多くの関係者が悲しんでくれた撤退発表
連載:山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]【独占Webコラム】
ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、当時を振り返ります。2014年の第4戦スペインGPで、ブリヂストンは2015年限りでMotoGPから撤退することを発表。これまで通りきめ細やかな対応のタイヤ供給を続けながら、山田さんらはモチベーションの維持に努めていました。
TEXT: Toru TAMIYA PHOTO: MotoGP.com, RED BULL
一緒に働いてきた欧州のスタッフが心配やら申し訳ないやら……
2014年5月1日の木曜日、ヘレスサーキットでの第4戦スペインGPでブリヂストンはMotoGPからの撤退を正式発表。当然ながらこれには、多方面からさまざまな反応や意見がありました。当時参戦していたメーカー(ホンダ、ヤマハ、ドゥカティ)および2015年から復帰予定だったスズキには、正式発表よりも前に詳細を伝えてありましたが、彼らは「残念だけど、しょうがないですね」というような感じでした。今年(2022年)は、スズキがMotoGPから急遽撤退することを決めて騒動にもなりましたが、当然ながらどのバイクメーカーもレース参戦するにあたり莫大な予算をつぎ込んでいて、MotoGPにおけるブリヂストンと同じように、費用対効果のことなど悩みをいくつも抱えているものです。
―― ブリヂストンが当時発表した公式リリース。
またメーカーだけでなく、撤退発表によりとにかくいろんな方々とたくさん話をしました。普段はあまり会話がないようなライダーたちから、「ブリヂストンは本当にいい。他のタイヤじゃあ安心してレースできない!」なんて言われて、「おいおい、そういうことはもっと早くから言ってくれよ……」なんて心の中で突っ込んだことも多数。バレンティーノ・ロッシ選手には、「なんとか続けられないのか?」と執拗に食い下がられました。ワンメイクになる直前のミシュランの対応に不満を持っていたライダーたちは、いろいろ思うところがあったようです。
ちなみに2016年以降のタイヤサプライヤーについては、ブリヂストンが5月1日に撤退を発表したことを受け、5月22日までを期限として入札が実施され、ミシュランに決まりました。ブリヂストンとしては、それまでドルナとの契約に、ライダーが他メーカーのテストをしないことを含んでいましたが、それでは2016年からの円滑なレースは厳しいので、2015年シーズンについてはある程度のテストを容認するように契約を変更しました。私としても、MotoGPをさらに発展させるためにもミシュランにはしっかりやって欲しいと思っていたので、我々にできることは協力しようと思っていました。
私が将来的なことを一番心配していた、ブリヂストンのドイツ人スタッフたちには、どんなに親しく長年の関係性があるとはいえ、撤退するということは正式発表当日に朝のミーティングで伝えることに……。まあ、この頃にはすでになんとなくウワサになっていたらしく、彼らも多少の覚悟はあったようですが、とにかく「残念だ」という声が大きかったです。
MotoGPのレーシングサービスをチーフとして率いていたトーマス・ショルツというのは、1991年にブリヂストンがGP125でロードレース世界選手権に初挑戦した年から、ずっと一緒にやってきました。あのときトーマスはまだ学生で、ブリヂストン・ドイツのアルバイト。ドイツでは、30歳くらいになっても働きながら大学に行くことが珍しくなかったのです。
当時、ブリヂストン・ドイツにはバイク用タイヤの耐久テストに関する仕事も日本から依頼しており、アウトバーンを1日何百kmとか走る仕事があったのですが、トーマスはそのアルバイトとして働いていて、ブリヂストンがGP125に参戦することになったとき、タイヤを積んだバンを1人で運転して現地にやって来ました。その後、彼は大学卒業を諦めてブリヂストン・ドイツの社員となり、撤退発表の段階で24年もの間、ブリヂストンのスタッフとして世界選手権で働いていました。ブリヂストンの社内でも、これほど長く直接一緒に働いた人はいませんでした。
エンジニアの中にも、ブリヂストンがMotoGPでの活動をスタートする2001年の段階から雇っていたスタッフが1名おり、フィッターなどにも数名がMotoGPの活動初期から10年以上も一緒に働いてきました。彼らはもちろんレースとブリヂストンに対して愛がありましたし、ブリヂストンの撤退をとても悲しんでいました。MotoGP継続ができないと決まったとき、真っ先に心配し、申し訳ないと思ったのは、彼らのことだったのです。
最後まで全力で業務を遂行する
ちなみにトーマスとエンジニアのうち1名は、ブリヂストンが2017年からEWC(FIM世界耐久選手権)に参戦することになり、この活動をドイツではなくブリヂストン・ヨーロッパが担当することになったので、ドイツにいながらブリヂストン・ヨーロッパの社員としてこの活動に携わり、現在もEWCの現場にいます。エンジニアなどは社員として雇っていましたが、フィッターは基本的にアルバイト。中にはその後、EWCのフィッターをやっている人もいるようですが、EWCはMotoGPのように年間十数戦もあるわけではないので、それだけで生計を立てるというのは厳しいでしょう。サポートチームは2022年の段階でも3チームですしね……。ただ、ブリヂストン・ヨーロッパがサーキット走行会などのイベントを開催するときには、駆り出されているメンバーもいるようです。
アルバイトスタッフというのは、日本と同じで1日とか1レース単位での契約ですが、トーマスやエンジニアたちはドイツ現地法人の社員という立場でした。ドイツというのは、働く人たちにとても優しい国。退職時の補償などがとても手厚く、MotoGPの活動が終了して社員としての雇用が終了するときにも、規定に基づいてかなりの退職金を支払われることがわかったので、その点に関しては私も少しだけ安心しました。
一方、私自身もこのときばかりは仕事に対するモチベーションがかなり下がってしまい、退職ということも頭をよぎりました。言うまでもなく、MotoGPというのは二輪レースの世界最高峰。そこで15年間もあれこれ経験させていただき、「やり切った」という想いもありましたし、同時に「これ以上に刺激的なことがあるのか?」とも……。また、社員というのは配属転換が日常的にあるものですが、私は入社から50歳を超えるまでずっと二輪の仕事しかしてこなかったので、いまさらクルマなどそれ以外の仕事というのもなあ……と。なんにせよ、MotoGPよりスゴい経験はできないだろうと考えると、自分自身の進退も考えてしまうような状況でした。まあこれは、メーカーでレースに携わっている社員たちの“あるある話”ですね。実際この頃、外資のヘッドハンティング会社から、突然英語で電話がきて、話を聞きに行ったことも……。
モチベーションをどう保つのか……というのは、私だけでなく他のスタッフにも共通していたこと。一番遅くに撤退を知ったスタッフでも2014年の第4戦という早い段階だったわけで、それ以上の継続がないことがわかっている仕事にそこからほぼ2シーズン携わり、なおかつ気持ちを前に向けていくというのは、とても難しいことでした。しかし、最後の最後まで手を抜くことなくしっかりオフィシャルサプライヤーを務めようと、自分自身にも言い聞かせていましたし、予算やさまざまな活動を含めてその点は会社にも了承をもらっていました。まさに「立つ鳥跡を濁さず」という日本人的な精神ですが、ドイツ人スタッフも全員最後まで全力で業務を遂行してくれたのはうれしかったです。
タイヤ供給の面でも、例えば2014年の第3戦アルゼンチンGPでは、新コースということでイレギュラーとしてフロントタイヤを3スペック供給しましたが、それを第4戦スペインGPからはスタンダード化。これは、オープンクラスの登場でさらにマシンが多様化したことや、午前と午後で大きく変動する気温に対応するためです。また、この年の第16戦オーストラリアGPでは、レースで初めてフロントタイヤにも左右非対称のコンパウンドを使用しました。じつはこれ、第9戦ドイツGPにも投入予定だったのですが、船便の到着が遅れて実現できず……。フロントは、左右でフィーリングが変化すると嫌がるライダーが多いのですが、前年のドイツGPであまりにフロントからの転倒者が多かったことに対策しようと思った結果でした。
オーストラリアGPは、前年は路面改修の影響でタイヤがレースディスタンスに耐えられなかったことから、1年近くかけて構造とコンパウンドが異なるリヤタイヤを開発。リヤだけではなくフロントも左側が厳しいのは同じということで、左右非対称のフロントタイヤも投入しました。その他にも、ちょっとした問題が起こればきめ細かく対応していきましたが、とはいえ2014年はとくに大きなトラブルもなく、ホンダワークスチームのマルク・マルケス選手が圧倒的な強さを発揮してチャンピオンに輝いてシーズンが終了。我々にとって、残された時間はあと1年になりました。
―― マルク・マルケス選手の走り。バレンシアGPにて。
―― チャンピオンを決めた日本GPにて。
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みんなのコメント
ま、あくまで企業は利益の追求が目的だから仕方ないか。レースはDNA!って明言してたホンダでさえも社内ポリティカルで撤退したくらいだから。