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【振り返る】東京オートサロン、いかにして東京モーターショーを凌駕するイベントになったのか

モーターショー130万人 1日あたりの数はオートサロンが多く

1月12日に幕を閉じた今年のオートサロンには3日間で33万6060人が来場した。昨年の33万666人に比べて1.3%の増加だ。

【画像】ユニーク! オートサロン2019に並んだクルマたち 全67枚

印象としては10日金曜日9~14時のプレス(&関係者)デーにもかなりの人がいて、なぜこんなに多いの? と思った次第。

全体を通してみると、外国人来場者、外国人プレスの中でとくに欧米の来場者が大変増えたと思う。

正確な統計データがあるわけではないが、少なくとも確実にモーターショーよりは多かったであろう。

第47回東京モーターショー(2019年10月24日~11月6日)の来場者数はどうだったか?

こちらは12日間で130万人という結果を残したという。100万人超えが目標だったそうだから、+30万人で万々歳! かもしれない。

しかし、1日あたりの平均来場者数は……
東京オートサロン 11万2020人
東京モーターショー 10万8408人

残念ながら今回もオートサロンを超えることはできなかった。しかも、「130万人」にはかなり多くの無料来場者も含まれている。

東京オートサロンは「OPTION」誌初代編集長稲田大二郎氏が発起人となって1983年に東京エキサイティングカーショーとして第1回が開催、以降毎年1月上旬に開催されている。

「正月休みが終わった直後、この時期しか会場が開いていなかった」(稲田氏)とのことだが、30年以上、年明けの自動車イベントとして定着している。

オートサロン、1983年に第1回を開催

第1回時の来場者数は3日間でいきなり10万人超。

会場は当時モーターショーが開催されていたのと同じ東京・晴海の東京国際見本市会場で最初は東館(ドーム館)1館のみを使用していたが、年々規模が拡大し第10回からは晴海の全展示館が使用されこととなった。

1983年第1回にはこんなクルマたちが出展された。

セリカXXツインターボ(フォルテックス販売)

カスタムボディーキットを装着した角4灯。ツインターボで300ps近いパワーを発揮。

1G-GセリカXXトリプルターボ(TRUST)

「83年をリードする驚異のターボメカ」

ちなみに、今では想像もつかないだろうが、80年代前半と言えば合法チューニングなど皆無と言ってもいい時代。

マフラー交換はもちろん、タイヤやホイールのサイズアップすら許されなかった。

当時は扁平率70のタイヤでさえ「スポーツタイヤ」と呼ばれており、それ以下の扁平タイヤは運輸省(当時)の認可が下りなかった。

待望の60タイヤ認可はオートサロン第1回が開催された1983年。5年後の1988年には50、55の扁平タイヤが認可されている。

こうしてチューニング&カスタムへの規制緩和が緩やかに進む中、オートサロンの開催規模、来場者数は順調に伸びていった。

1995年に起きた2つの力強い「追い風」

1995年にはオートサロンと日本カスタムカー界にとって、2つの劇的な出来事が起きる。

まずは1995年1月。第13回東京オートサロンに、日産自動車が自動車メーカーとしては初めて正式に出展。

スカイラインGT-R(R33)のお披露目にクルマ好きが多く集まるオートサロンを発表の場に選んだのである。

東京ビッグサイトに場所を移した1997年第15回ではトヨタ自動車も初めてオートサロンに出展。続いて他メーカーも出展を始めることになり、健全なクルマ好きのためのイベントとして認知が進んだ。

そして1995年に起きたもう1つの画期的な出来事とは、保安基準における規制緩和である。

自動車部品やエアロパーツなどの取り付けに関し、保安基準に抵触しないパーツであれば、全長±3cm、全幅±2cm、全高±4cm、そして重量は±50kgまでの改造であれば届け出が不要となった。

車体に穴を開けるなど恒久的な取り付け方法でなければ、エアロパーツなどの外装パーツもそのまま車検OK。

ローダウンもスポーツマフラーも基準内ならOKとなり、以降、自動車メーカーもカスタムパーツやコンプリートカーの製作に積極的に取り組むようになった。

2000年代に入ると自動車業界全体に環境志向が高まるムードがあり、チューニングよりもカスタム、中身より外側を楽しむ出展が急増してくる。

2010年以降は輸入車メーカーの出展も増加してくる。2015年にはついに、来場者が30万人を突破した。

発起人、この盛況ぶりをどう思っている?

東京オートサロンがモーターショーを凌駕するイベントになった理由を発起人である稲田氏はどう考えているのだろうか? オートサロン最終日の会場で稲田氏に聞いてみた。

「改造車もきちんと改造車検を通せば公道を走ることができる。アンダーグラウンドなイメージの改造車を日の当たる場所へと引っ張り出したいと考え、カーショーの開催を企画しました」

「ショーにすれば、改造車を多くの人に見てもらえる。理解してもらえるきっかけになると考えたからです」

「当時、改造車と言えば暴走族のイメージでしたので警察もかなり警戒していましたが、実際そこに集まったのはクルマが好きな普通の若い子たち。これなら大丈夫だと、第2回以降の開催もいけると思いました」

「自動車メーカーの出展がオートサロンの発展に大きく寄与したことは確かです。大きくてきれいなメーカーブースは、ショーを華やかにしますが、かといってメーカーばかりを優遇することはありません。初期の頃からずっと一緒にやってきたチューニング&カスタムショップの存在なしに今の盛況はありえませんから」

「来場者、出展者がどんどん増え、自動車メーカーの参加が恒例となり、車検に関する法律も大きく変わっていき、さらに世界的な日本車人気も相まってオートサロンの盛況ぶりは一直線上でずっと上がって行ったと思います」

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