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2015年ル・マン24時間、ニッサンが犯した“アメリカで製造するという過ち”【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

2015年ル・マン24時間、ニッサンが犯した“アメリカで製造するという過ち”【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

 スーパーGTを戦うJAF-GT見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。

今回は2015年にWEC世界耐久選手権第3戦として開催された第83回ル・マン24時間レース。アウディ、ポルシェ、トヨタがしのぎを削ったLMP1クラスにニッサンがGT-R LMニスモで参戦した大会です。コリンズは特にGT-R LMニスモの製造品質に衝撃を受けたようです。

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 2015年のル・マン24時間はアウディ、ポルシェ、トヨタがつねに激しい戦いを繰り広げ、まさにスリリングなレースとなった。しかし、メディアの注目の大部分はもうひとつのマニュファクチャラーの取り組みに注がれていた。ニッサンの取り組みに、だ。

 ニッサンによるスポーツカーレース最高峰への復帰は、大々的なプロモーションが行われた。2012年に行ったデルタウイングとのプロジェクトがどれだけメディアの注目を集めたかを認識したニッサンは、新マシンについても従来の枠に縛られない形にすると決めた。

 同時にメディア対応についても他社とはまったく異なるアプローチを取ることにした。厳格な秘密主義をとるドイツのマニュファクチャラーと違い、ニッサンはすべてをオープンにし、メディアやファンをガレージに招き、公に開発を行なったのだ。当時、これは非常に新鮮な取り組みであり、後にほかのマニュファクチャラーも追随することになった。

 そんなニッサンの取り組みの一環として、私はニスモが展開するレース番組『NISMO TV(ニスモTV)』の司会を務めるよう依頼された。その番組ではピットレーンやガレージを映すだけでなく、3台のGT-R LMニスモに装着されたオンボードカメラの映像を放送することになっていた。

 その模様はYouTubeを通じてライブ配信された。だが配信自体はレースのみをカバーしていたので、私は英語放送のコメンテーターを務めつつ、雑誌やモータースポーツ系ニュースサイトのレポーターとしての仕事も行った。

 また、あの年はLMP2クラスに童夢S103で参戦していたストラッカ・レーシングとも少し仕事をしていた。彼らはチームのプレスキットやプレスリリースについて力を借りたいと言ってきたのだ。

 当時チームが組んでいた広告代理店は童夢のことや、私の個人的な知り合いである鮒子田寛さんのような重要人物をあまり知らなかったからだ。ストラッカとの仕事は楽しいものだったが、ル・マンに向かうころには役目を終えたので、私はストラッカ・童夢チームの幸運を祈った。

 童夢は開発面で困難に直面しており、2014年は多くのレースに出場できず、デビューを飾ったのは2015年になってからだった。ただ童夢が直面したトラブルも、さらに問題を抱えたGT-R LMニスモと比べれば些細なものだった。

 さて、そのGT-R LMニスモは鳴り物入りで、そしてもっとも注目を集める瞬間にお披露目された。世界でもっとも多くの視聴者を集めるアメリカ最大のスポーツイベント、スーパーボウルでCMを流したのだ。



 スーパーボウルで流れたコマーシャルは奇想天外なシーンの連続だった。なぜ、このコマーシャルのなかでマシンが月面に置かれていたのか、その描写に関する説明はなにもなされなかった。

 そして、このCMでお披露目されたマシンはツインターボV6エンジンをフロントに積んだ前輪駆動車だった。後輪はツインフライホイールのハイブリッドシステムで駆動しされ、四輪駆動を実現する仕組みだ。ハイブリッドシステムはマシンのフロント部分に搭載されていて、マシン中央部に長いシャフトを通し、後輪と複雑に結合されていた。

 マシンデザイナーのベン・ボウルビーがこのレイアウトについて説明してくれた時、私は混乱した。リヤにツインエレクトリックモーターがあった方がシンプルな造りになることは確かだし、扱いもより簡単だろうと私は逆の意見を述べた。

 ボウルビーは私には同意せず、私の言うアプローチだとマシンの重量配分という点で妥協を強いられると語った。

 空力の面でもそのマシンは非常に独特だった。ダウンフォースの大部分を、マシンの前部から後部に通る2本の太いトンネルを通じて生み出していたのだ。私は、このプロジェクトのコンサルティングを務めていた親友のリカルド・ディビラから風洞のデータを見せてもらう機会に恵まれた。

 そのデータを見る限り、マシンのコンセプトが機能していることは明らかだったが、十分に洗練されているわけではなかった。彼は風洞実験でマシンがほぼ反転しかけた様子を、ビデオで見せてくれた。

■ニッサンが犯した“大きな過ち”

 技術上のあらゆる遅れにより、GT-R LMニスモはシルバーストンでもスパ・フランコルシャンでもレースに出場することは叶わなかった。そのためル・マンテストデーが、レース仕様になったマシンを間近に見られる最初の機会となった。

 当日、私はチームのガレージを訪れたが、率直に言えば恐ろしさを感じた。ポルシェ、アウディ、トヨタや、LMP2チームの整然かつ効率的なマシンデザインを見慣れていたこともあり、ニッサンのそれは完全なカオス状態に見えたのだ。

 電装系ケーブルや冷却パイプ、エアダクト、ラジエーター、サスペンションパーツなどがエンジンやトランスミッションの周囲や上部を這うように配置されており、エンジンやトランスミッション周りの作業を行うことはほとんど不可能に思えた。

 私が見た限り、パーツの一部は品質の悪いものに見えたし、車体前部のボディーワークの一部はしっかり装着されていなかった。エンジンルーム内の小さな部品も急造品に見えた。

 この時、私はニッサンがアメリカでマシンを製造するという“大きな過ち”を犯したのだと確信した。個人的な意見ではあるが、アメリカの製造スキルよりもヨーロッパや日本の製造スキルのほうがはるかに高いのだ。

 マシンの品質は非常に悪く見え、私はこのマシンを扱うメカニックを気の毒に思った。彼らがマシンに多くの問題を感じていたことは間違いないからだ。

 そして、その後マシンは見た目が悪いだけでなく、仕上がりも悪いということを思い知らされた。GT-R LMニスモにとって重要なハイブリッドシステムが機能していなかったのだ。

 チームはテスト中になんとかマシンを走らせることはできたが、安定した走りはできていなかった。ル・マンでは結局、ハイブリットを使わないで走ることになったが、システム自体はマシンに積まれたままで、ただのバラストと化していた。結局マシンはエンジンパワーのみの前輪駆動車となってしまった。

 さらに悪いことに、ハイブリッドのエネルギー回生システムも使えないため、ブレーキにも問題が生じ、レース中に4~5回はブレーキ交換が必要になることも分かった。おまけに、その交換作業も手早くできるようには設計されていない。

 加えて、ドライバーは縁石を使わず走るよう指示されていた。サスペンションに十分な強度がなく、縁石を使うと壊れてしまう可能性があったからだ。そのためドライバーは各コーナーでレコードラインを外さざるを得ず、結果的にラップタイムが犠牲になった。

 ル・マン本戦が近づくにつれ、トヨタが総合優勝を飾るには安定した走りと大きな運が必要であることが見えてきた。当時チームが走らせていたTS040は、アウディやポルシェと戦えるほどのレベルではなかったのだ。

 一方、ニッサンが総合優勝を飾るには、奇跡に加え、まったく別のマシンが必要だったと思っている。だが、テストデーのセッションが始まると、3台のGT-R LMニスモは最初にコースへと飛び出していった。

 個人的に、これは印象的な光景だった。3台のうち1台はセッションから数時間前に組み立てが終わり、すぐそばにある飛行場の滑走路でシェイクダウンを終えたばかりだったのだから。

 予選ではGT-R LMニスモの欠点がすぐに明らかとなった。ハイブリッドシステムがなく、縁石を使うことができず、マシンはLMP1クラスで大きな差をつけられて一番遅かった。ポールポジションを獲得したポルシェ919ハイブリッドより1周あたり20秒以上も遅かったのだ。

 実のところLMP2マシンの1台は、組み立てられたばかりの21号車GT-R LMニスモよりも予選で速かった。ここまでのセッションの結果を踏まえ、3台のニッサン勢はLMP2マシン全車の後ろからスタートを切ることになった。

 ル・マンでの予選は水曜日と木曜日の夜に行われる。金曜日には記者会見があり、その日の夜は簡単なパーティーも行われる穏やかな日だ。

 そして、私はレース前に行われたニスモTVのプロダクションミーティングに、ニッサンのPRスタッフと、当時ニスモ・グローバルのブランド、マーケティング、セールス責任者だったダレン・コックスとともに参加した。彼らはル・マンプロジェクトの影の原動力だった。

 我々がYouTubeライブを行うスタジオは、パドックに設営されたニッサンのホスピタリティ内部にあった。ちなみに、このホスピタリティブースも輸送用木箱で作ったかのようなひどいものだった。

 ホスピタリティは、片側には輸送用の木箱が積み上げられ、もう片方にはオフィスとDJブースがあった。そのほか屋外座席エリアや酸素バー(特別な香りをつけた酸素を吸うことができた)や無限にビールが提供されるバーも用意されていた。

 我々はホスピタリティの2階でミーティングを行ったのだが、そこには1階へと伸びるらせん状のすべり台も備えられていた。サーキットでよく見かけるホスピタリティブースというよりも、ナイトクラブかテーマパークのような仕上がりだったが、個人的には面白いと感じていた。

 ミーティングで我々は放送に向けたプランについて話し合った。私はメインホストとしてレース自体とマシンの状況に集中する。あとふたりいるプレゼンターはチームやドライバー、さまざまな有名人にインタビューを行う。すべて理にかなっているように思えた。

 しかし、メインホストを務める身として、私はうまい言い回しを使って難しい質問をしなければならなかった。「もし3台すべてがリタイアしたら、たとえばオープニングラップで大きなクラッシュに巻き込まれたりした場合ですが、その後の24時間私たちは何について話していけばいいのでしょう?」と。

 もちろん、ここで私が本当に問いたかったのは「3台のマシンがすべてメカニカルトラブルに襲われたら、どう対応するか」ということだった。そして、私はその問題に直面すると確信していた。

 しばらく沈黙が続いたあと、ダレンが静かに「LMP2だ」と言った。多くのLMP2マシンがニッサンのVK45DEエンジンを搭載していたから、これも理にかなった対応だった。

 しかし、これはあくまでLMP1を戦う3台のGT-R LMニスモがリタイアしたらの話だった。

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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。

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