芸術品に劣らない美しさを湛えるブガッティ
戦前のブガッティは、芸術作品に劣らない美しさを誇っただけでなく、技術水準も相当に高かった。例えばタイプ35は、1926年から1932年にかけて1000を超えるレースで勝利している。
【画像】ブガッティ・タイプ57 アタランテとS 同時期のタイプ59 シロンとディーヴォも 全115枚
時には複雑な解決策が選ばれたこともあったが、機能美がないがしろにされることはなかった。信頼性は高く、充分な能力を発揮した。
一見何の変哲もない部品でさえ、フランス中西部、モルスアイムに創業者のエットーレ・ブガッティ氏が構えた壮観な工場で、丁寧に作られた。新技術を積極的に採用しつつも、ディティールの仕上げには頑固なまでに拘られた。
モノづくりの才能に長けたエットーレは、イタリア・ミラノの出身。祖父のカルロは家具デザイナーとして名を馳せ、弟のレンブラントは著名な彫刻家だった。現役だった30年間、完璧な仕上がりを追求した数10車種のモデルに、その血筋は表れている。
ところが1939年、最愛の息子、ジャン・ブガッティ氏がル・マン・マシンのテスト中に事故で命を落としてしまう。エットーレは深い悲しみへ沈み、第二次大戦が追い打ちをかけ、華やかだった1つの時代は終りを迎えた。
多忙な父にかわり、1930年代にはジャンが自動車製造のビジネスを実質的に引き継いでいた。クルマのデザインに関しても、受け継いだ才能を発揮しつつあった。それが端的に示された1台が、今回ご紹介するタイプ57だろう。
当時のスポーツカーとしての最高峰
製造期間は1933年から1940年で、公道用ブガッティの理想像といえた。タイプ44以来となる成功作であり、多様な仕様で700台以上が世に出ている。
スーパーチャージャーを搭載したタイプ57Cや、高さが抑えられたシャシーのタイプ57Sとタイプ57SCは、当時のスポーツカーの最高峰にあった。75SCでは最高出力200ps、最高速度193km/hを実現していた。
エンジンは同社自慢の直列8気筒ダブル・オーバーヘッド・カム。排気量3257ccのオールアルミ製で滑らかに回転し、ウェットサンプ化されていた。カムシャフトはギアドライブで、新開発のクランクも組まれた。
4速マニュアルのトランスミッションは、エンジンと一体。1速を除き、変速時にギアの回転を調整するシンクロメッシュを備え、乾式クラッチを介してパワーを伝えた。
優れた重量配分などを理由に、ブガッティは改良を加えながらリジットアクスルに拘った。そのアクスルは、フロントが半楕円、リアが1/4楕円のリーフスプリング・サスペンションで支持。ブレーキは、ガーリング社による油圧式が採用された。
グリスポイントは21か所以上といわれ、走行800km毎のメンテナンスが求められた。ジャンはモルスアイムからパリまでの435kmを平均123.9km/hで走行し、シャシーの能力を証明している。
3つのボディスタイルの名称は、アルプス峠にちなんで選ばれている。ヴァントゥー・コーチとステルヴィオ・カブリオレは、フランスのコーチビルダー、ガングロフ社が製作。ガリビエ・サルーンは社内の職人が成形した。
合計36台中オリジナルボディは3台のみ
4種類目のスタイルとして、1935年に追加されたのがアタランテ。同じくブガッティの工場で、週に4台から8台が生産された。滑らかなテールフィンを背負う、タイプ57 アトランティックとは異なるモデルだ。
同社のデザイン番号は1070番で、ギリシア神話の女神を由来にしたアタランテという名を得たのは、パリ・モーターショーでの公開時。1935年4月の発表時は、フォ・カブリオレと呼ばれていた。
高性能2シーターとして、高級で乗りやすいモデルが目指されていた。現代的に表現するなら、グランドツアラーといえる。
シャシーは、技術者のジョセフ・ウォルター氏が設計。アルミニウム製ボディには、大きな1枚もののフロントガラスがはめられ、サイドのドアにはティアドロップ形状のウインドウが切られている。長いテールは、滑らかに弧を描く。
1935年には10台が作られ、価格は9万フラン。多くがツートーンカラーに塗られ、7台にはフロントガラスへ迫るほど大きなサンルーフが装備された。同社の特許技術で、ビューロー・ロールトップとも呼ばれている。
最終的には、1938年までに合計36台のタイプ57 アタランテが生産された。サンルーフが装備さたのは10台で、オリジナルのボディをまとったのはシャシー番号が57330と57401、57432の3台のみだった。
今回ご登場いただいたのは、57432番。1936年7月13日にブガッティの工場を旅立っている。記録には、「クーペ・アタランテ、57432/315、ブラックとアイボリー、タン・レザー」と残されている。
1948年に施された徹底的なレストア
オーダーしたのは、フランスの宝石商でブガッティを愛したチャールズ・ジョセフ・オリベロ氏。マルセイユで代理店を営んでいた、元レーシングドライバーのガストン・デスコラス氏が販売している。登録は1936年7月24日。ナンバーは8357 CA 8だった。
1938年7月、オリベロはフランスで開かれたラリー・デ・ザルプに参戦。だが、シャモニーからニースへ走るステージでリタイアしている。
翌年、オリベロはタイプ57C ガングロフ・ロードスターを注文。アタランテは、メカニックのエミール・ルヴェイエ氏を1度経て、第一次大戦のエースパイロットとして名を馳せたレオン・ジヴォン氏が買い取った。
ラリー・イベントにも積極的だった彼は、1939年7月13日のラリー・デ・アルプ・フランセーズへ参戦している。完走していないようだが。
第二次大戦が勃発する直前の1939年8月25日に、7262 CB 1のナンバーを取得。マルセイユで、ジヴォンの移動手段になった。
大戦が始まり、アタランテは一時消息不明になるが、1948年6月に実業家のルディ・クルース氏が救出。オリジナルのエンジンは残っていたものの、547番が振られた新しいエンジンへの換装を含めた、徹底的なレストアへ移された。
1949年4月まで、アタランテはルクセンブルクのコーチビルダー、ジョス・メッツ社とガレージ・ロル・ランバート社に預けられた。ヘッドライトが低い位置に備わる、クーペボディを整えるために。新しいトランスミッションも組まれた。
過去にはアフリカ・コンゴを走ったことも
仕上がったアタランテを、クルースは積極的に運転した。ナンバーをL 5289に付け替える際、登録書類には新しいエンジン番号と一緒に、57432から57547へシャシー番号が誤って記載されたようだ。
1950年11月、ベルギーの建築家、アルバート・ジャン・ド・レイ氏が次のオーナーに。彼は、当時ベルギー領だったアフリカのコンゴへ持ち込み、現在のルブンバシ、エリザベートヴィルで普段使いした。
その時点で、アタランテはエンジンの始動性が悪いという問題を抱えていた。ブガッティの工場へ戻しても、解決できなかったという。
10年後にコンゴは独立を果たすものの、ベルギー軍が介入し内戦が勃発。1963年にクルースの自宅も襲われるが、不調だったアタランテは偶然にも一発で始動し、アルバートはザンビアへ逃れることができた。
無一文状態でベルギーへ戻ったアルバートは、再びクルースへアタランテを売却。彼はL 4005のナンバーで登録し直し、10年間ほど維持した。
1970年代を迎えると、ロイヤル・ブガッティ・ナイトクラブを経営するガストン・グレヴァン氏が受け継いだ。ボディはイエローとダークブルーのツートーンへ塗り替えられたが、ナンバーは変わっていない。
1974年の自動車イベントで、グレヴァンはタイプ57を探していたルシアン・メッテ氏と面会。2人の護衛を連れ、現金一杯のスーツケースを持って登場し、売却せざるを得なかったという。カーコレクターのモーリス・タイセレンク氏が手配した人物だった。
この続きは後編にて。
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