つまり、悲劇の名作とも称されるアルファスッドながら、通算で100万台以上がポミリアーノ・ダルコ工場から送り出され、商業的には決して失敗作ではなかったことになる。
しかし、錆と腐食が多いクルマゆえに、早い時期からスクラップにされてしまう事例が多く、生産台数のわりには残存数は非常に少ないという。その事実が、現在のクラシックカーマーケットにおいては希少価値をもたらし、とくに残存数の少ない初期モデルの「ti」や「スプリント」でコンディションのよいものは、現代の国際クラシックカーマーケットにおいて、ひとかどのコレクターズアイテムと化しているのは、ある意味歴史の皮肉ともいえるかもしれない。
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