この記事をまとめると
■イセッタを生み出したイソが作ったスーパースポーツがイソ・グリフォだ
じつは日本は超先進国だった!? いま世界が期待を寄せる「マイクロカー」とは
■デザインはジウジアーロでエンジニアはビザリーニという豪華ツートップが担当
■シボレー製5.4リッターV8を搭載しカタログに記載された最高速度は300km/hだった
イセッタで一躍有名になったイソが作るスーパースポーツ
イタリア人が情熱的、というのはクルマ好きな方なら比喩でもイメージでもないこと先刻ご承知でしょう。なにしろ、レースやりたいがためにクルマメーカーやり始めたエンツォや、フェラーリをぶっちぎりたくてクルマ作り始めたフェルッチオなんて熱い男たちは枚挙にいとまがないわけですから。
今回ご紹介するイソ・グリフォの生みの親、レンツォ・リヴォルタもまた同類です。材木商から身を立て、イソ(ISO)という工業メーカーを買収したリヴォルタは、冷蔵庫やラジエータといった製品でもって成功をおさめ、イタリア人らしく乗り物が大好きだったためスクーターや3輪オートの製造にも手を出すことに。その後、世界中で流行りだしていたマイクロカー「イソ・イセッタ」を製造し始めたのですが、1000台ほど作ったところで製造権をBMWに売却(ご存じのとおりBMWイセッタは16万台も作られる大ヒットに)。
レンツォは「やっぱ、これじゃない」てな気分だったのでしょう。1962年、自らの名を冠したグラントゥーリズモ「イソ・リヴォルタ」の製造に着手したのでした。
この時、デザインはベルトーネに在籍していたジウジアーロで、エンジニアは元フェラーリかつ、元ランボルギーニのジオット・ビザリーニというツートップ。そして、シボレー製5.4リッターのV8(レンツォは当時マセラティ3500GTやジャガーなどを複数所有しており、マセラティ、ひいてはイタリア製エンジンの低い信頼性に辟易していたそうです)を調達し、そこそこの売り上げをマークしたのです。
このころ、レンツォの息子であるピエロ・リヴォルタが大学を卒業してイソに入社。早速、父親に「もっと華やかでインパクトあるスポーツカー」を提案。そこで生まれたのがグリフォで、ロードバージョンがA3/L(Lは諸説ありますがラグジュアリーのLと言われています)。
A3/C(CはCorsa=レースの意味)と名付けられたレーシングカーは、あえてベルトーネからリリースされたのでした。あえて、としたのはレンツォ本人の意向としてグリフォでレース参戦を考えていなかったから。
むしろ「レース上等!」なエンジニアだったビザリーニの情熱でもって2パターンが無理やり作られたようです。
ビザリーニ渾身のレーシングバージョンも用意
1965年に生産が始まったグリフォは、リヴォルタとほぼ同じ座組、すなわちベルトーネ(若きジウジアーロね)&ビザリーニで作られた2シーターのスポーツカー。エンジンもまたシボレーの5.4リッターを搭載していましたが、キャブの大径化などでチューンアップ。マックス350馬力とされ、カタログに表記された最高速は当時最高記録となる300km/h!
シャシーもまたビザリーニ渾身のレーシングパッケージと呼ぶにふさわしいもので、エンジンはフロントミッドシップ、かつ低重心化が図られ、ダブルウイッシュボーンのサスやボルグワーナーの大型ミッションなどなど、さすが250GTOを作り上げたエンジニアって感じ。
どうやら、GTOの後継モデルでエンツォと意見が対立してフェラーリを辞したビザリーニとしては、グリフォにそのノウハウすべてを傾注したといってもいいのではないでしょうか(その証拠に、レースに消極的だったレンツォとも袂を分かち、結局A3/Cはビザリーニのブランドで5300GTとして販売され、ル・マンにも出場しました)。
5.3リッターモデルが好調な売れ行きを示すと、またまた息子のピエロが「今度は7リッター、グラッチェ」とばかりにマイナーチェンジを実行。435馬力エンジンとなったことで、グリフォのボンネットはバルジというか構築的に膨らむことに。
ちなみに、この7リッターモデルをアメリカの有名チューナー、ディーン・ムーン(いうまでもなくムーンレーシングの創設者)が依頼を受けてチューニングしたそうです。で、結果は4分の1マイルを12秒台で走るという猛烈ぶり! これに刺激を受けたのか、ピエロの情熱が再び炸裂し「だったら7.4リッターもってこい! グラッチェ」となり、出来たモデルがその名も「Can-Am」というカッチョいい限定車。これが、1970年のことで時あたかもオイルショックが全世界を襲ったタイミングだったのです。
で、シボレーは「7.4リッターはもう作らないので、ソーリー」とエンジン供給をストップ。すでにレンツォはこの世を去っていて、イソの命運はピエロの掌中であり「ならばフォードに鞍替えするまで、グラッチェ」と1972年からはIR-8ユニット、5.8リッターエンジンに望みを託したのでした。が、奮闘むなしく1974年にイソは倒産。
グリフォは、1965~74年の間に400台ほどが生産されたとされましたが、大半はシボレーの5.4リッターモデルで、7リッターや7.4リッターモデルは数十台にとどまり、またCan-Amに至ってはわずか数台が作られたのみ。いずれにしても、レアなマシンであることに違いはありません。ちなみに、ビザリーニのA3/C(5300GT)に至ってはFRPボディ、アルミボディ合わせて20台程度といわれており、こちらもまたプレミアムクラスであること間違いありません。
なお、ピエロ・リヴォルタはかのアレハンドロ・デ・トマソと深い親交があったようで、デ・トマソがアメリカ製エンジンにアプローチをしていたのもきっかけはイソのマシンだったかもしれませんね。
また、ガンディーニのデザインによってグリフォのリバイバルプランが持ち上がったこともありましたが、ピエロは関与していなかった模様です。結局、このプランは立ち消えになってしまいましたが、また情熱的なイタリア人の誰かが、イソのような「プレイボーイスポーツカー」を作ってくれること、望んでいる方は少なくないでしょう。
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
オヤジむせび泣き案件!! ホンダの[デートカー]が帰ってくるぞ!! 新型[プレリュード]は究極のハイブリッドスポーツだ!!!!!!!!!
「すごい多重事故…」 関越道で「トラックなど3台が衝突」発生! 2車線が一時通行規制で「通過時間70分」の大渋滞 圏央道も混雑
“45年ぶり”マツダ「サバンナGT」復活!? まさかの「オープン仕様」&斬新“レトロ顔”がサイコー!ワイドボディも魅力の「RXカブリオレ」とは?
「運転席の横に“クルマが踊っている”スイッチがありますが、押したら滑りますか?」 謎のスイッチの意味は? 知らない「使い方」とは
「すごい衝突事故…」 東富士五湖道路が一時「上下線通行止め!」 ミニバンが「横向き」で“全車線”ふさぐ… 富士吉田で国道も渋滞発生中
ホンダ新型「プレリュード」まもなく登場? 22年ぶり復活で噂の「MT」搭載は? 「2ドアクーペ」に反響多数!海外では“テストカー”目撃も!? 予想価格はいくら?
不要or必要? やっちゃったらおじさん認定!? 「古い」「ダサい」といわれがちな [時代遅れ]な運転法
「ノーマルタイヤで立ち往生」に国交省ブチギレ!?「行政処分の対象です」2年連続で大量発生…「スタックの7割が夏用タイヤ」今年も緊急警告
いよいよ正式発表!? デザイン一新の[新型フォレスター]登場か! トヨタHV搭載でスバル弱点の燃費は向上なるか
「黄信号だ。止まろう」ドカーーーン!!! 追突されて「運転ヘタクソが!」と怒鳴られた…投稿に大反響!?「黄信号は止まるの当たり前だろ」の声も…実際の「黄信号の意味」ってどうなの?
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
店舗に行かずにお家でカンタン新車見積り。まずはネットで地域や希望車種を入力!
みんなのコメント
元祖イソ・イセッタは未だに見た事がない。販売台数とかの多さも有るかもしれませんが、やっぱりBMW製造の方がクオリティーが高かったのかもしれませんね。
グリフォにロードVer.とレーシングVer.が存在するのは、ビッザリーニとイソの社内エンジニアの対立の末、両方のプロジェクトを承認、最終的にはビッザリーニが袂を分かった、というのが真相だったと思います。