ロードレース世界選手権500ccクラスで3度チャンピオンに輝いたウェイン・レイニーだが、彼は激しく競い合ったライバルのケビン・シュワンツのタイトルの“とてつもなさ”が十分な評価を受けていないと考えている。
現在はMotoGPと呼称されているロードレース世界選手権。しかしかつてこのシリーズは、WGP(世界GP)と呼ばれていた。そしてそのWGP時代の1980年代後半から1990年代前半にかけてのレイニーとシュワンツの戦いは、モータースポーツにおいて最も象徴的なライバル関係のひとつだろう。
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1990年から1992年にかけて、レイニー(当時ヤマハ)は3年連続でチャンピオンを獲得。翌1993年にはシュワンツ(スズキ)が初のチャンピオンに輝いた。
この1993年シーズンで、両者は共に4勝を記録。シュワンツは開幕から9戦連続で表彰台に上がる活躍を示し、レイニーと激しくタイトルを争った。
しかし残り3戦となった第12戦イタリアGPでアクシデントが発生した。レイニーはレース序盤にハイサイドを喫してクラッシュ。これで頚椎損傷の重症を負うと、下半身不随の障害が残ることになってしまった。そしてこの年のタイトルは、レイニー不在のもとでシュワンツが獲得することになった。
レイニーは英国Autosport誌の特集記事で、シュワンツに対し優位に立つために何が必要だったのかを語っている。さらに彼は、1993年のシュワンツによるタイトル獲得は、周囲からさらに評価を得るに値するものだと語っていた。
「私は彼に諦めて欲しかった。それから自分が彼を倒せば倒すほど、彼も私をコンスタントに打ち負かすのは難しいと分かるだろうと思っていた。それが私のやっていたことだ」
レイニーはそう語っている。
「私はチャンピオンシップを勝つための走りをしていたが、同時にケビンにそう思わせようとしていた。なぜならケビンがバイクの問題を解決し、走りをまとめてコンスタントに乗れるようになったなら、彼は私にとって大きな脅威になると思っていたからだ」
「ケビンには、チームメイトと同じように接していた。最初に勝ちたいと思うのは、当然自分のチームメイトだ。チームメイトに勝つことができれば、問題はない」
「でもチームメイトが私の前でゴールすれば、バイクのせいにすることはできない。そして、テストも通じてチームメイトの前に立ち、それが彼らにどういった影響を与えるかを見ることで、彼らの力を削げることを理解したんだ」
「だから同じことをケビンにもしようとしていた。だが彼は本当に強かった。彼は私に対抗してレースするたびに強くなっていたと思う」
「最終的に、彼は1993年にあそこまで来て、そしてとてつもない仕事をやってのけた。あの年に彼の行なった素晴らしい仕事が、人々から十分な評価を受けていないように私は思う」
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みんなのコメント
マシンが劣っていても全力で立ち向かい、限界まで性能を引き出す姿に当時感動しました。
マクラーレン時代にバトンに負けてチームとマシンに文句言ってたチャンピオンとは全然違う。
ライバルの実力をきちんと評価し、尊敬して戦い続けることが出来るレジェンドは人間的にも偉大。
8耐でレイニーのヘルメットで走行したシュワンツにも痺れました。
本当に素晴らしいレジェンド達です!