先日デビューを飾った、話題のマセラティMC20はブランドDNAを継承し、さらには半世紀前に誕生したボーラのコンセプトを受け継いでいると言えるだろう。そこで、「イタリアのクルマたちにまつわる人や出来事など、素晴らしき“イタリアン・コネクション”を巡る物語」では、そのユニークなミドシップ・モデル、ボーラの歴史を紐解いてみよう。
MC20はボーラのコンセプトを受け継いだ
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9月9日にはマセラティから待望のミッドマウント・エンジンモデルのMC20がデビューを飾った。私はモデナにてその瞬間を取材することができたのだが、果たしてこのニューモデルからは彼らの本気を感じた。
このモデルに関することは追ってじっくりと書かせて頂こうと考えているが、なによりMC20はまさにマセラティGTの本質をしっかりと抑えており、今から半世紀前に誕生したマセラティ ボーラのコンセプトを余すことなく受け継いでいたと筆者は思う。革新的でありながらも、エレガント、そしてGTとしての実用性を少しもないがしろにしてはいない。マセラティスタとしては、このニューモデルがしっかりとマセラティDNAを継承してくれていることに大いに安堵した。
このコロナ禍のもと、予定していた5月からこの9月へと延期されたイベントであるが、万全な体制で400人余りの関係者を招き壮大に行われた。ここで明らかにされたのは、MC20のみならず、モデナの地に開発資源を集中させ、マセラティの新時代を築いていくことへの決意でもあった。
ユニークな存在のモデナ産スーパースポーツ
さて、今回の主題はそのマセラティ市販モデル初のミッドマウント・エンジン・モデルとして1971年にデビューを飾ったボーラだ。
ボーラは、イタルデザインを設立したばかりのジョルジェット・ジウジアーロの手による時代の最先端を行くクリーンなウェッジシェイプデザインを採用した優雅な2座モデルだ。ホイールベースは2600mm。運動性能を追求するミッドマウント・エンジンのモデルとしては長いものであった。ちなみに、ランボルギーニ カウンタックは2450mmでありランチア ストラトスに至っては2180mmしかなかった。この数値が示すように、ボーラはスーパースポーツとは異なる新しいポジションのGTを目指して作られた。十分なキャビンスペースとラゲッジスペース、そしてノイズや振動などあらゆる面の快適性において、従来のFRモデルを凌ぐものであることが要求されたのだ。
マセラティ初の四輪独立サスペンションとモノコックボディ(車体後部にはサブフレームがインシュレーターを介してマウントされた)を採用し、ギブリ譲りのV8を、ギブリがSSモデルとして4.9リッターを採用していたのに対して、このボーラはあえて4.7リッターエンジンを搭載し、縦置きレイアウトで、ZF製の5段マニュアル(5DS-25)と組み合わされた。ボーラは当時のモデナ産スーパースポーツの中でもユニークな存在であったことは間違いない。
Maserati S.p.A. / Noris“少し地味なキャラクター”の理由とは
日本においてもスーパーカーブームのとき、ボーラは“少し地味なキャラクター”としてその存在はよく知られていたが、クルマ自体に関する情報やインプレッション記事などは限りなく少ない。その理由の一つは1971年に発表され1978年まで販売されたと公式には発表されているものの、実際は1975年初頭までというごく短期間にしか、しっかりした販売は行われなかったことにある。結果的に五百数十台が生産されたのみであった。なぜなら1975年に、当時マセラティの株主であったシトロエンがその経営から手を引いてしまったため、マセラティの資産が凍結状態となり操業停止に追い込まれたからだ。
それから後はマセラティのCEOに任命されたアレッサンドロ・デ・トマソのコントロール下に置かれるのだが、「アレッサンドロ・デ・トマソとは何者であったのか?」でも書いたように、当時のデ・トマソ・アウトモビリとしてのメイン・ビジネスは北米以外のテリトリーへパンテーラを売ることであった。となると、同じカテゴリーに属するボーラは競合モデルとなってしまう。それは決して大きいとはいえなかったマーケットの規模からして好ましくなかった。それに、1973年10月の第一次オイルショックのために、スポーツカーの需要は激減してもいたのだから……。
このため、アレッサンドロは、パンテーラの競合となるボーラの熟成をストップさせ、より安価な小排気量モデルであるメラクを、シトロエン製のコンポーネンツを排除して作り続けることにした。
また、ボーラというモデルのコンセプトも、いま一つはっきりプレゼンテーションされていなかった。マセラティとしては保守的な傾向の従来からの顧客にはFRのギブリ(初代)をフラッグシップ・カーとしてアピールし、革新的なボーラは新しい顧客層を開拓するための武器にしようと考えていた。しかし、旧態化したギブリが4.9リッターエンジンであるいっぽう、新しいボーラが4.7リッターエンジンで格下というのはわかりにくかったし、何よりもシトロエンのテクノロジーが採用されたことがあまりに強調されてしまった。つまり、このボーラは純粋な“イタリアン・エキゾチックと言えるのか? ”という疑問がついてまわったのである。
Maserati S.p.A. / Norisまつわるエピソードは“嘘だらけ”
クラシック・シトロエン乗りの皆さんやメカニックにとってはボーラ程度の“LHM度”など実はたかが知れている。ボーラにおいてはステアリングやサスペンションなどはコンベンショナルなものが使われており、クルマを動かすのにLHMという独特の鉱物油が必要なのはブレーキくらいだ。(専門書でもクラッチがLHMオイルによる作動などと間違えているケースがあるが……)。そもそもボーラはエンジンが止まるとブレーキが利かなくなり、そのまま壁に激突などという都市伝説は大嘘だ。ブレーキシステムは2系統が完全に独立しており、万が一、どこかの回路が破裂したとしてもバックアップが行われる。ブレーキ等に使われるLHMオイルはエンジンが駆動するポンプによって高圧となり、アキュムレーターに蓄えられるが、そのポンプが壊れようとも100回程度ブレーキを掛けることは可能とされている。しかし、そんな“LHM怖し”というイメージによってボーラを積極的に走らせるオーナーが少ないものも残念ながら事実だ。しかし、くどいようだが、ボーラに使われたLHMオイルを使ったブレーキ廻りを過剰に恐れる必要はない。追って話すが、大きなメリットもある。なんで、お前はそんな太鼓判を押せるのかと、思われる方もいるかもしれないが、私はそのボーラを30年以上にわたって所有し続けているからなのだ!
よく語られるのは、ボーラは新たに筆頭株主となったシトロエンから命じられて企画したものであり、LHMなどもその採用をシトロエンから強いられたというようなエピソードだ。経営的に危機を迎えていたマセラティはシトロエンを必死の思いで迎え入れ、まさにその“しもべ”となったそんな状況下でボーラが生まれたかのように……。しかし、これも事実ではない。シトロエンがオルシ・ファミリー率いるマセラティと接触を始めたのは初代ギブリが発表された1966年、まさにマセラティ黄金時代のさなかであった。では、なぜフランスの大衆車もつくる前衛派のメーカーとイタリアのスーパーカー・メーカーに接点が生まれたのか? ボーラ誕生のストーリーは、そこにさかのぼらねばならない。(続く)
文・越湖信一 photo : MASERATI S.p.A Shinichi Ekko 編集・iconic
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