別項で「ミニ〈その1〉(リンク先)」として、1992年~の最終期の英国ミニについてまとめた。
40年に及ぶミニのヒストリーは、単に同じボディ形で生きつづけた、という以上に時代を反映していて興味深いものだ。何故ミニは同じスタイルを守りつつ生きつづけられたのか。
時代の数歩先を歩んだ「革新の小型車」ミニ【いのうえ・こーいちの名車探訪】
「革新の小型車」という形容は、つまりミニは少し早く生まれ過ぎた、だから時代が追いつくまでその姿を変えずにいられた、というのは正しい見方なのだろうか。
そんなことを頭の隅に置きながら、今回はミニの誕生について紹介しよう。
文、写真/いのうえ・こーいち
■ミニの誕生
オースティン ミニ850
ミニは1959年8月に大々的に発表された。その当時、英国の代表的なブランドでオースティンとモーリスがあって、オースティン・セヴン、モーリス・ミニ・マイナーというふたつの名前でのデビュウであった。
というのも、当時の英国は海外資本が押寄せてくるなかで、むかしからの英国ブランドを守ろうとオースティン、モーリスやMGなどのナッフィールド・グループが合併し、BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレイション)を形成していた。1952年のことである。いわばトヨタと日産が一緒になったようなものだ。
それで、ミニをオースティンとモーリスの2ブランドで発売したのだが、それぞれ、それまでの人気モデルだった「セヴン」「マイナー」の名前を使ったのは、まったく新しい小型車に対して、少しでも一般に馴染ませようという配慮のように思える。それほどミニは「飛んで」いたのだった。
エンジンを横置き搭載して前輪を駆動する、というこんにちの小型車では「公式」というようなメカニズムは、ミニによってもたらされた。
メカニズム部分はできるだけ小さくまとめることによって、居住部分をできるだけ大きく「Smaller Outside, Bigger Inside(より小さな外寸、より大きな客室)」という最大の特徴を実現したのだ。
そのために考えられたいくつものアイディアが、ミニを大いに個性的に特徴付け、最終的には「革新の小型車」と形容されるようにしたのだ。
■ミニの創意工夫
先に書いておこう。こうした革新的なアイディアはひとりの人物が創意工夫した成果、というものだ。いわゆる「合議制」ではなかなか独創的なものは生まれ得ない。
その中心人物がアレック・イシゴニスという設計家で、彼の周辺にいたクルマ好きの仲間というべき人たちが挙って協力し、ミニは実現し発展していった。一般にはイシゴニスよりも有名なミニ・クーパーに名を残すチャーリー・クーパー、ジョン・クーパー親子なども「仲間」の代表的存在といえよう。
ミニはBMCで広く普及する英国のべイシックカー、として計画された。エンジンを横置き搭載するのに加えて、ギアボックスをエンジン下方、オイルパンのなかに入れてしまい、クラッチ、ディファレンシャルまでを一体化。
つまり、コンパクトなパワートレインをつくり、それをサブフレームに収めることによってボディ周りは自由に設計できるようにした。
サスペンションは、友人アレック・モウルトンの協力もあって、「ラバーコーン」というゴムの反発力を利用した斬新なものが採用された。モウルトンは自転車でも知られるが、家業がタイヤなどゴム製造業だったことから、ゴムを使った簡単でコンパクトなサスペンションを提案したのだ。
室内スペースを大きくするために、わりとスクウェアなボディとし、四隅に小さなタイヤを装着する。そのための10インチ・タイヤの製造にもモウルトンの協力があった、という。
そうしてできあがったミニは848cc、34PSのエンジン、4段ギアボックス、前後ともラバーコーンの独立サスペンション、ホイールベース2035mm、全長3050mmの2ドア、2ボックス・ボディという出立ちであった。
フロントグリルやリアのウィンドウが小さいなどのちがいはあるけれど、誰が見ても2000年まで生産がつづいた英国ミニそのもの、というスタイリングは、最初のミニですでにしっかりと備わっていた。
■ミニの最初の展開
エステートやピックアップもラインナップに加え、やがてミニ・クーパーの登場を迎えることとなる
いろいろな書物をみると、ミニの最初のころはあまり期待通りの販売ではなかったように書かれている。先にも述べたように、あまりにも革新的であったミニに人びとは戸惑っていたようでもあった。とくに、一般大衆に広まって欲しいベイシックカーなのだから、浸透するまでには少し時間が要った。
そんななか、ミニ・サルーンがデビュウした翌1960年、新たなヴァージョンが加えられる。エステートと商用車である。
コンパクトなパワートレインをつくったおかげで、ボディは比較的自由に形づくれる。その利点をそのままに、ホイールベースを4インチ(約103mm)延長し、その分広大な荷室を持つエステートを仕立てたのである。リアは左右に開く「観音開き」のドアが設けられた。
オースティンには「カントリイマン」、モーリスには「トラヴェラー」という名前のエステートが伝統的にラインアップされていた。それをミニにも踏襲したのである。もうひとつ伝統的に、荷室部分には木骨が使われていたことの名残りで、ウッドの飾りトリムを付けたりした。
その、ちょっとクラシカルな出立ちはのちのちわが国のミニ好きにも大いにヒットし、特別なミニ、というような扱いで人気を得た。
「カントリイマン」「トラヴェラー」には、その木枠のないモデルも用意され、その分少し安価なプライスタグが付けられた。
商用車は荷室部分に窓がなく、その分当初はルーフ上にヴェンティレイターが付く。装備は徹底的に簡素化されており、助手席もオプション設定であったりした。リアを荷台にしたピックアップも加わり、ミニは次第に数を拡大していく。
この後、ミニ・クーパーの登場、そしてラリー等での活躍があって、ミニはようやく火がついたようになるのだった。
【著者について】
いのうえ・こーいち
岡山県生まれ、東京育ち。幼少の頃よりのりものに大きな興味を持ち、鉄道は趣味として楽しみつつ、クルマ雑誌、書籍の制作を中心に執筆活動、撮影活動をつづける。近年は鉄道関係の著作も多く、月刊「鉄道模型趣味」誌ほかに連載中。季刊「自動車趣味人」主宰。日本写真家協会会員(JPS)
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