先日行なわれたF1サンパウロGPの予選で、RBの角田裕毅が3番グリッドを手にした。決勝レースでも好結果が期待されたが、セーフティカー/赤旗のタイミングに祟られて7位に終わった。
しかしこの予選3番手という結果は、雨が降る中だったとはいえ、素晴らしいものだった。そして歴代の日本人ドライバーとしても、予選でトップ3に入った3人目のドライバーということになった。
■角田裕毅7位入賞も満足せず……セーフティカーと赤旗のタイミングに泣く「あれがなければ、トップに立てたかもしれない」
これまで日本人ドライバーで予選トップ3以上を記録したドライバーはふたりしかいない。トップ5以内に幅を広げても、5人しか記録していないのだ。本稿では、予選でトップ5に入った経験を持っている日本人ドライバーを紹介する。
■佐藤琢磨
2番手:2004年ヨーロッパGP(BARホンダ)
3番手:2004年スペインGP、2004年アメリカGP、2004年ハンガリーGP(BARホンダ)
4番手:2004年日本GP、2005年フランスGP、2005年イタリアGP(BARホンダ)
5番手:2004年バーレーンGP、2004年イタリアGP、2005年日本GP(BARホンダ)
歴代日本人ドライバーの中でもっとも多くトップ5グリッドを手にしているのは、佐藤琢磨である。佐藤は2002年にジョーダンからデビューし、2003年には一度レギュラーシートを失ったものの、この年の日本GPからBARホンダのシートを得て、2004年は同チームからレギュラードライバーとして参戦。この年のBARホンダ006は優れたマシンであり、ジェンソン・バトンと共に入賞を重ねてコンストラクターズランキング2位となった。
佐藤は上記のように予選では度々速さを見せたものの、決勝ではトラブルに見舞われるマシンも多かった。結局表彰台は3番グリッドからスタートし3位フィニッシュとなったアメリカGPのみだった。日本人初のフロントロウとなったヨーロッパGPは、レース中にフェラーリのルーベンス・バリチェロを抜こうとしたところで接触し、フロントウイングを破損。ノーズを交換してレースに復帰した後、エンジンブローでリタイアだった。
2005年のBARホンダと佐藤琢磨は、シーズン序盤に燃料タンクのレギュレーション違反が発覚し、出場停止処分を受けるなど厳しい状況だった。しかもパフォーマンスも優れず、バトンも佐藤も開幕9戦まで無得点。ただその後はパフォーマンスを取り戻し、バトンは順調にポイントを重ねた。一方で佐藤は、最終的にハンガリーで挙げた1ポイントのみに終わるという、明暗別れる格好となった。
ただ佐藤にも速さはあり、同年は3戦で予選トップ5入りしている。しかしその速さを結果に繋げることができなかった。
■小林可夢偉
2番手:2012年ベルギーGP(ザウバー)
3番手:2012年中国GP、日本GP(ザウバー)
2012年のザウバーは当たり年。小林可夢偉は予選でも決勝でも、度々速さを見せた。
日本人ふたり目のフロントロウ獲得となったベルギーGPでは、スタート直後にロータスのロマン・グロージャンがブレーキングを誤り、前のマシンに次々と突っ込む多重クラッシュを引き起こした。小林もこれに巻き込まれてしまい、リタイアに終わった。
なお3番グリッドからスタートした日本GPは、マクラーレンのジェンソン・バトンを抑え切る走りで3番手フィニッシュ。自身初、日本人ドライバーとして3人目の表彰台登壇者となった。
なおこの2012年、小林のチームメイトだったのは、デビュー2年目のセルジオ・ペレスである。ペレスは運も味方につけ、この年3度の表彰台を獲得した。
■角田裕毅
3番手:2024年サンパウロGP(RB)
2024年のF1サンパウロGPの初日、角田はスプリント予選で振るわずにグリッド下位に沈み、翌日に行なわれたF1スプリントでも、そのまま下位から抜け出すことができなかった。
しかし土曜日午後に予定されていた予選は、嵐のために日曜早朝に延期。その延期された予選もウエットコンディションだったが、角田はここで躍動した。多くのマシンがクラッシュし、赤旗中断が相次ぐ中、角田はしっかりとQ3まで駒を進めた。そしてその最終アタックで、首位のランド・ノリス(マクラーレン)に僅かに届かない2番手タイムをマーク。その後ノリスがタイムを伸ばし、メルセデスのジョージ・ラッセルに先行されたものの、堂々の3番グリッドを手にした。
決勝でも力強いパフォーマンスを見せた。最終的には7位に終わったが、セーフティカーや赤旗のタイミングなど、展開が向けばもっと上位でフィニッシュできた可能性も感じられた悔しいレースだった。
■片山右京
5番手:1994年ドイツGP、ハンガリーGP(ティレル)
1992年にF1デビューした片山右京は、翌1993年からティレルに在籍。しかしデビューから2年はマシンに恵まれず、好パフォーマンスを発揮することができなかった。
しかし1994年のティレル022は、小型ハイパワーのヤマハエンジンのパフォーマンスも相まって高い戦闘力を発揮。片山は開幕戦ブラジルGPで5位となり、F1初入賞を手にした。
シーズン後半は予選でのパフォーマンスも上がり、予選でのシングルグリッド獲得も目立つようになった。そしてドイツ、ハンガリーと2戦続けて5番グリッドを獲得。ドイツGPでは抜群のスタートを切り、一気にフェラーリのゲルハルト・ベルガーに次ぐ2番手に躍り出たのは今でも語り草である。
ただ同年のティレルは信頼性不足であり、そのパフォーマンスを結果に活かせないレースも多かった。前述のドイツGPも序盤でリタイア。結局シーズンを通じて入賞3回に終わった。
■中嶋一貴
5番手:2009年イギリスGP(ウイリアムズ)
勢力図が一気に変わった2009年のF1。前年限りで撤退したホンダを引き継いで参戦した新チームのブラウンGPと、前年までは中団グループの一角に過ぎなかったレッドブルがトップ2チームとなり、フェラーリやマクラーレンといったそれまでのトップチームは苦戦を強いられた。
中嶋はこの年フル参戦2年目。所属チームはウイリアムズで、チームメイトは後にF1ワールドチャンピオンに輝くニコ・ロズベルグだった。
ロズベルグはコンスタントに入賞しランキング7位で終えた一方、中嶋は結局入賞0回でシーズンを終えてしまう。しかし予選では速さを見せ、トップ10入り5回。それ以外のグランプリでも、11~13番手7回と、比較的安定していたと言える(この年は全17戦)。
そんな中、イギリスGPでは自身最高の5番グリッドを獲得。Q1では首位、Q3でも同年のチャンピオンとなるジェンソン・バトンを上回った。
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