1991年から1995年にかけてフェラーリに在籍し、その熱い走りでF1ファンから愛されたジャン・アレジ。彼の息子であるジュリアーノ・アレジは先日、フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)での最後の活動として、数人のFDA生と共にフィオラノでフェラーリの2018年マシン『SF71H』を走らせた。このプライベートテストでジュリアーノ・アレジが付けたカーナンバーは、父がフェラーリ1年目の1991年に付けていた“28”だった。
「私にとっては驚きだった。彼がそんなことまで調べていたなんて思っていなかったよ」
■ジュリアーノ・アレジ、父と同じ”28番”背負ってF1テスト「これでフェラーリとはサヨナラ」
ジャン・アレジは自らにゆかりのある28番を付けて走った息子についてそう語った。
「私の(フェラーリでの)初テストはファンクラブによると1990年の11月15日。彼が30年越しに私がつけていたナンバーで走ったと思うと素晴らしいことだよ」
「彼がフェラーリに乗っている姿を見るのは感動的だったよ! ただ、彼は最初に出ていったドライバーだったので、他のドライバーも後からそのマシンで走ることを考えると、冷たい路面でミスをしてはいけないと責任を感じていたと思う」
「それは簡単なことではなかったと思うが、全てが上手くいったし、彼にとっても良かったと思う」
またジャン・アレジは、このプライベートテストを最後に息子がFDAから離脱することを認めた。ジュリアーノ・アレジはGP3(現FIA F3)時代の2016年からFDAに加入。その後2019年にFIA F2へステップアップし2シーズンを戦ったが、チームにも恵まれず成績は伸び悩んでいた。
「確かにこれで彼のアカデミーでの活動は終了だ。しかしフェラーリとの関係が終わったわけではない。まだファミリーの一員なんだ」とジャン・アレジ。
「それはフェラーリも明らかにしている」
ジュリアーノ・アレジは2021年から日本へと活動の場を移し、スーパーフォーミュラ・ライツに参戦するものと見られている。ジャン・アレジは息子の日本行きも認め、ドライバーが才能を見せつける上で日本は良い環境であると語った。
「ヨーロッパの世界を見てみると、実力主義なんてものは存在しない」
「とにかく金を払うこと、それだけが求められる」
「金を払わないと力を見せられないスポーツなんて世界を見渡してもこのスポーツくらいしかない。クレイジーだ。その点では日本の方がずっと公平だ」
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