新型コロナウイルスの感染拡大に揺れる国内モータースポーツ界。2020年はGT500クラスへのクラス1車両の導入、年間2戦の海外開催、熾烈さを増すGT300クラスなど数多くのトピックスがあったスーパーGTも、開幕から5戦が延期となってしまった。ただ7月の開幕を前に、ちょっぴり知識をつけておけば、来たる開幕がより楽しく迎えられるはずだ。そこで、不定期連載となるがスーパーGT参戦チームのチーム名とカーナンバーの由来をお届けしよう。第39回目は、GT300クラスに参戦するJLOCだ。
■JLOC
#87
マシン:T-DASH ランボルギーニ GT3
ドライバー:元嶋佑弥/デニス・リンド
カーナンバー:87
監督:則竹功雄
タイヤ:ヨコハマ
開幕までに知識を増やそう。カーナンバーとチーム名の由来を知る:TGR TEAM au TOM'S/TGR TEAM KeePer TOM'S
#88
マシン:JLOC ランボルギーニ GT3
ドライバー:小暮卓史/アンドレ・クート
カーナンバー:88
監督:則竹功雄
タイヤ:ヨコハマ
1994年にスタートしたJGTC全日本GT選手権。当時は国内外の多種多様なGTカーが集うレースとして始まったが、そのなかでも注目を集めていたのがスーパーカーブームを代表する一台、ランボルギーニ・カウンタックだった。このマシンを走らせたのが、今もスーパーGTに飽くなき挑戦を続けるJLOCだ。
JLOCのチーム名は、『ジャパン・ランボルギーニ・オーナーズ・クラブ』の頭文字をとったもの。その名のとおり、ランボルギーニのオーナーズクラブだ。1980年代前半にJLOCは誕生し、関西を中心に運営されていたが、その後しばらくクラブは中断する。ただ、イタリアのアウトモビリ・ランボルギーニからは「日本にそのようなクラブがあるのであれば、ぜひ続けてほしい」と要望を受け、クラブ発足時から会員で、現在も代表としてチームを率いる則竹功雄氏が、当時のランボルギーニオーナーたちに声をかけ1987年に現在のJLOCが生まれ、則竹氏が会長に就任した。
則竹会長は、1980年代初頭にまだ日本でランボルギーニ車が良好なメンテナンスを受けられなかったころ、多くのオーナーが苦労していたことを知っている人物。則竹会長自身も「エンジンの修理パーツがとても高額であるのみならず、手に入れることすら困難な時期で、車を良好な状態に保つことが大変な時期でもありました」という。そんななか、ランボルギーニ社に手紙を送ったところ、幸運にも半年後に日本のいちオーナーに対して返信が届き、それがきっかけで今日まで至るランボルギーニとの良好な関係が築かれたのだという。
1994年、JGTC参戦に向けJLOC会員で、寺井エンジニアリングを率いていた故寺井輝昭氏がレース活動に向け動きはじめ、同じくJLOC会員でGENROQ編集長だった明嵐正彦氏をチーム代表に迎え、マシン製作に乗り出していた。
ただ、当初予定していたマシンはなかなか完成せず、JGTC開幕戦の富士へ間に合わすべく、アートスポーツからノーマルのカウンタックを提供され、わずかな改造のみで出場。漫画『サーキットの狼』作者で、スーパーカーブームの火付け役である池沢さとしと和田孝夫が組んだレインX・アート・カウンタックは1994年のJGTCに登場した。
当然ながら国産GTマシンはパフォーマンスが高く、しかもランボルギーニはF1のエンジン供給をのぞけば、本格的にサーキットレースを戦っていたメーカーではなかったが、1993年にF1活動を終えたランボルギーニF1チームに則竹が相談し、ランボルギーニ社から支援を受けられるようになった。
1995年からはマシンをディアブロ・イオタにスイッチし、さらに97年にはディアブロGTRを、98年にはディアブロGT-1とランボルギーニのワンオフマシンを投入するが、国産GT500マシンたちの壁は高い。2001年には、初めてのJGTC専用マシンであるディアブロJGT-1を投入。さらに2004年には、ランボルギーニ・ムルシェラゴRG-1を投入した。
しかし、JGTC参戦当初から参戦を続けていたGT500クラスは先鋭化が進み、ランボルギーニがGT1レース向けに開発したRG-1と言えど好結果を望むことは難しかった。そこで2005年第6戦から、1台のムルシェラゴをGT300クラスに投入。さらに最終戦には、GT500で88号車だったマシンを86号車にスイッチし、GT300で2台体制を敷いた。
このスイッチは、2006年第1戦鈴鹿で見事に実を結ぶ。マルコ・アピチェラ/桧井保孝組88号車が見事優勝。ランボルギーニ車によるレースでの国際格式レースでの世界初勝利という快挙を達成したのだ。いまやGTカーレースの世界でお馴染みのランボルギーニだが、このJLOCの勝利がランボルギーニ本体にとっても大きな喜びとなり、その後のモータースポーツ活動に繋がったと言われている。ムルシェラゴは、2009年まで活躍した。
2007年からは、新たにオリジナルマシンのガイヤルドRG-3を投入。また2012年からは、GT3カーの増加にともないドイツのライター・エンジニアリング製ガイヤルドGT3を投入。LP600+やFL2などさまざまなバージョンも投じられた。
そして2016年からは、現在も活躍するウラカンGT3にスイッチ。いまやGT300のトップチームのひとつとして長き伝統と成績を誇るだけではなく、ランボルギーニのモータースポーツ部門であるスクアドラ・コルセとの信頼関係をもつ。また名前を挙げればきりがないほど、いまもトップドライバーとして活躍する多くの若手ドライバーにチャンスを与えてきた。また、その美しいスタイルとサウンドで本場のファンも虜にしたル・マン24時間の挑戦など、海外にもその名を轟かせている。
そんなJLOCのエースナンバーは、JGTC参戦初年度から続く伝統の『88』だ。これを基本に『87』、『86』、『85』までが使用された(ムルシェラゴ時代には、トリプルエー出版のスポンサードで『66』を使ったこともある)。
この由来は、1987年に誕生した現在のJLOCの初めてのオーナーズミーティングが、1988年に浜名湖で開催されたことからきているという。当時のメンバーたちの思いを繋げ、そして末広がりの『8』がふたつ重なる縁起が良い番号であることから、今も変わらず使用されている。
2019年はタイトルも争い、今季は新たに87号車に元嶋佑弥とランボルギーニファクトリードライバーのデニス・リンド、88号車に小暮卓史とアンドレ・クートという強力なラインアップを敷くJLOC。ランボルギーニも厚い信頼を寄せるチームは、今季もGT300の主役の1チームとして活躍しそうだ。
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
日産が93.5%の大幅減益! ハイブリッドの急速な伸びを読めなかったのは庶民感覚が欠けていたから…「技術の日産」の復活を望みます【Key’s note】
トヨタ『ランドクルーザー』リコール…ドライブシャフト不良、走行不可能になる恐れ
「永遠に有料…?」 とっくに無料化されている“はず”の道路たち なぜまだお金とるの?
ホンダ新型「プレリュード」まもなく登場? 22年ぶり復活で噂の「MT」搭載は? 「2ドアクーペ」に反響多数!海外では“テストカー”目撃も!? 予想価格はいくら?
給油所で「レギュラー“なみなみ”で!」って言ったら店員にバカにされました。私が悪いんですか?怒りの投稿に回答殺到!?「なにそれ」「普通は通じない」の声も…悪いのは結局誰なのか
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
店舗に行かずにお家でカンタン新車見積り。まずはネットで地域や希望車種を入力!
みんなのコメント
この記事にはまだコメントがありません。
この記事に対するあなたの意見や感想を投稿しませんか?