角田裕毅は、2024年にF1で4年目のシーズンを戦う。F1で3年以上F1にフル参戦する日本人ドライバーは、角田で6人目。これまでの日本人F1ドライバーの4年目のシーズンを振り返ってみる。
角田は2021年にアルファタウリからデビューし、その初戦バーレーンGPでいきなり9位入賞を果たし、高い評価を受けた。その後一時低迷するものの、シーズン最終戦アブダビGPでは4位入賞を果たすなど、1年目を戦い抜いた。
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その後2年目、3年目も上々の成績を残した。特に3年目となった2023年は、シーズン序盤こそマシンの出来が悪く足を引っ張られる形となり苦戦したが、アップデートが成功した後は中団グループ上位を走るパフォーマンスを見せ、アメリカGPでは日本人3人目となるファステストラップを記録、最終戦アブダビGPでは日本人2人目となるラップリードとドライバー・オブ・ザ・デイも獲得した。
そして迎える2024年は、チーム名がビザ・キャッシュアップRBと変わると共に、姉妹チームであるレッドブル・レーシングとの関係も強化。マシンのパフォーマンスが大きく引き上げられる可能性があると言われており、さらなる活躍に向けて期待がかかる。
では、これまでF1に参戦した日本人ドライバーの4年目のシーズンは、いったいどんなモノだったのだろうか?
中嶋悟:1990年/ティレル
日本人初のF1フル参戦ドライバーである中嶋悟は、1987年にデビュー。最初の3年はロータスのドライバーとして走った後、4年目となった1990年にはティレルに移籍することになった。このティレルで中嶋は、F1の歴史を語る上で外せない1台のマシンに出会うことになる。ティレル019である。
今やF1マシンの空力を考える上で、マシンの下にいかに空気を流すのかというのは欠かせない要素。それを中心に考えたデザインのF1マシンの最初のモデルと言えるのが、このティレル019だ。
ノーズ先端が高く持ち上げられ、そこからハの字型に吊り下げられたアンヘドラルウイング……F1マシンのイメージを変えた1台と言える。
このマシンを駆った中嶋は、イタリアGPと日本GPで6位入賞。019投入前に前代018で記録した1回の入賞に加え、合計3ポイントでシーズンを終えた。ただ、マシンの信頼性が低く、019で完走したのは13戦中わずか3回だけだった。
鈴木亜久里:1993年/フットワーク
鈴木亜久里は、1988年の日本GPにスポット参戦しF1デビュー。その翌年1989年にはザクスピードのドライバーとしてF1に挑んだが、全戦予備予選落ちを喫した。
フル参戦がかなった1年目は1990年で、所属チームはラルース。同年日本GPでは、日本人初となる3位表彰台を獲得した。翌年もラルースで走った後、1992年からはフットワークに移籍し、2年を過ごした。その2年目となる1993年が鈴木のF1フル参戦4年目ということになろう。
1993年のマシンFA14は、マクラーレン製のアクティブサスペンションを投入すると速さを発揮し、鈴木は予選ではトップ10の常連となった。ただマシントラブルが相次ぎ、結局鈴木は1度も入賞できずにシーズンを終えてしまう。
結局鈴木は、この年がフル参戦最終年。その後はジョーダンやリジェからスポット参戦するに留まった。
片山右京:1995年/ティレル
1992年にヴェンチュリ・ラルースからF1デビューした片山右京は、2年目からティレルに移籍。その3年目となった1994年は、ティレル022で活躍し、3度の入賞を果たした。予選でもトップ5に入る速さを見せ、ドイツGPのスタート直後には2番手を走るシーンもあった。
さらなる活躍が期待された1995年だったが、片山はリタイアの連続。ポルトガルGPでは大クラッシュを喫し、次戦欠場を余儀なくされた。
結局ドイツGPの7位が最高位で、入賞ゼロでシーズンを終えることとなった。
1994年に活躍した片山には、ベネトンからオファーが舞い込んでいた。しかしこれを断ったという逸話がある。もし片山がこれを受諾していれば、ミハエル・シューマッハーのチームメイトとして、ベネトンB195を駆っていた可能性がある。片山の代わりにベネトン入りしたジョニー・ハーバートは同年2勝……片山がベネトンに入っていれば、伝説的な”F1フルシーズン4年目”になっていたかもしれない。
佐藤琢磨:2006年/スーパーアグリ
佐藤琢磨は2002年にジョーダンからF1デビュー。翌年はBARホンダのリザーブドライバーを務め、スポット参戦した日本GPでは6位入賞を果たした。
フル参戦2年目の2004年はまさに大活躍。アメリカGPの3位表彰台をはじめ、合計34ポイントを獲得してランキング8位となった。2005年にはさらなる活躍が期待されたが、シーズン序盤はマシンのパフォーマンスが悪く、さらにサンマリノGPでの規則違反による失格と出場停止処分で出鼻を挫かれた。
シーズン中盤以降はマシンのパフォーマンスが改善したが、佐藤の歯車は最後まで噛み合わず、ハンガリーGPでの8位入賞の1ポイントだけでシーズン終了。ルーベンス・バリチェロがチーム加入、ジェンソン・バトンがウイリアムズへの移籍を取りやめたことで、佐藤は同チームのシートを失ってしまう。
その後佐藤は、新たに立ち上げられたスーパーアグリに加入。これが佐藤にとってF1で4回目のフル参戦シーズンとなった。
4年前のアロウズのモノコックを流用したマシンでは、さずがに高い戦闘力を期待することはできなかった。それでも最終戦ブラジルGPでは10位。当時の入賞は8位までだったためポイント獲得とはならなかったが、印象的な走りをみせた。
小林可夢偉:2014年/ケータハム
2009年のブラジルGPで、怪我をしたティモ・グロックの代役としてF1デビューを果たした小林可夢偉は、続くアブダビGPでいきなり6位入賞。翌年はトヨタのドライバーとしてフル参戦デビューを果たすものとみられたが、トヨタがこの2009年限りで急遽F1撤退することとなった。
ただ小林はザウバーのシートを手にして、32ポイントを獲得。2年目の2011年も30ポイントを手にし、3年目にはC31と共に上位争いを繰り広げ、日本GPでは3位入賞を果たした。
ただこの年限りでF1のシートを失い、2013年はフェラーリのGTマシンを駆ってWEC(世界耐久選手権)に参戦した。
翌2014年には新興チームのケータハムのシートを掴み、F1に復帰。ただケータハムのマシンCT05はパフォーマンスが低く、とても入賞を争えるような状態ではなかった。しかもチームは資金不足であり、シーズン後半には資金を持ち込んだドライバーにシートを明け渡さなければいけない事態が頻発した。
同年限りで小林はF1を離れ、WECを中心に活躍。ワールドチャンピオン2回、ル・マン24時間レースも1回制覇している。
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みんなのコメント
角田くんはその点でも恵まれてるほうと言える。