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ベントレーモーターズは、2019年7月に創業100周年を迎えた。創業者のウォルター・オーウェン・ベントレーは親しみを込めて「W.O.」と呼ばれた。彼は、馬と馬車が一般的な輸送手段だった1888年にロンドンで生まれた。11人の大家族で育ち、控え目な学校生活を送ったW.O.は、16歳で学校を卒業するとグレートノーザン鉄道で見習いとして働き始めた。しかし、新しい時代に向けて革新に熱意を持ち続け、成功へと突き進んでいった。
内燃機関への興味
鉄道会社でW.O.は、蒸気機関の魅力に取りつかれ、彼の父親はW.O.を英国北部のドンカスターで有償見習い(Premium Apprentice)とするため、決して安くはない75ポンドの費用を投じた。しかしW.O.は、は見習い期間が終わっても職場の序列を登り詰めるまでには何年もかかることに気付き、新しい分野を探すことを決心した。彼には優れた先見の明があり、その興味の先を蒸気機関から急速に発達し始めていた内燃機関に視線を向けたのだ。
W.O.は内燃機関に魅了され、有名なマン島ツーリスト・トロフィーなど全国のレースイベントでモーターサイクルのレースに参加した。彼の兄弟の1人がフランス車の輸入ビジネスを始めたのを契機に、彼もそのビジネスに参加。その後、自身のレースカーのための軽量なピストンを作るために、密かに新しくアルミニウムと銅の合金を作り出した。
その後、勃発した第一次世界大戦中には英国海軍航空隊(RNAS)に委託され、愛国心から自らが開発した軽量ピストンのアイデアを提供した。これにより海軍航空隊はより強力で信頼性の高い航空機用エンジンを生み出すことになった。
W.O.の努力に感銘を受けた彼の上司は、まったく新たなロータリー式航空機エンジンの設計に着手することを許した。彼はイギリス・コベントリーにあるハンバー社の工場で、実験に利用できるすべての施設と、技術者に指示する権限を与えられた。そのエンジンは大成功を収め、ただちに戦時量産体制で製造が開始された。
軍用機エンジンの成功
そのロータリー式エンジンは、有名な戦闘偵察機ソッピース・キャメルの海軍仕様機に搭載されて評価を高めた。この一人乗りの複葉機は、20世紀の航空史上最も有名な航空機の一機となっている。
このエンジンは、当初「アドミラルティ1(Admiralty1)」と名付けられたが、後に創業者を尊重して名称が変更され、「ベントレー・ロータリー(Bentley Rotary)」と名付けられ、また後に「BR1」と命名された。W.O.はさらに開発を継続し、1918年には、その後多くの航空機に搭載されることになる「BR2」を開発し、より大出力(230bhp)の星形9気筒エンジンを製造した。このエンジンは戦後も使用され続け、その後の数年間、世界各地域で活躍した。このエンジンは、軍用の中では最もパワフルなロータリー式エンジンとされている。
ベントレー・モーターズの誕生
革新的なエンジニアとして才能を実証したウォルター・ベントレーは、終戦と同時に自動車の世界へ一歩を踏み出し、彼の名を冠した自動車を造ることにした。戦争が終わると彼が行なった重要な貢献に対して、発明者報奨委員会から8000英ポンドの助成金と大英帝国の勲章MBE:Most Excellent Order the British Empireが授与された。
1919年に、彼は自動車製造会社を設立するためにその資金を使い、自身の夢を実現させた。「速いクルマ、良いクルマ、クラス最高のクルマ」という、彼が何度も繰り返し達成することを目指した、新たな自動車メーカー「ベントレー・モーターズ」がこの時誕生した。
ベントレー・モーターズを設立後、1924年~1930年にル・マン24時間レースで5回優勝を飾るなど、ベントレーの高性能スポーツカーはモータースポーツで性能を実証し、高級・高性能スポーツカーメーカーとして世界の富裕層に好まれる存在となった。
ベントレー伝説の「ブロアー」
戦前のベントレーの象徴的なレーシングカーとして、挙げられるのは「4 1/2リッター バーキンブロアー 1929」だろう。4 1/2リッターエンジンにスーパーチャージャーを装備したこのレーシングモデルは、過給により175hpを発揮した。このブロアーモデルはレース用として5台製造され、さらに当時のレース規定を満たすため、公道走行用の「ブロワーベントレー」が50台生産されている。
1930年のル・マン24時間レースで、この「4 1/2リッター ブロアー」のステアリングを握ったヘンリー・バーキン卿は、メルセデス・ベンツのドライバー、ルドルフ カラツィオラと伝説となる戦いを繰り広げた。ベントレーは、このレースのためにスーパーチャージャーを搭載する3台のスピードシックスでベントレー・チームを編成していた。
バーキンとカラツィオラは、最初から互角の戦いを演じた。結局どちらのマシンも完走することができず、最終的にレースはベントレー スピードシックスが勝利を収めている。
ブロワーにとって最高の場面は、フランスのポーで行なわれた1930年のフランスグランプリで、より車重の軽いブガッティが多く参戦する中、車重2トンもあるベントレーは2位となり、表彰台に上がっている。ブロワーは、現在でもグランプリを走った最も重いレーシングマシンだといわれている。
その後、ベントレーは世界恐慌の影響を受け、ベントレーは経営不振に陥り、1931年に高級リムジンメーカーのロールスロイスに買収される。
ベントレーモーターズはロールスロイスに買収されたため、W.O.は1935年にラゴンダへ移籍し、その年のル・マン24時間レースで勝利を勝ち取っている。一方で、アストンマーティンのディビッド ブラウンはW.O.の才能を見込み、ラゴンダごと買収した。そののち、W.OはアストンマーティンDBシリーズの直列6気筒エンジンを設計している。
分散化したロールスロイス
ロールスロイスとベントレーは、同一のプラットフォーム、エンジン、ボディとなり、2ブランドを展開していた。ロールスロイスはフォーマルカー、ベントレーは高級パーソナル&スポーティカーというブランドポジショニングになった。
そして1971年、親会社のロールスロイス社(Rolls-Royce Limited )は倒産し、イギリス政府の国有企業となった。1973年、航空機エンジン以外のロールスロイス モーターカーズとベントレーの自動車部門は分離され、重機械メーカーのヴィッカース社に売却された。だがヴィッカースは自動車事業を重視せず、1992年にBMWと提携した。
1998年、ヴィッカースはロールスロイスとベントレーを売却することを決定した。当初はBMWグループと交渉し売却するはずであったが、フォルクスワーゲン グループがより高額のオファーを行ない、ロールスロイスとベントレーはフォルクスワーゲン グループの手中に収められたのだ。
しかしヴィッカースから買収を試みたBMWとの間で紛争が生じた。航空機用エンジンメーカーであるロールスロイス ホールディングスは、ロールスロイスのブランドや企業ロゴマークなどの権利は保有していたので話は複雑化した。その当時、ドイツに航空機エンジンの合弁会社BMWロールスロイス社を設立するなど、BMWと協業していた航空機エンジン部門のロールスロイス ホールディングスは、フォルクスワーゲンではなくBMWにブランドや企業ロゴマークの権利を譲渡することを決定している。
その結果、ロールスロイスの本社や工場、固定資産、そしてロールスロイスの企業マスコットであるスピリット オブ エクスタシー、縦格子の入ったフロントグリルのデザインなどロールスロイスのブランドやロゴマークを使用できるのはBMWということになった。一方で、ベントレーブランドはフォルクスワーゲンが所有するという奇妙な状況で、このままでは両社ともにロールスロイス車を生産、販売することができない状態ことになる。
BMW製ロールスロイス
そこでフォルクスワーゲンとBMWは協議し合意することになる。その内容は、1998年から2002年まで、BMWはフォルクスワーゲンによるロールスロイス ブランドの使用を認め、BMW製エンジンの供給を行なう。そして2003年1月1日からはロールスロイスを生産・販売する権利はBMWに移行するという結論になった。
そのため2003年1月にBMWは、ロールスロイス モーターカーズ社をイギリス南部のウェスト サセックス州グッドウッドに設立した。新生ロールスロイスの誕生である。一方、旧ロールスロイス モータースが有していた生産設備、従業員、知的財産などの一切はフォルクスワーゲンが所有し、2003年に設立した現在のロールスロイス モーターカーズは、ブランドと意匠こそロールスロイスの伝統を受け継いでいるが、BMWによる全く新しい自動車メーカーということになるのだ。
逆に言えば、現在のベントレーは、かつてのロールスロイスの本社屋や、多くの職人を含む従業員を受け継いだ企業ということができる。そして最高級コーチビルダーの「マリナー」も現在ではベントレーの特別注文部門「ベントレーマリナー」として存在している。
究極のベントレー
ベントレーは2019年の創業100周年を記念して、新型コンチネンタルに究極のコレクターズバージョンを誕生させた。「コンチネンタル ナンバーエディションbyマリナー(Continental Number Edition by Mulliner)」は、ドライバーのバーキン卿に敬意を表し、そしてモータースポーツ史に輝くベントレーの栄光をインスパイアした伝説の「ブロワー」の記憶を採り入れた、世界で最も豪華なグランドツアラーだ。
それぞれのモデルには、1930年のル・マンを戦ったバーキン卿のレースカーのシートから取り外された木片があしらわれている。コンチネンタルナンバーエディションbyマリナーは、2019年モデルのコンチネンタルをベースに、英国のクルーにあるマリナーの工房で手作業製作されている。
そして、1959年に生産された「ベントレーS2コンチネンタル フライングスパー」は、当時、世界で最も豪華で革新的なサルーンの一台として絶賛された。マリナーの手で丹念に手作りされた美しいこのサルーンは、軽量アルミニウム製V8エンジンを搭載している。
パワフルなこのエンジンは、イギリス製サルーンを究極のグランドツアラーへと変貌させた。また装備はパワーステアリング、電動調整式ライドコントロール、フルオートマチックトランスミッションを標準装備していた。1959年当時としては革新的なエアコンも装備していた。また電熱式のリヤウィンドウデミスターとプッシュボタン式ウインドウリフトを備えいてた。このモデルは、1959年~1962年の間に合計1900台以上が手作業で製造されている。
そしてもう一車種、100周年を記念する限定モデル「ミュルザンヌW.O.エディション」も記念すべきモデルだ。マリナー工房で製造されるこの限定モデルは、創業者「W.O.」の名を冠したビスポークモデルで、ミュルザンヌをベースにした世界100台の限定車だ。
かつてW.O.ベントレーが個人で所有していた8.0Lエンジンモデルは、1930年にベントレーモーターズ最後の設計となるエンジンが搭載され、オリジナルのクランクシャフトから切り出した金属片がインスツルメントパネルに飾られている。
100周年記念書籍
ベントレー100周年にあたり、ベントレー・モーターズは、世界で最も重い豪華書籍「ベントレーセンテナリーブック(Centenary Book)」を発売した。豪華な装丁を施した書籍を専門に出版するオーパス(Opus)社の協力により、ベントレーブランドを愛する人々に興奮と感動をもたらす数量限定の豪華本を制作。この豪華な書籍はラル フローレンの序文から始まり、ベントレーの長い伝統を巡る興奮に満ちた物語が綴られている。
1920年代のル・マンの記念すべき勝利や過去を彩る象徴的なモデル、新世代グランドツアラーの復活、さらに限定仕様モデルの職人技や希少価値に至るまで、全9章、総頁数800ページを超えるベントレーの物語描かれている。
この書籍を開くと、幅が約1mあり重さは約30kgもある。これまでに制作された自動車ブランド物語の中で最も大きなものだ。この数量限定の出版物には、「マリナー(Mulliner)」、「センテナリー(Centenary)」、「100カラット(Carat)」の3つのエディションがある。マリナーは全世界で100部、センテナリーは500部、カラットはわずか7部の限定出版だ。この本には希少性やコレクションとしての魅力があり、さらには長期的に見た投資としても価値があることはお分かりだろう。
英国の専門家たちによって制作、印刷され、さらに手作業で装丁されたこの書籍は、ベントレーの各モデルに使用されているものと同じレザーを使用し、表紙を飾るベントレー ウイングバッジは、すべてのセンテナリーモデルに装着している公式のハンドメイド バッジと同じものだ。この本の購入者は、表紙に自身のベントレーモデルと同じ色のレザーを使った装丁を注文することも可能ということだ。
この書籍の内容には、ベントレーオーパス専用に集められた未発表の図版、貴重な歴史的コンテンツ、写真などの他、幅2mもある特別折り込みページも含まれる。マリナーエディションの注目点としては、象徴的な20インチ× 24インチ(50.8cm×60.96cm)の大きさのポラロイド写真がある。これは各地のランドマークで撮影されたベントレーの10枚の写真で、世界で初めて自動車の写真撮影に使用された世界最大のポラロイドカメラによるものだ。さらに、このベントレーオーパス プロジェクトのためだけに委託された56枚のベントレーモデルの水彩画コレクションや、シルクペーパーに描かれた絵画が含まれている。
ベントレーのレーシングヒストリーを象徴する部分には、2003年のル・マン24時間レースで優勝したスピード・エイト(Speed 8)が装着していた「レース用フロント左タイヤ」で作られた競技用ミシュランのラバーの一片がマリナークラムシェル プレゼンテーションケースの表紙の内側にはめ込まれている。
また特別な装飾の1つとして、「テーラーメード」のビスポーク オプションがある。出版物ならではの特徴で、ベントレー オーパスエディションのスペシャル ビスポークページに、この本の所有者の写真を掲載することができるのだ。つまり、オーナー自身も自分のクルマや大切な思い出を100周年記念のストーリーの一部に含めることができるのだ。
マリナーエディションを購入した場合も、オーナーが自分だけのエディションにするため、自分の大切にしているベントレー モデルカーの写真撮影をオーパス社に依頼することもできる。その他にも独自の個別化オプションとして、希望により所有者の名前をゴールドまたはシルバーでの印刷が選択できる。
この本の3つ目の最も希少で豪華なエディション「100カラット・エディション」は、究極の装丁と装飾が施された最上級の仕上げとなっている。このエディションはなんと100カラットのダイヤモンドで飾られており、各大陸で1冊という意味を込めた7冊限定出版となっている。ベントレーを象徴するウイングバッジは、美しいダイヤモンドを強調するためホワイトゴールドまたはプラチナの縁取りを選択できる。ちなみに価格は2720万円となっている。
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これ、ほぼ100%の人が「9って、なに?」って思うよね。