これは自動車博物館に限ったことではないけれど、博物館や美術館では感情移入することでより愉しみが深くなる。例えば自動車博物館だと、そのクルマが現役だったころのバックグラウンドをイメージしながら見て回るのだが、ついつい立ち止まってしまう。
実際に体験していなければ、単なる懐古趣味とは違うのだが……例えば岡山の実家に初めてやってきたクルマは初代パブリカ700(UP10)の中古だったが、博物館でUP10を見つけると、当時の想い出が湧き出てくる。レーシングカーだったら、そもそもが思い入れを持って応援していたから、その傾向はさらに強烈になる。
■『世界のレーシングカー博物館探訪記~百聞は一見にしかず~』:第1回 日本F1の聖地? ホンダ・コレクションホール
高校生の頃からモータースポーツ専門紙の地方レポーターとしてレースを取材し、そのまま件のモータースポーツ専門紙の編集部に就職したのだが、同じフロアの隣の島に2輪スポーツ誌の編集部があり、クルマだけでなくバイクの情報もますます増えていくことになった。実は高校時代には、友人とともにバイクにも興味があったから、2輪スポーツ誌編集部の面々ともすぐに昵懇の関係となった。
そして後で触れるが、白地に赤のストロボ・ラインの入ったヤマハカラーから発展した、黄色地に黒のストロボ・ラインが入った、まるでダンロップカラーのような“キング・ケニー”の愛機にも、後で振り返ってみれば随分と思い入れがあったのだろう。今回紹介するヤマハ・コミュニケーションプラザで出会ったとたん、想いが爆発したのだった。
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前回、国内にある博物館で、世界的に見てもF1マシンを数多く収蔵している博物館として栃木県茂木町のツインリンクもてぎ内にあるホンダ・コレクションホール(HCH)を紹介したが、今回は、ロードレースからモトクロス、トライアルまで、2輪のレース車輌を数多く収蔵展示しているヤマハの企業博物館、ヤマハ・コミュニケーションプラザを紹介していこう。
静岡県磐田市にあるヤマハ発動機の本社ビルに併設されたヤマハ・コミュニケーションプラザは、1998年に開設されている。奇しくも前回紹介したHCHと“同い歳”ということになる。
ヤマハは、楽器メーカーのヤマハ(当時は日本楽器製造)の2輪車部門として誕生し、1954年に“赤トンボ”の愛称で知られる商品第一号、YA-1をリリース。翌55年にはヤマハ発動機として独立している。そして同じく浜松圏を発祥とするホンダ(本田技研工業)と切磋琢磨しながら成長発展を続け、現在ではホンダに次ぐ、世界第2位の2輪車メーカーとなっている。
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みんなのコメント
やはりF1史上最高に美しいマシンとも言われる前年モデル191と比べるとデザイン的に数段劣るのは否めないな
その殆どは造形ではなくカラーリングの問題だけど