12月26日に65歳の誕生日を迎えたエイドリアン・ニューウェイは、伝説的なデザイナーとしてF1で輝かしい実績を残してきた。
ニューウェイはレッドブルの同僚たちとともにRB19を開発し、22戦中21勝を挙げて2023年のF1コンストラクターズチャンピオンシップとドライバーズチャンピオンシップの両方を制覇した。
■レッドブル、シーズン全勝じゃなきゃ満足できない? フェルスタッペン「低速域と縁石は僕らの弱点……来季に向けて改善しなきゃ」
しかし、伝説的なデザイナーが貢献したチャンピオンシップはこれが初めてではなく、14台のマシンがタイトルを獲得している。ここではウイリアムズ、マクラーレン、レッドブルで彼が手がけた14台のチャンピオンマシンを紹介しよう。
ウイリアムズ FW14B
1992 F1 コンストラクターズチャンピオン(10勝)
1992 F1 ドライバーズチャンピオン - ナイジェル・マンセル(9勝)
1992 F1 ドライバーズランキング2位 - リカルド・パトレーゼ
ニューウェイが手がけ、初めてチャンピオンを獲得したマシンは、F1史上最も伝説的なマシンのひとつである。FW14Bは1992年に16戦中10勝を挙げ、ウイリアムズはドライバーズランキングで1-2フィニッシュを果たし、ナイジェル・マンセルが自身唯一のF1タイトルを獲得した。
ニューウェイはウイリアムズのチーフデザイナーだったが、この年の成功の鍵となったのはFW14Bのアクティブサスペンションだったといえる。これは走行状況に応じて車両の上下動を制御するサスペンションシステムで、コーナーでの安定性を向上させ、ストレートでの空気抵抗を減らすのに役立った。
空力面では先代FW14とほぼ変わらない。ただ、アクティブサスペンションの投入に伴い、フロントサスペンションのアクチュエータを収めるバルジが追加されているのが特徴だ。
ルノーV10エンジンを搭載し、トラクションコントロールも含めたハイテク武装のFW14Bは、まさにF1史上最も革新的なマシンのひとつとなった。
ウイリアムズFW15C
1993 F1 コンストラクターズチャンピオン(10勝)
1993 F1 ドライバーズチャンピオン - アラン・プロスト(7勝)
1993 F1 ドライバーズランキング3位 - デイモン・ヒル
FW14Bが火をつけたことにより、1993年のF1はハイテク競争が激化したが、FW15Cはその最先端を走っていた。アラン・プロストはFW15Cを”小さなエアバス”と表現し、アクティブサスペンション、トラクションコントロール、パワーステアリング、アンチロックブレーキなど、様々なエレクトロニクスが搭載されていた。
また、ライバルであるマクラーレンやベネトンが使用するフォードV8よりも80~100馬力高いルノーV10エンジンとともに、ニューウェイとウイリアムズはFW15Cのエアロダイナミクスを最大化した。
この結果、ウイリアムズは16戦中10勝を挙げ、プロストは自身最後である4度目のドライバーズタイトルを獲得した。
ウイリアムズFW16
1994 F1 コンストラクターズチャンピオン(7勝)
1994 F1 ドライバーズランキング2位 - デイモン・ヒル
1994 F1 ドライバーズランキング8位 - デビッド・クルサード (計8戦)
1994 F1 ドライバーズランキング9位 - ナイジェル・マンセル (計4戦)
1994年はコンストラクターズチャンピオンに輝いたにもかかわらず、ニューウェイとウイリアムズにとって信じられないほど悲しい年となった。引退したプロストの後任にはかつてのライバル、アイルトン・セナが指名されたが、セナはシーズン第3戦のイモラで事故死してしまったのだ。
ニューウェイの自伝『How to build a race car(レーシングカーの作り方)』で説明されているように、この事故はいまだに彼に「罪悪感」を与えている。それは彼が「マシンの空力特性を台無しにしてしまった」と考えているからだ。
アクティブサスペンションを含めたハイテク武装が禁止されたため、通常のパッシブサスペンションに戻すことになったが、FW16は非常に狭いセットアップウインドウに苦しみ、序盤からドライビングが難しい状態だったのだ。
しかしその後、新型フロアとボディワークの改良を含む大幅なアップグレードが施され、ウイリアムズは残り9戦中6勝を挙げる。
こうしたシーズン後半の好調により、ウイリアムズはコンストラクターズタイトルを獲得。ただ、ドライバーズタイトルではデイモン・ヒルがミハエル・シューマッハー(当時ベネトン)に1ポイント差で敗れている。
ウイリアムズFW18
1996 F1 コンストラクターズチャンピオン(12勝)
1996 F1 ドライバーズチャンピオン - デイモン・ヒル(8勝)
1996 F1 ドライバーズランキング2位 - ジャック・ビルヌーブ
FW18もまた、ウイリアムズとニューウェイによって生み出された圧倒的なマシンである。1996年、ニューウェイは現代のF1に残るデザインを生み出し、ドライバーはコックピット内で寝そべるような体勢となり、頭を低く、ペダルを高くした。
これによりマシンの重心が下がり、ウイリアムズのエアロダイナミクスはライバルを大きく引き離した。さらに、強力なルノーV10エンジンのおかげもあり、ヒルは全戦で予選フロントロウを獲得する速さを見せた。
ウイリアムズFW19
1997 F1 コンストラクターズチャンピオン(8勝)
1997 F1 ドライバーズチャンピオン - ジャック・ビルヌーブ(7勝)
1997 F1 ドライバーズランキング2位 - ハインツ=ハラルド・フレンツェン
FW19は、ニューウェイがウイリアムズで開発に携わった最後のマシンだ。ニューウェイは1997年シーズン開幕前にマクラーレンに移籍し、その後、ジェフ・ウィリスがニューウェイの仕事を引き継いだ。
よりコンパクトになったギヤボックスが特徴だが、最大の変化は軽量な新型ルノーRS9エンジンの導入だった。重心も従来のエンジンより14mm下がっている。
このような変更により、ウイリアムズはニューウェイが設計したマシンで再びチャンピオンを獲得。ジャック・ビルヌーブがドライバーズタイトルを獲得し、コンストラクターズ選手権もフェラーリに21ポイント差をつけてチャンピオンとなった。
マクラーレンMP4/13
1998 F1 コンストラクターズチャンピオン(9勝)
1998 F1 ドライバーズチャンピオン - ミカ・ハッキネン(8勝)
1998 F1 ドライバーズランキング3位 - デビッド・クルサード
マクラーレンに移籍したニューウェイが最初にデザインしたマシンは、いきなり両タイトルを制する速さを見せた。とはいえ、チーフデザイナーのニール・オートレイが1996年からこのマシンの設計・開発を進めていたため、ニューウェイは手を加えた程度だとしている。
1998年に入ってすぐに明らかになったのは、マクラーレンがルールの変更に最もうまく適応していたということだ。
マシンの横幅が狭くなったにもかかわらず、マクラーレンMP4/13のホイールベースは以前とほぼ同じに保たれた。前世代のマシンに近い安定性を優先したのだ。
他のチームもすぐにこのデザインに追随したが、マクラーレンは1998年に16戦中9勝を挙げ、ミカ・ハッキネンが初のドライバーズタイトルを獲得。また、この年は現時点でマクラーレンがコンストラクターズ選手権を制した最後の年となっている。
マクラーレンMP4/14
1999 F1 コンストラクターズランキング2位(7勝)
1999 F1 ドライバーズチャンピオン - ミカ・ハッキネン(5勝)
1999 F1 ドライバーズランキング4位 - デビッド・クルサード
強力なメルセデス・エンジンを搭載したMP4/14は1999年グリッド最速のマシンとなり、ハッキネンは全16戦中11戦でポールポジションを獲得した。エアロダイナミクスもMP4/13より進化していたが、マシンには欠点もあった。
それは信頼性だ。この年、マクラーレンはメカニカルトラブルで12回もリタイアを喫し、フェラーリとのコンストラクターズ選手権争いに敗れた。マクラーレンは最終的にランキング2位に終わったが、ハッキネンがドライバーズタイトルを連覇。ニューウェイがデザインした7台のマシンが1990年代にタイトルを獲得したことになる。
複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!
愛車を賢く売却して、購入資金にしませんか?
複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!
愛車を賢く売却して、購入資金にしませんか?
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
みんなのコメント
ヒルじゃなくてクルサードでしょうがよ。
CG901やティレル019みたいに非力でも上位に食い込めるマシンが好きだった。