1970年代から1990年代前半にかけて、マクラーレンと言えばタバコブランド”マルボロ”の赤と白で塗り分けられたカラーリングを身に纏っていた。その間にジェームス・ハントやニキ・ラウダ、アラン・プロストやアイルトン・セナなど、幾多のスタードライバーがドライブし、F1を代表するマシンカラーリングのひとつであった。
しかし1997年のグランプリからは、それが消えることになった。マルボロは同年から、スポンサード先をフェラーリに一本化。その結果、マクラーレンには別のタバコブランドである”ウエスト”がつくことになった。このウエストは、1980年代後半にはザクスピードを支援していたこともある。
■美しきF1マシン:「メルセデス、F1への第一歩となる漆黒の”始祖機”」ザウバーC12
メインスポンサーがウエストになったことにより、マシンのカラーリングは銀と黒をベースにしたモノに大きく変更。メルセデスのエンジンを積んでいたこともあり”シルバーアロー”を地で行く形となった。
他車と比べれば低いノーズ、そして後に明らかになるブレーキ・ステアリング(リヤのブレーキをコーナーのイン側だけ作動させることで、よりスムーズにマシンの向きを変えるシステム)などを搭載したMP4-12は、高い戦闘力を有していた。開幕戦オーストラリアGPでは、デビッド・クルサードが優勝し、ミカ・ハッキネンも3位に入る幸先の良いスタートを切ったのだ。
この開幕戦の勝利は、1993年最終戦オーストラリアGP以来丸3年未勝利が続いていたチームにとって、久々の優勝となった。ただエンジンの信頼性は低く、その後はリタイアが相次いだ。シーズン途中で投入されたFO110Fスペックは大きくパワーアップしたものの、やはり信頼性は低く、リタイアが続いた。
そんな中でもイタリアGPでクルサードが2勝目。最終戦ヨーロッパGPでは、ミカ・ハッキネンが優勝を果たす。ハッキネンにとってはこれがF1初優勝であった。
マクラーレンのパフォーマンス向上が花開くのは、翌年のことだ。この1997年中には、天才デザイナーのエイドリアン・ニューウェイが加入。さらにこの年F1デビューを果たしたブリヂストンタイヤを1998年から採用……これらの影響もあり、1998年と1999年にハッキネンが2年連続でドライバーズタイトルを獲得することとなった。
なお2011年には、マクラーレンからほぼ同名の市販車”MP4-12C”が発売。そのGT3モデルはスーパーGTなどにも参戦した。
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