マーク・ウェーバーは2013年限りで、2002年に始まったF1キャリアにピリオドを打った。この間、9勝を挙げたものの、ついにタイトル獲得には届かなかった。
一方で2010~2013年にかけて、チームメイトだったセバスチャン・ベッテルは4年連続でドライバーズタイトルを獲得。ウェーバーからすれば、差をつけられた格好だ。
■ウェーバーが自叙伝で激白。ベッテルとの決定的な亀裂を生んだ“マルチ21事件”
ベッテルは確かに、2011~2013年に関しては楽にウェーバーを倒したかに見えた。しかし、2010年シーズンははるかに接近した戦いであり、最終戦アブダビGPを迎えた際は、ウェーバーの方がランキング上では上位にいた。
しかしそのずっと前から、ふたりの緊張は高まっていた。10年前の5月30日に開催されたF1トルコGPでは、ふたりがコース上で同士討ちをしたのだ。
ウェーバーはスペインとモナコを連勝し、トルコGPの舞台であるイスタンブール・パークに乗り込んだ。彼はその2戦をいずれもポールポジションからスタート……その時点で、ランキングの首位に立っていた。しかしその時が、ウェーバーとレッドブルの関係性が最高潮だったのだろう。
「2010年の中盤4レースは、驚くべきものだった。イスタンブールからモントリオール、バレンシア、シルバーストンを経て……レッドブル・レーシングに対する僕のポジティブな気持ちは終わり初めていた」
ウェーバーは自叙伝にそう書いている。
「F1ファンはその年のトルコで、セブと僕がレースの首位を争った、悪名高い戦いを思い出すだろう。それが起きる前日、僕に対してそういう陰謀があるという噂を耳にした」
レッドブルは土曜日以降、Fダクト(ドライバーが手や膝でコクピット内のダクトを塞ぐことで、リヤウイングの機能をコントロールするというデバイス)を使用しないことを決めた後、最終のフリー走行に新しいリヤウイングを持ち込んだ。しかし当時使うことができた新型のリヤウイングは1セット限り。チームはベッテルにそれを優先的に使わせることにした。
ウェーバーは予選まで新しいリヤウイングを使えなかった。しかしベッテルは3番グリッドに留まり、一方でウェーバーは最速……ウェーバーはこれで3戦連続でのポールポジション獲得となった。
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