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ザ・スワン・ソング……黄金時代の終焉──珠玉の1950年代イタリアンモーターサイクルvol.5

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ザ・スワン・ソング……黄金時代の終焉──珠玉の1950年代イタリアンモーターサイクルvol.5

多くのエンジニア達が最高のバイク造りに試行錯誤していた1950年代は、イタリアのバイク史のなかで最もバラエティが豊かで、エネルギッシュだった時代といえるだろう。そんな”イタリアンモーターサイクルが最も美しかった時代”を、振り返っていきたい。vol.5はモータースポーツに情熱を注いだ、ビアンキとF.B.モンディアルを取り上げる。両者の歴史は少年時代の夢や憧れを昇華し、モータースポーツの栄光を純粋に追求することが、2輪製造業者たちに許された最後の時代の物語と言えるだろう。

モータースポーツで技術力を証明したビアンキ

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イタリアには過去3度、バイクメーカーがブーム的に増加した時期があった。最初の創業ブームは、内燃機関を使った乗り物の産業が欧州に広く勃興した20世紀初頭。2番目は第1次世界大戦後から世界恐慌前までの1920年代。そして最期の創業ブームが、第2次世界大戦後の1950年代である。

またイタリアの自動車産業はトリノ周辺のピエモンテ地域、そして、ミラノ、ヴァレーゼ、パヴィアを擁するロンバルディア州西部、さらにモデナやボローニャがあるエミリア・ロマーニャ州……通称「モーター・バレー」または伊語で「テラ・デイ・モトーレ」(エンジンの国)、と、3つの地域に集中しているのが特徴だが、今回紹介するビアンキとF.B.モンディアルはともにミラノを本拠とする2輪メーカーだった。

「ビアンキ」の名は多くの人にとって、今も人気の自転車ブランドとして馴染みがある。19世紀末の1885年に自転車の生産を開始したビアンキは、1897年にバイクのプロトタイプを製作。そして1899年には自動車部門を設立して4輪乗用車の製造を始めているが、ミラノおよびトリノの地を本拠としていた当時のメーカーの多くが、自転車、バイク、4輪車など複数分野の事業を、同時展開することは珍しいことではなかった。

19世紀のイタリア統一の中核となった、かつてのサルディーニャ王国の首都だったトリノは、イタリアの自動車産業のメッカとなった。そんなトリノを代表するメーカーであるフィアットが、イタリアの自動車生産の半分を担うまでに大きく成長した第1次世界大戦前の時代、多くのイタリアの4輪製造業者はフィアットとの真正面からの競争を避けるべく、高性能スポーツ車などに特化したメーカーへと転身したり、ビアンキのように自転車とバイクの製造に集中するなどの道を選択することになる。

イタリア国内でバイクメーカーが最も急速に増えた時代は、年平均16社がハイペースで設立されていた1916年から1926年の約10年間だった。1926年には、メーカー数が132社にまで達している。そのころビアンキは、ライバルのモトグッツィやガレリなどを相手に性能アピール競争で対抗すべく、それまで本格的には取り組んでいなかったロードレーサーの開発を進めていた。群雄割拠する当時のイタリア2輪業界で生き残るためには、優れた量産車を市場に供給するとともに、モータースポーツでの活躍をとおして技術の優秀性を実証することが肝要だった。

マリオ・バルディ技師が設計したビアンキ製4ストロークDOHC単気筒348ccレーサーは1925年にデビュー。後に4輪ドライバーとして名声を得ることになるタツィオ・ヌヴォラーリは、このマシンを駆りこの年の欧州350ccクラス王者に輝いている。そのカラーリングからフレッチア・セレステ(青き矢)と呼ばれたこの傑作機は、モンツァ・アウトドローモで行われるイタリアGPなどのロードレースだけでなく、長距離街道レースのミラノ-タラントやラリオ・レースでも活躍した。1932年には排気量を拡大した500cc版も登場し、第2次世界大戦によりモータースポーツ活動ができなくなるまで、多くのレースで好成績を残すこととなった。

第2次大戦後の時代も、ビアンキはモトクロス、世界GPロードレース、そしてイタリア国内の長距離街道レースと、モータースポーツ活動を幅広く展開し、1956年のモトジーロ・ディタリアとミラノ-タラントでは、ともに175ccDS(量産車)クラスで見事優勝を飾っている。しかし肝心の公道用量産車の販売合戦ではビアンキの苦戦は続き、あえなく1967年にはバイク事業から撤退することになった。

1946年に創業者のエドアルド・ビアンキが自動車事故で亡くなると、その後は息子のジュゼッペが代を引き継いだ。戦後ビアンキは自転車とバイク事業を再開しつつも、事業の柱として再び自動車製造業者になることを計画していた。そして1955年よりビアンキは、フィアットとタイヤメーカーのピレリと組んでアウトビアンキを設立。だがバイク事業の不振から株式売却を余儀なくされたため、1968年にはアウトビアンキのブランドは、フィアットS.p.A傘下に入ることとなった

“DOHCレーサー”で栄光に輝くF.B.モンディアル

1929年創立のF.B.モンディアルはミラノの会社ではあるが、そのオリジンは「モーター・バレー」の中核都市のひとつ、ボローニャにあった。現在イタリアで最も多くの2輪製造業者が集中しているモーターバレーだが、第2次世界大戦前の時代はバイク生産地域としてトリノ、ミラノに次ぐ3番目の地位にあった。戦争の影響で1945年にはイタリアのバイクメーカー数は4社にまで減少したが、1953年には119社にまで回復。この戦後復興期にモーター・バレーはバイク生産地として急成長し、多くの新興メーカーがこの地を本拠にしたのだった。

創業期の社名の「F.B.」はフラテッリ・ボゼリ=ボゼリ兄弟を意味しているが、社のイニシアチブを握っていたのは兄弟たち……カルロ、ルイージ、エットーレ、アダの父であるジュゼッペだった。ピアチェンツァの地主一家の生まれであるジュゼッペは熱心な2輪モータースポーツ愛好家であり、F.B.創業前から2輪製造業者としてのキャリアをスタートさせていた人物だった。

エミリア・ロマーニャの州都であるボローニャを本拠とするメーカー「G.D.」の共同所有者だったジュゼッペは、同社のマシンでモータースポーツを楽しみ、1935年にはISDT(国際6日間トライアル)でゴールドメダルを獲得する腕前の持ち主でもあった。1923年創業のG.D.(ギラルディ-ダッロリオ)は優れた競争車を作るメーカーとしてイタリアでは知られた存在で、そもそもF.B.モンディアルの前身はG.D.そして1930年創業のC.M.というメーカーのバイクを販売する店として始まった会社だった。

国内のトランスポーター需要増をにらみ、1934年にボゼリ家は買収したボローニャの工場で3輪トラックの製造を開始している。当時ボセリ家と協力関係にあったのは、C.M.の創業者のマリオ・カヴェダニ、カヴェダニとともにC.M.を起業した著名なエンジニアのオレステ・ドルシアーニ、そしてオレステの息子アルフォンソだった。カヴェダニ、そしてドルシアーニ親子はいずれも名ライダーとして活躍するにとどまらず、エンジニアとしても非凡な才能の持ち主であり、ジュゼッペ・ボゼリのモータースポーツ愛好家としての経歴が、優秀な人材である彼らとの縁を結んだわけである。

第2次大戦中の1943年7月24日、F.B.のボローニャ工場は連合軍の爆撃により壊滅することになるが、幸いなことに16日のボローニャ空襲時に危機感を覚えたジュゼッペらは、既に車両や工作機械を避難させていた。しかし戦争によるダメージは軽くはなく、ボゼリ家は再建のために私財の多くを投じることになった。その甲斐あって、1946年から再び3輪トラック生産が再開。戦後の復活に向けての歩みを始めている。

戦後ミラノを本拠とし、開発拠点をボローニャに置いたF.B.は、1948年からF.B.モンディアルのブランド名で2輪メーカーとしての歴史をスタートさせている。戦前からの主力商品だった3輪トラックの製造は1953年に終了することになるが、F.B.モンディアルはそのころには既に、最も優れたロードレーサーを作るメーカーのひとつとして押しも押されもせぬ存在になっていた。

1929年4月のオレステ急逝後、F.B.の技術的支柱の立場を担うことになったアルフォンソ・ドルシアーニは、1948年1月にボローニャのカフェにてジュゼッペに自身の「構想」を話したと伝えられている。それは再開されたモータースポーツの舞台で、権勢を誇っていたMVアグスタやモトモリーニの2ストローク125cc単気筒に対抗可能な、ビアルベロ=DOHC機構採用の4ストローク単気筒ロードレーサーの開発計画だった。

ジュゼッペの全面支援により、早くもアルフォンソは1948年半ばにはDOHC125ccレーサーの試作車を完成させた。そしてF.B.モンディアル初のDOHC125ccレーサーは、同年のイタリアGPに出走。この時は燃料タンクからの燃料漏れというマイナートラブルでリタイアを強いられたが、1949年から始まった世界ロードレースGP(現MotoGP)125ccクラスで、F.B.モンディアルのDOHC125ccレーサーは全戦全勝(3勝)という圧倒的な強さを披露。2勝をあげたネロ・パガーニが、記念すべき初代GP125ccクラス王者に輝いた。
 
MVアグスタやモトモリーニの活躍により、125cc以下の小排気量クラスはシンプルかつ軽量な2ストロークが優位、というのが第2次世界大戦後間もない時期のモータースポーツ界の常識だった。しかしA.ドルシアーニが生み出したDOHC125ccレーサーはその常識を覆すのに十分なインパクトを与えることになった。その結果、多くのイタリアのメーカーはF.B.モンディアルに追従し、DOHC機構を採用する4ストロークのロードレーサー造りに取りかかることになる。

その後もF.B.モンディアルのDOHCレーサーは世界ロードレースGPで活躍し、125/250ccクラスで合計10度のライダーズ/コンストラクターズタイトルを獲得している。また多くのライバルメーカー同様、長距離街道レースにも参戦。1954年のモトジーロ・ディタリアでは後に1957年(125cc)と1958年(250cc)のGP王者に輝くことになる名手、タルキニオ・プロビーニが175ccクラスを制覇。そして同年のミラノ-タラントでは、175ccクラスの2部門でいずれも1-2フィニッシュを飾った。

F.B.モンディアルは経済的理由からワークス活動停止を考えたジレラとモトグッツィに同調し、1957年シーズン限りで世界ロードレースGPから撤退。その後も規模を縮小してのロードレース活動はボローニャの開発拠点をベースに継続されたが、1950年代までの栄光は再びF.B.モンディアルに訪れることはなかった。

モータースポーツの栄光を純粋に追求できた最後の時代

冒頭に記したとおりイタリアの2輪産業には過去に3度、急速に製造業者の数が100社以上にまで増える創業ブーム期があった。それぞれの時代にはそれぞれの勢いが生み出した個別の文化があり、どの時代がイタリア2輪産業の「黄金時代」だったかは、見方により変わるので諸説が並立することになるだろう。

最もメーカー数が多かった時代を黄金期とするのなら、それは大恐慌前の1920年代になる。だがビアンキのDOHC350ccなどの例外を除き、1920年代のイタリア車のほとんどはモータースポーツの分野において、当時、時代の最先端を走っていた英国車たちに対抗することが不可能だった。

第2次世界大戦後の1950年代は、2輪史の中でも最大の変換期だったといえる。鋳鉄ラグにパイプをロウ付けするフレーム作りから溶接加工がスタンダードとなり、リジッドやプランジャー式だったリアエンドには近代的スイングアームの採用が一般化していったのは、いずれも1950年代のことだった。そんな時代に、最大150社にまで迫るほど増えたイタリアの2輪製造業者たちは、それぞれの理想とするバイク作りに情熱を注ぎ、イタリア独自の2輪文化が開花している。

思うに、イタリア国内の街道レース文化が盛り上がり、世界ロードレースGPをイタリアのメーカーが席巻した1950年代は、紛れもなくひとつの黄金時代だった。そして1960年代の訪れは黄金期の終わり……幼年期の終わり、だったのかもしれない。1960年代になるとフィアットなど安価な4輪車普及の流れはますます加速し、同時に2輪メーカーの淘汰も世界的な潮流となっていった。1960年代以降、大きなビジネスである輸出市場での成功無しに2輪メーカーが生き残りを果たせなかったのは、イタリア勢においても変わりはなかった。

この連載で紹介したコレクションの元の持ち主、イタリアのジャンカルロ・モルビデリは、木工機械というビジネスの世界で大成功をおさめた。そして築いた資産をレース活動に費やし、1970年代に幾度も世界ロードレースGP王者の栄光に浴している。しかし、これは個人の情熱のあらわれだったからこそ可能な物語である。ビジネスとして量産車販売を主とする2輪メーカーが、代表個人の意思でモータースポーツ活動を最優先することは、モータースポーツが高度に複雑化した現代では不可能な話だ。

1950年代は少年時代の夢や憧れを、モータースポーツの栄光に昇華することを純粋に追求することが、多くの2輪製造業者たちに許された最後の時代に思える。当時の情熱を今に伝える1950年代のイタリア車の美しさを見ると、心は高揚しないわけにはいかないのである。(完)

文・宮﨑健太郎 写真・奥村純一 編集・iconic協力・バットモーターサイクルインターナショナル

【参考文献】
The spatial evolution of the Italian motorcycle industry (1893–1993): Klepper’s heritage theory revisitedAndrea Morrison and Ron Boschma

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みんなのコメント

1件
  • 画像の5・6枚目にあるモンディアルのマシンは
    カムギアトレーンでしょうか…?
    凝った構造ですね…
※コメントは個人の見解であり、記事提供社と関係はありません。

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