刺激的で謎めいたコンセプトたち
コンセプトカーの本質は、デザインと技術の限界に挑戦することである。しかし、自動車メーカーやデザイン会社は、時に踏みとどまるべきタイミングを見失うことがある。
【画像】クールなコンセプトも多いぞ!【最新のコンセプトカー6台を写真で見る】 全100枚
今回紹介するコンセプトカーは、あまりにも奇想天外で、どんな形であれ道路に出ることはないだろうと思われたものだ。
中には伝説となったものもあるが、ほとんどはすぐに忘れ去られてしまった(彼らにとっては忘れられることが最善だろう)。では、見ていこう。
ベルトーネBAT3/5/7(1953年)
ベルトーネは1953年から1955年にかけて、3つのBATコンセプトを生み出した。BATは「ベルリネッタ・アエロダディナミカ・テクニカ(空力技術クーペ)」の略で、その名の通り、空力デザインの可能性を探るべく開発された。
第二次世界大戦前の古い設計が道路に溢れていた時代、3台のマシンはまるで火星から来た宇宙船のように見えたに違いない。写真:BAT 3
ギア・セレーネ(1960年)
ギア(Ghia)は、「10年以内に誰もが乗るようになるクルマ」と謳っていたが、ありがたいことに実現しなかった。トム・ジャーダ(1934~2017年)がデザインしたもので、リアにエンジンを搭載し、前後どちらに進むか分かりづらい形状となっている。この写真ではカメラの方を向いているように見えるが、実際には左を向いている。
ギア・セレーネ(1960年)
ギア・セレーネ・セカンダ(1962年)
セレーネはその奇抜さ故に強烈な印象を残したが、その結果、トム・ジャーダは続編の制作を任されることになった。テレビアニメ「宇宙家族ジェットソン」に登場するようなセレーネ・セカンダは、先代同様、後ろ向きの座席を備えていた。
ギア・セレーネ・セカンダ(1962年)
ベルトーネ・カラボ(1968年)
レース車両のアルファ・ロメオ33をベースに、V8を搭載した偉大なるコンセプトカー。カラーガラスとバタフライドアを採用し、空力性能も追求している。
ベルトーネ・カラボ(1968年)
シボレー・アストロIII(1969年)
白紙からクルマをデザインするのであれば、タイヤの配置を再考するのは当然のことだろう。しかし、タイヤ同士を近くに置いてはいけない。GMのデザイナーは、アストロIIIの前輪2つを隣り合わせに配置したため、安定性が大きく損なわれた三輪車のように見えてしまったのだ。こう見えて四輪車である。
ベルトーネ・ストラトス・ゼロ(1970年)
自動車デザインにおける1つのターニングポイントとなったこの作品は、実用性の面で一歩踏み出せなかったが、限界を押し広げたことは間違いない。ランチアの同名車やアンディ・サンダースのレプリカに繋がったほか、マイケル・ジャクソン主演の映画「ムーンウォーカー」に登場したのもこのクルマだ。
ベルトーネ・ストラトス・ゼロ(1970年)
ピニンファリーナ・モデューロ(1970年)
キャノピーから密閉式ホイールまで、ほとんど市販車に使えないものばかり。このモデューロのデザインは、複雑なエンジニアリングと膨大なコストを必要とする問題の塊であった。
ピニンファリーナ・モデューロ(1970年)
マツダEX-005(1970年)
都市型コミューターとして提案されたEX-005は、4人乗りだが、シートはプラスチック成型品で、快適性はほぼ皆無。また、耐候性が悪く、衝突安全性にも問題があった。しかし、ロータリーエンジンと電気モーターによるハイブリッドシステムは、先見の明があったと言える。
マツダEX-005(1970年)
童夢・零(1978年)
ランボルギーニ・カウンタックよりも角ばったアグレッシブなデザインを描くのは難しいが、日本の童夢は零(ゼロ)でそれを実現した。ル・マンに参戦する計画だったが、残念ながら夢は叶わなかった。
童夢・零(1978年)
ギア・アクション(1978年)
時間がなかったのか、それとも資金がなかったのかはわからないが、ギアは半分切り落とされたような車両を設計した。フロント部分では好調な滑り出しを見せたが、Bピラーまで到達したところで、プロジェクトに終止符を打ったようだ。
ギア・アクション(1978年)
アストン マーティン・ブルドッグ(1979年)
ウィリアム・タウンズ(1936~1993年)は生前、非常識なマシンをいくつも生み出したが、中でもこのブルドッグは最もクレイジーな部類に入る。当初はアストン マーティンのテストベッドとして25台を生産する予定だったが、やがて常識に目覚めたのか1台作られただけで終わった。この車両は現存し、大規模なレストアプロジェクトが行われたばかりである。
アストン マーティン・ブルドッグ(1979年)
トヨタCX-80(1979年)
CX-80は、スターレットよりも道路占有面積が小さく、4人家族に十分なスペースを提供できるように設計された。それだけに、目隠しをした子供が描いたかのようなデザインは残念だった。トヨタのデザインとしては、最低の部類に入る。
トヨタCX-80(1979年)
シトロエン・カリン(1980年)
自動車デザイナーのトレバー・フィオーレが、アポロチョコを過剰摂取して描いたと思われるコンセプトがシトロエン・カリンだ。運転席が中央にあり、ドライバーの両脇と後ろに乗員が座る、マクラーレンF1のようなデザインである。
シトロエン・カリン(1980年)
IADエイリアン(1986年)
エイリアンは従来の常識を覆すコンセプトであったが、取り外し可能なパワートレイン(エンジンやトランスミッションなどを後部のパックに押し込んでいる)は、最初から市販化など諦めていたかのようなものだ。しかし、衝撃的なスーパーカーの1つとして見事に人々の記憶に焼き付くことには成功したのである。
IADエイリアン(1986年)
イタルデザイン・マキモト(1986年)
「マキモト」とは日本人の名前ではなく、自動車とバイクを合体させた「MacchiMoto」という造語である。コンセプトはその名の通りで、発展途上国で最大9人が安価に移動することを目的としており、快適性や安全性はあまり重視されていなかったようだ。
イタルデザイン・マキモト(1986年)
プジョー・プロキシマ(1986年)
1986年当時、最も速く、最もグラマラスなプジョーは、ターボ四輪駆動の205だった。同時期には309、504、604が生産されていたが、ツインターボ2.8L V6を積むプロキシマは最高出力600psを発揮し、パートタイム四輪駆動を備えているなど、気前のいいクルマであった。
プジョー・プロキシマ(1986年)
クライスラー・ボイジャーIII(1990年)
現実離れしたアイデアだ。クライスラーの設計チームは、3人乗りの小型車にリアポッドを装着することで、8人乗りのミニバンとなるボイジャーIIIを開発したのだ。なんて便利なんだろう。
クライスラー・ボイジャーIII(1990年)
イタルデザイン・コロンブス(1992年)
V12エンジンを搭載した豪華なミニバン、というと聞こえは良いが、そのコンセプトをジェット機が衝突したようなボディで包んでしまうと、途端に見向きもされなくなる……というのが、このクルマの特徴だ。
イタルデザイン・コロンブス(1992年)
ルノー・ズーム(1992年)
都市部向きの小型車はおおむね、複雑な構造を極力排除して実現した低価格が魅力であることが多い。だが、ルノーは何か勘違いをしたようだ。ルノーはマトラ社と共同で、複雑なリアサスペンションを備え、状況に応じてホイールベースを伸縮できる、おそらく史上最も複雑な小型車を開発したのだ。これぞまさに、世界が必要としていたもの……なのだろうか。
ルノー・ズーム(1992年)
三菱ESR(1993年)
三菱の「エコロジカル・サイエンス・リサーチ(ESR)」というコンセプトは、環境技術のテストベッドであった。しかし、なぜこんな醜いデザインが必要なのだろう?正面から見ると悪くないのだが、別の角度から見ると、悲劇的な混乱に見舞われる。当初はワンボックスのデザインだったが、土壇場になってノッチバックに切り替えたらしい。
三菱ESR(1993年)
ルノー・ラクーン(1993年)
ヘリコプターからローターブレードを取り外し、想像を絶する複雑なサスペンションシステムと車輪を取り付けたらどうなるか……ルノー・ラクーンは、誰も抱いたことのない疑問に応えるものだった。
ルノー・ラクーン(1993年)
トヨタ・ラウム(1993年)
1997年の初代ラウムより先に、同じ名(RAUM)を冠したコンセプトカーが1993年に公開されている。トヨタは「次世代ファミリーカーの実用的提案」と銘打ったが、残念なことにこの予想は的外れとなった。
1990年代には、プロポーションの悪い、印象に残りづらいスタイルのクルマがたくさんあったが、ラウムもその1つと言えるだろう。とんでもなく不釣り合いなウエストラインのせいで、車輪のついた金魚鉢のようにも見える。
ダッジ・ネオン・エクスプレッソ(1994年)
車体から窓ガラスに至るまで、いたるところに奇妙なカーブを描き、まるで漫画の世界から飛び出してきたかのような外観のエクスプレッソ。「大都市のタクシー」をイメージしたデザインと謳われたが、ダッジは「このコンセプトは、運転が楽しいネオンのプラットフォームをベースにしている」と主張していることから、信頼性ゼロのコンセプトであることがわかるだろう。
ダッジ・ネオン・エクスプレッソ(1994年)
フォード・インディゴ(1996年)
インディゴは、ほんの少しも現実味を帯びていなかった。公道用のレーシングカーで、雨風を遮るものはなく、荷物を置く場所もない。乗員の頭の後ろに6L V12エンジンが鎮座し、最高速度290km/hを発揮する。でも、ちょっと楽しそうだ。
フォード・インディゴ(1996年)
イタルデザイン・フォーミュラ4(1996年)
イタルデザインは、若いドライバーのために手頃な価格のスポーツカーを作ろうという善意でプロジェクトを開始した。しかし、その結果、新旧の要素を取り入れた、実用性に乏しい、ひどい仕上がりになってしまったのだ。
イタルデザイン・フォーミュラ4(1996年)
ユーリエ・プレグンタ(1998年)
おそらく、あらゆるコンセプトで最も悲しいのは、素晴らしいクルマを、おかしな別物に変えてしまうことだろう。このおぞましい姿は、かつてランボルギーニ・ディアブロだったものだ。
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みんなのコメント
事故らなければ給油無しで乗れるんだから
市販されるのかと期待した直後に福島原発事故が起きた