充実装備と安い価格で英国に参入
執筆:Simon Hucknall(サイモン・ハックナル)
<span>【画像】ソ連の大衆車 モスクヴィッチ/ヴァルトブルク/ラーダ 今でも買えるニーヴァも 全92枚</span>
撮影:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)
1970年代の英国の朝。新聞の広告へ目を通すと、威勢の良い見出しが目に飛び込んできた。「モスクヴィッチ、レース初シーズンで総合優勝」。驚いて、喉に朝食を詰まらせそうになった紳士もいたことだろう。
実際、全29戦が繰り広げられた1973年の英国グループ1プロダクション・サルーンカー・チャンピオンシップに、モスクヴィッチ412がノミネート。ほぼノーマル状態にも関わらず、28戦で勝利を収めていた。
そんな好戦績を残したサルーンの価格は、717.38ポンド。784ポンドでBMCミニを購入したばかりだと嘆いた人も、いたとか、いなかったとか。
レースで圧倒的な強さを残した理由は、モスクヴィッチ412の破格の値段にある。そのレースの参戦クラスはエンジンの排気量ではなく、公道モデルの定価で分けられていたためだ。
1.5Lエンジンを搭載する412は、トニー・ランフランチ氏のドライブで、排気量の小さいBMCミニやヒルマン・インプと戦った。格違いの戦いとなっても当然といえた。
フォードや英国オペルのヴォグゾール、オースチン、モーリスといったファミリーカー・メーカーが、日本からの安価な輸入車に押されていた1970年代。そこへ、東欧からも強敵が参入してきた。
今回取り上げる、モスクヴィッチにヴァルトブルク、ラーダといったクルマたちだ。ミドルサイズのサルーンでありながら、価格はミニ並みに安く、英国人を誘惑する充実した装備も搭載していた。
1950年代のデザインに不安定な走り
2段階スピードのワイパーにバックランプ、ロック式の燃料キャップを備える、5シーターのサルーンが、中古車並みの価格で購入できた。産地や銘柄を気にしなければ、冷戦時代の英国ながら、訴求力のあるファミリーカーを新車で選べた。
1969年から1973年にかけて、モスクヴィッチ412は、ステーションワゴンなども含めると1万4500台が英国で売れている。輸出名はモスクヴィッチ1500で、ロンドン郊外の家庭にも浸透したモデルといえた。
製造は当時のソ連、モスクワを拠点としたAZLK社。デザインは古臭さを隠せなかったものの、広々とした車内が特長だった。オールアルミ製のエンジンは最高出力81ps。SOHCの4気筒で、BMWのクロスフロー・ユニットを真似たものだ。
サスペンションはフロントにダブルウイッシュボーン式を採用し、アンチロールバーも装備。0-97km/h加速は15.3秒、最高速度は148km/hと、当時のフォード・コルチナを凌駕した。加えて、1年間か1万6000kmの保証も付いていた。
一方、英国の自動車メディアの評価は振るわなかった。ある雑誌では1973年にモスクヴィッチ1500を試乗し、価格に対する動力性能の高さ讃えた。だがスタイリングと実際の走りには、辛口な内容でまとめている。
「見た目の雰囲気は、1950年代の不完全なデザイン。ステアリングは漫然としていて、サスペンションは減衰力が不十分です。速めのコーナリングでは、ボディロールが大きく不安定になります」
だが、購入を考えている多くの人には、さほど響かなかったようだ。破格の値段に惹かれていたのだから。
2ストローク3気筒の991cc
同じ頃に、英国へやって来たのがヴァルトブルク。モータースポーツでの活躍はなく、話題の中心にはならなかったかもしれない。それでも353は、現代的な雰囲気のボディに妥当なメカニズムを内包していた。
ご登場願ったターコイズブルーのヴァルトブルクは、今回の3台のなかでは最もデビューが古い。1976年の販売終了まで、殆どデザインに変更を受けず生産が続けられている。
製造は、当時の東ドイツに存在していたVEBオートモビルヴァーク社。創立は1898年と古く、ヴァルトブルクというブランド名はアイゼナハに存在する古城に由来している。
353は、英国ではナイトという車名が与えられ、モダンなデザインが特徴だった。エンジンは同時期のDKWやサーブが採用していたものに似た、2ストローク3気筒の991ccだが、共通性はない。
ヴァルトブルク・ナイトは前輪駆動で、最高出力は45ps/4200rpmと、今回の3台では最も非力。ところが燃費も一番悪く、1967年のAUTOCARの試乗では、8.7km/Lだったという記録が残っている。
モノコック構造ではなく、フレームとボディは別体。ボディの骨格に外装パネルがボルトで固定され、フレームシャシーに載っている。
反面、セミトレーリングアーム式の独立懸架となる、リア・サスペンションは現代的。モスクヴィッチとラーダは、リアがリジッドアスクルだった。
英国へ輸入が始まったのは1967年から。左ハンドル車ながら、サルーンのナイトとステーションワゴンのナイト・ツーリストは、約2万台が売れている。
フィアット124のライセンス生産モデル
欧州での排出ガス規制が厳しくなり、2ストローク・エンジンは1988年に終了。マイナーチェンジを受け、フォルクスワーゲン・ゴルフ用の1.3L 4ストローク・エンジンに置き換えることで、さらに3年間製造されている。
VEBオートモビルヴァーク社はヴァルトブルク・ナイトの生産開始にあたり、英国仕様の部品を調達するため、当時700万ポンドもの投資を行った。バッテリーやクラクション、タイヤ、シートや内装素材などを、英国から輸入する計画だったという。
ところが、冷戦の悪化でソ連による政治的圧力が上昇。1968年には、すべての部品や素材を現地で調達することが求められた。今回のヴァルトブルクは、生産開始から間もない頃のナイト。7番目か8番目に輸入されたクルマで、英国製の内装で仕立てられている。
最後の1台は、恐らく最も知っている人が多いだろう。VAZ社によって1970年に製造が始まった2101で、欧州ではラーダ1200として販売された。
本来はフィアット124のライセンス生産モデルで、ロシア市場に合致するよう、多くの改良が施されている。合計800か所以上の変更が加えられているという。
なかでも目玉といえたのが、トリノ製のオーバーヘッドバルブ1.2Lエンジンを、ロシアのエンジン研究所、NAMIによって開発された新ユニットへ交換したこと。排気量は同じだが、ボアとストロークを変更し、シングル・オーバーヘッドカム・ヘッドを載せている。
このユニットは、ラーダにモータースポーツでの活躍の可能性を与えた。
この続きは後編にて。
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