クラシックカー・マニア垂涎の場所
米アイダホ州ウェンデルにあるL&Lクラシック・オート(L&L Classic Auto)は、間違いなく世界有数のジャンクヤードであり、米国最大のビンテージカー専門店の1つでもある。
【画像】世界有数のジャンクヤードで見つけた逸品【フォード・アングリアやビュイック・リヴィエラなどを写真で見る】 全40枚
1968年に設立されたこのヤードには、120エーカー(約4万8000平方メートル)の広大な敷地に、1920年代から1990年代までの8000台を超える部品取り車が置かれている。また、レストア用のプロジェクトカーも400台販売されており、スペアパーツでいっぱいになった倉庫も数か所ある。
今回はこのジャンクヤードの中から、筆者の印象に残った逸品を紹介したい。
航空写真
編集部はL&Lクラシック・オートを一通り探索するのに数時間を費やしたが、この航空写真からわかるように、すべて周るには数日必要かかるだろう。また、クルマは岩場や低木の陰に隠れていることもあり、どんな逸品があるかわからない。
キャデラックの霊柩車(1954年)
このヤードでは、頑丈な作りの1954年式キャデラックの霊柩車を5500ドル(約80万円)で売りに出している。コーチビルダーのS&Sが製造したもので、駆動系が欠落しているが、希少性を考えると悪くない価格かもしれない。
1954年、救急車や霊柩車、花屋の移動販売車に改造するためにS&Sに販売されたキャデラックはわずか1611台だった。この個体は当初、サンフランシスコの顧客向けに作られたものだ。
フォード・アングリア100E(1953年)
この英国製フォード・アングリア100Eは、誰かが缶切りでも使ってルーフを持っていったかのような姿をしている。ドアの形状をみてほしい。この不可解な「怪物」を作った人は、ナッシュ・メトロポリタンのスタイリングを再現しようとしたのだろうと思われる。
アングリア100Eは、1953年から1959年にかけて10万台以上製造された。
キャデラック・クーペ・ドゥ・ビル(1977)
アイダホ州ウェンデルの年間降雨量は、全国平均38インチ(965mm)であるのに対し、わずか10インチ(25mm)しかない。そのため、L&Lクラシック・オートはクラシックカーの保存に強いのだ。
とはいえ、この1977年式キャデラック・クーペ・ドゥ・ビルが最後に走った日は、ワイパーの位置からして雨だったのだろう。「次世代のラグジュアリーカー」と謳われたクーペ・ドゥ・ビルは、先代よりも小型・軽量化されたモデルだ。
オールズモビル・カスタムクルーザー(1981年)
1978年から1985年にかけて、オールズモビルはディーゼルエンジン搭載のカスタムクルーザーを製造していた。
V6とV8は当初人気が高く、1981年には31万台の販売を記録したが、信頼性の問題からその成功は長くは続かなかった。実際、その後30年にわたり、米国でのディーゼルエンジンの評判を落とすほどのダメージを与えてしまったのだ。やっと評判が回復してきたかと思われた矢先、今度はフォルクスワーゲンのスキャンダルが発覚してしまう……。
AMCペーサー(1979年)
「ガラスの卵」、「妊娠したグッピー」、「グラスモービル」、「ペースメーカー」、「車輪のついた金魚鉢」など、AMCペーサーには長年にわたって多くのニックネームがつけられてきた。先鋭的で好みの分かれるデザインだが、1975年から1980年の間に、28万人もの人々がこのクルマを手に入れた。
この個体のサイドにある落書きから、1979年に製造されたことがわかる。
キャデラック・カテラ
1996年から2001年にかけて10万台以下しか販売されなかったというキャデラック・カテラのことは、知らなくても無理はないだろう。ドイツのゼネラルモーターズが製造し、欧州ではオペル/ヴォグゾール・オメガと呼ばれたモデルで、英国製の3.0L V6エンジンを搭載している。
この個体は、最も売れた1997年に登録された2万5411台のうちの1台である。
AMCイーグル(1980年)
資金難に陥ったAMCが、まったく新しいクラスのモデルを生み出すとは、誰も想像できなかった。1979年に発表された四輪駆動のイーグルは、多くの人を驚かせた。珍しいモデルだが、ぜひ画像を検索してみてほしい。
この世界初のクロスオーバー車が、30年ほど時代を先取りしていたのは残念なことだ。写真の個体は1980年製造のものと思われる。
リンカーン・コンチネンタルMKIII(1971年)
当時フォードのフラッグシップであったリンカーン・コンチネンタルMkIIIは、フォード副社長のリー・アイアコッカがサンダーバードにロールス・ロイスのグリルを付けるようデザイナーに指示したことから生まれたようだ。残念ながら、この1971年式の個体からはグリルが失われている。
デソト・ファイアフライト・スポーツマン(1957年)
1955年、デソトの最上級車として登場したファイアフライト。しかし、このスポーツマンが発売された1957年当時は、アドベンチュアラーがトップの座を奪っていた。2万8430台のファイアフライトのうち、スポーツマンは7217台にも満たない。正真正銘のレアモデルである。
ジープSJ(1974年)
岩場の陰に隠れるように、1974年式ジープ・チェロキーSJは佇んでいた。
なぜここにあるのか、そしてなぜまだ売れていないのか、不思議でならない。1974年から1983年にかけて製造されたSJは、基本的にはワゴニアの2ドア仕様である。1974年は、ジープが初めてスポーツ・ユーティリティ・ビークル(SUV)という言葉を使った年でもある。
ランブラー・ステーションワゴン(1962年)
1960年代初頭、AMCは絶好調だった。同社のランブラー(Rambler)ブランドは常に米国で3番目か4番目のベストセラーだったのだ。しかし、やがてその地位は揺らぎ、10年後には9位にまで落ち込んでしまう。
この個体は、1962年に10万台製造された4ドア・ステーションワゴンのうちの1台である。
オペルGT(1968年)
1929~2017年にゼネラルモーターズの傘下にあったドイツの自動車メーカー、オペルは、1965年のフランクフルトおよびパリのモーターショーでコンセプトカー「GT」を発表する。好評を博すと、3年後には生産が開始された。
オペルGTは、1968年から1973年にかけて10万3463台が製造されている。特に米国ではビュイックのディーラーを通じて販売され、人気を博した。
プリムス・ゴールドダスター
プリムスでは、フェザーダスター、スペースダスター、そしてこのゴールドダスターなど、さまざまな特別仕様車が作られた。
1970年に登場したゴールドダスターは、特徴的なデカール、遮音性の向上、豪華なインテリアなどを特徴とする。一番の目玉は、この個体ではヘビ柄のように変色しているビニールルーフである。しかし、ワイヤーアンテナやフロントフェンダーの穴は、オリジナルのものではない……。
フォード・コルティナ
英国製Mk2フォード・コルチナのように、比較的好ましくない欧州からの輸入車は、部品が1つも取られないまま何年も廃車置き場に置かれていることがある。しかし意外なことに、この個体はフェンダーを1枚寄贈してくれたようだ。
Mk2コルティナは1967年から1970年にかけて米国で販売され、6万台を売り上げた。しかし、1960年代後半に年間35万台以上を売り上げたフォルクスワーゲン・ビートルと比較すると、その差は歴然。
デソト・カスタム(1948年)
このデソト・カスタムは、1948年に工場から出荷されたとき、美しいバタフライ・ブルーで仕上げられていたようだが、現在ではその面影は残っていない。しかし、年数の割に車両の状態は素晴らしく、レストア向きだ。
直列6気筒のエンジンはまだ動くし、オプションのセミオートマチック・フルードドライブ・トランスミッションも作動する。外装は1、2か所の傷跡があり、窓も一部割れているが、センターグリルとオーナメントが欠けている以外は完全な状態だ。
内部も同様で、サンバイザー、シフトノブ、ラジオボタンが欠品している程度である。4500ドル(約65万円)で売られているので、レストアに興味ある方はぜひ。
シボレー・コルベア(1960年)
この1960年式のシボレー・コルベアは、歪んだバンパーのせいで不機嫌そうに見えるが、窓と内装が失われているため、笑顔を取り戻すのは難しそうだ。
自動車業界では悪名高いラルフ・ネーダー氏が「どんな速度でも安全ではない」と宣言したにもかかわらず、コルベアは米国政府によって「安全」と認定された唯一の自動車である。1960年から1969年の間に、合計200万台近くが製造された。
オールズモビル・ヴィスタクルーザー(1968年)
オールズモビル・ヴィスタクルーザーは、かつてデモリション・ダービー(クルマを壊し合う競技)の参加者の間で人気があったが、それは当時ほとんど価値がなかったためだ。1998年に始まったテレビ番組『ザット’70sショー(原題:That ’70s Show)』で主役を演じたことがきっかけで、人気が急上昇した。
ルーフが高く、パノラマ式の天窓が特徴的なこの個体は、1968年に製造されたもの。写真右のウサギは、このクルマと一緒に暮らしている数百羽のうちの1羽。
マーキュリー・パークレーン(1964年)
1964年、新車の マーキュリー・パークレーン・ブリーズウェイを3413ドルで購入したのは、わずか2420人。そのため、このストレートで腐敗のない個体はかなり希少だ。アイダホの夏の日差しに照らされたクロームの輝きを見てほしい。
ビュイック・リヴィエラ(1972年)
ドアやトランクの蓋が常に閉まっていることを徹底しているジャンクヤードもあるが、L&Lクラシック・オートではあまり優先されないようだ。この1972年式ビュイック・リビエラ「ボートテール」の運転席ドアは、おそらく何年も開いたままになっているのだろう。シートが完全に駄目になっている理由も納得。
アイダホの土の中にこんなに深く沈んでしまうなんて、何年同じ場所に置かれていたのだろうか。
フレイザー・スタンダード(1948年)
希少なフレイザー・スタンダードのレストアをお考えなら、この1948年式に3500ドル(約50万円)をかける価値はあるかもしれない。フロントとリアのバンパーに少しダメージがあるが、テールライトとリアのフロントガラスが欠けている以外は、すべて揃っている。
6気筒エンジンと3速マニュアル・コラムシフト・トランスミッションも残っており、ドアパネル以外はインテリアも充実している。
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