ニッポンのル・マン挑戦は50年にも達した
新型コロナウィルスの感染拡大を受け、日程を変更し、さらに無観客で実施することが決定した2020年のル・マン24時間レース。日本人ドライバーとして中嶋一貴が、マニュファクチャラーとしてトヨタが、そして日本チームとしてTOYOTA GAZOO Racingが、それぞれ3連覇をかけて挑むことになっている。
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マツダ・ロータリーエンジンからの挑戦
これまで日本人ドライバーが、日本車が、そして日本チームがどんな戦いを繰り広げてきたかを振り返ると、今からちょうど50年前、ポルシェが悲願の総合優勝を達成した1970年の第38回ル・マン24時間に、1台のシェブロンB16が参戦している。ドライバーはフランス人で海外チームから、さらにシャシーもシェブロンB16と言えばイギリス製の市販レーシング・スポーツカー。
それでも、そのミッドシップに搭載されていたマツダの10Aロータリーエンジン(RE)は紛れもなくメイドinジャパンで、この時から“ニッポン”のル・マン挑戦が始まったのだ。
70年の第38回大会において、マツダ製の10Aロータリーエンジンで第一歩を刻んだ“ニッポン”のル・マン挑戦だが、73年の第41回大会においては、日本人ドライバー/日本製マシン/日本チームによるコンプリートなチャレンジが達成された。
現在でもSUPER GTにTGR(TOYOTA GAZOO Racing) TEAM SARDとして参戦しているSARDの前身であるシグマ・オートモーティブが生沢徹/鮒子田寛/パトリック・ダルボのトリオを擁し、オリジナルマシンのシグマMC73・マツダでエントリー。出走51台中完走7台というタフなレースで、予選は14位と上々の滑り出しだったが、決勝では半分を過ぎた辺りでサスペンショントラブルからリタイアに終わっている。
シグマはその後75年まで、3年連続して参戦するも、2年目はチェッカーを受けたものの周回数不足で完走とは認められず3年目ともリタイア。75年を限りに参戦を休止することになり、少なくとも結果から見る限り、散々なチャレンジと映るが、彼らによって“ニッポン”の本格的なチャレンジが始まったのは紛れもない事実。しかも彼らがエンジンをレンタルすることになったマツダを、ル・マンに引きずり込んだのも、また歴史的事実だ。
79年から童夢とマツダスピードの挑戦が始まった
国内屈指のレーシングコンストラクターへと成長する童夢と、国産(ブランド)車として初優勝を成し遂げるマツダスピードが、初めてル・マンに足跡を残したのは79年のことだった。
童夢を主宰していた林みのるは、それまでにもカラスやマクランサなどのレーシングカーを製作してきたが、79年のル・マンに持ち込んだ童夢ゼロRLはより本格的で、コスワースDFVを搭載したグループ6。2台が登場し、クリス・クラフトとゴードン・スパイスがドライブした1台が、いきなり予選で14番手グリッドを得たことからも分かるように、ポテンシャルは決して低くなかった。
そして翌80年に登場した発展モデル、童夢RL80は予選7位でスピードを見せつける。とともに決勝でも25位で完走。さらなる好結果を目指して童夢のチャレンジが続くことになった。
一方のマツダスピード、こちらはまだ誕生前で、その前身となったマツダのディーラー、マツダオート東京のスポーツコーナーが中心となって組織されたマツダオート東京チームも、童夢が登場した79年に、ル・マン初挑戦を行っている。
マシンは市販スポーツカー、RX-7をベースにしたグループ5仕様。由良拓也デザインの流麗なボディを持ったグループ5仕様の252iは別のデザイン仕様だが、生沢徹や寺田陽次朗がドライブしたものは、トラブルが相次ぎ予選で敗退。残念ながら決勝進出は果たすことができなかった。それでもRX-7をベースにして82年の254まで発展。82年には従野孝司/寺田らにより14位で完走を果たしプロジェクトは第2章へとステップアップした。
ル・マンの主役はグループ6からグループCに
82年にFIAの車両規定が一新される。これを受けて、それまでのグループ6に代わりグループCがル・マンの主役になった。マツダスピードはグループCジュニア…翌年からはグループC2と呼ばれるようになる…の717Cを投入。童夢も、それまでのRLシリーズからグループC規定に適合させたRCへと発展させている。
最初に結果を出したのはマツダスピードだった。片山義美と従野、寺田がドライブした717Cは、そのデビューイヤーとなる83年に予選44位につけると、決勝では快調に周回を続け、14位でチェッカー。Cジュニアクラスでクラス優勝を果たしたのだ。
翌84年には発展モデルの727Cに加えて市販シャシーにREを搭載したローラT616・マツダを投入し、これをドライブした片山がC2クラス優勝。2年連続の栄誉を手に入れていくのだ。
一方の童夢はトムスとジョイントし、それまでのRL/RCシリーズから一新した童夢84C・トヨタを開発し、国内選手権で鍛えると85年に発展モデルの童夢85C・トヨタを完成させてル・マンに持ち込んでいる。
こちらは最上位クラスのグループCで当時の絶対王者であったポルシェ956/962Cと同じ土俵を選んだために、なかなか簡単には結果が残せないでいたが、88年には予選8位と速さを見せつけるようになっていた。
そして童夢とトムスのプロジェクトを後方支援していたトヨタが前面に出てきて、89年のル・マンにはカーボンモノコックに3.2ℓV8ツインターボの純レーシングエンジンを搭載した89C-Vが登場している。
そして86年からワークス参戦を始めた日産も含めて日本の3大メーカーがル・マンのエントリーリストにトップコンテンダーとして名を連ねることになり、実際、90年には日産が日本車初のポールポジションを獲得。
そして91年にはマツダ787Bが国産車初の優勝に輝いている。
関谷正徳と荒聖治がドライバーとして総合優勝に輝く
このようにしてル・マンの王座に就いた国産車と日本チームだったが、これより少しだけ遅れて日本人ドライバーによる総合優勝も果たされることになった。
その先陣を切ったのが関谷正徳だった。トヨタ/トムスの日本人エースとして92年のル・マンで総合2位、翌93年には総合4位となり、92年の総合2位は日本人ドライバーのベストリザルトとして記録されていた関谷だったが、トヨタ・ワークスが参戦を休止したために94年はル・マンを欠席、翌95年にはマクラーレンのF1-GTRで参戦することになった。
上野クリニックがスポンサードし国際開発UKを名乗るチームだが、事実上はマクラーレンのワークスチーム。本番では若いヤニック・ダルマスやJJ・レートとのドライブとなったが、関谷の速さと経験が活かされ優勝を飾ることになったのだ。
関谷に続いて、日本人ドライバーとして2番目にル・マン24時間を制したのが荒聖治だ。アメリカで武者修行した後、97年にF4で国内レースデビューを果たした荒は、F3を経てフォーミュラ・ニッポン(FN=現在のスーパーフォーミュラの前身)や全日本GT選手権(JGTC=現在のSUPER GTの前身)へとステップアップ、トップドライバーの仲間入りを果たしている。
その一方で01年にはバイパーでル・マン・デビューを果たすと02年には総合7位、03年には総合4位と上位入賞を続け、参戦4年目の04年にはアウディR8で総合優勝、と栄光の座まで駆け足で登ってきたのだ。
85年の初出場から97年の初優勝まで13年/11大会を必要とした関谷とは好対照だが、一発の速さもさることながらクルマに優しいドライブは関谷と荒、2人に共通したアイデンティティだ。
トヨタとともに成長した中嶋一貴が、18年にはトヨタとともに初優勝
関谷と荒の2人に続いて、日本人ドライバーとして3番目にル・マンを制したのが中嶋一貴だ。
レースデビューして以来、トヨタ系ドライバーとして戦い続け、全日本F3からユーロF3、GP2を経てF1GPまで上り詰めた後、日本に戻ってFN/SFやSUPER GTを戦う傍ら、2012年からトヨタのワークスドライバーとしてル・マンに参戦。参戦7年目の2018年に見事総合優勝を飾っているが、これはチームのTGRにとってはもちろん、マニュファクチャラーのトヨタにとっても悲願の初優勝。
翌19年には2連覇を果たし順風満帆のようにも映るが、実は優勝を果たす2年前、悪夢のような出来事があった。この年デビューしたトヨタTS050 Hybridは快調に周回を重ね、ポルシェと激しいトップ争いを繰り返す展開となった。そしてレース終盤にトップに立った5号車では、最後のスティントを中嶋が担当した。そして残り3分、2番手のポルシェに1分半もの大差をつけ、トヨタにとって悲願だったル・マン制覇もこれで達成が確定したかに思われたタイミングで、中嶋から悲痛な知らせが届く。
「I have No Power! NO POWER!!」。ターボ関係のトラブルだったがコントロールラインを横切ったところでストップした中嶋の5号車の脇を、2番手につけていたポルシェが通過していく。そして何とか再スタートを切った5号車だったが全くスピードが乗らず、ファイナルラップを規定タイム以内に回り終えることができずに非完走の扱いとなり、順位もつかず選手権ポイントも与えられなかったのだ。
そんな経緯があったからこそ、18年の優勝はトヨタだけでなく中嶋にとっても感慨ひとしおだったに違いない。そんな中嶋とTGR、そしてトヨタTS050 Hybridは今週末、ル・マン24時間の3連覇に向けスタートを切ることになっている。
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