■ご存知ですか? かつてバイク客で大いに盛り上がっていた通りを
東京の上野と言えば、動物園、美術館、アメ横、西郷隆盛像……その昔、上野には“バイク街”と呼ばれる一大地帯が存在していたことを覚えていますか?
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1980年代から90年代、大勢のライダーが集まっていた通りには、多くのバイク用品店やバイク販売店が軒を連ねていました。あの頃の上野は今、どうなってるのでしょうか。
昭和20年代から上野の“バイク店文化”が始まったと言われています。当時を知る40から50歳代のライダーにとって、真っ先に思い出すのはやはり「光輪(こうりん)モータース」でしょう。昭和通り沿いのバイク街を代表するお店と言っていいほど、一角に複数店舗展開していました。
時は1980年代から90年代のバイクブーム、軒先に出せば物が飛ぶように売れた時代、老舗ブランドにそっくりな商品を購入した人も少なくないはず。現在では考えられない大らかな商品の数々……当時の思い出は尽きません。
バイクブームという時代では、ロードレーサーやモトクロスのトップライダーを大手企業がサポートするなど、バイク業界もモータースポーツ文化に深く携わっていました。
上野ではほかにも、大型用品店の「D’s(ディーズ)」や、目玉のデザインが印象的な「SP忠男」(現在は浅草へ移転)も有名です。多くのお店は今、その場所から消えてなくなり、数店が残るのみとなっていました。
昭和通り西側を上野駅方面から歩き、かつてバイク店が連なっていた辺りまで進むものの、なかなかその面影は見当たりません。「あれ? この辺りからバイクがたくさん並んでいたような……」と、かつての光景を思い出そうとしますが、跡形もありませんでした。
ようやく目に入ってきたのが「バイク流通センター」、そして「ASUKA MOTORS」です。古くからあるバイクショップのようです。
「RABEE(ラビー)」もありました。取材時はお休みのようでしたが、その角を曲がった奥の通りが、あの「光輪モータース」があった場所です。
かつて光輪の店舗が並んでいた通りにはマンションが建ち、駐車場になっていました。休日にはライダーが大勢歩いていたところを、今は主婦やサラリーマンがちらほらと歩いています。当時を知るバイク乗りにとって、このギャップは半端ない……。
さらに上野駅方面へ戻るように歩くと「BIG BEAT Smile Garege」がありました。光輪モータースは2008年に倒産しましたが、その旧店舗を使い元従業員有志が自己資金で設立された会社だとか。当時目立っていた光輪のシンボルらしき跡もあり、懐かしい気持ちになります。
上野にあったバイクの文化は、完全には消えていませんでした。他にも「MORTORCYCLE SCS」、用品店の「Come Come(カムカム)」、「三和モータース」など、今も変わらず営業していたのです。
※ ※ ※
上野から近い秋葉原も、かつては“電気街”としてウォークマンやオーディオ、パソコンや無線などを目当てに買い物客で賑わっていた街でした。それが今は、アニメやゲームファンなどの聖地へ変貌しています。
かつて「バイクの街」だった上野は、時代と共に街の姿は変わりましたが、けして無くなったわけではなく、いまでもバイクショップが点在し、営業を続けているのです。
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