フィオラーノに再び姿を現す
text:Shinichi Ekko(越湖信一)
photo: Shinichi Ekko(越湖信一)、Ferrari S.p.A.「8年ぶりだね、ここに足を踏み入れたのは! 27年間のフェラーリ生活の中で、もっとも多くの時間を過ごしたのが、ここフィオラーノです。私の心に刻まれたもっとも重要な場所に帰ってきました」ルカ・ディ・モンテゼーモロが発したメッセージは、ステージを取り巻く観衆の心を冒頭の一言で捉えた。
「マラネッロにおける最後の日のことは今も忘れない。全社員が歌ってくれた、ジーノ・パオーリの『長い愛の物語』。それは私にとって一番美しく、感動的でかつ抒情的な瞬間といえた。その時、私の一番重要な友人たち、つまりフェラーリで働く人々に私が正しく評価され、受け入れられていたことがわかった。それはなによりの喜びでした」と、続けて語りかける彼の言葉に皆は聞き入っていた。
そう、フィオラーノ・テストトラック創立50周年を記念し、地元ロータリークラブ主催のトークイベントに突然モンテゼーモロが登場したのだ。それも、彼との軋轢が噂されていたマウロ・フォルギエーリとの対談だった。久しく公の場へ姿を見せることのなかったモンテゼーモロであるが、そのエレガントかつエネルギッシュな振る舞いは、とても御年75とは思えなかった。まさに「カリスマ」という表現が彼にぴったりであった。そして、この時がフォルギエリ御大の元気な姿の見納めとなってしまったことも付け加えておかねばならない。
現場を緊張させる存在
高い理想を追求した彼は仕事においてはとても厳しく、スタッフ達への要求も厳しかった。彼が登場するならば現場には緊張が走り、スピーディな移動のために常用していたヘリがマラネッロから飛び立つまではピリピリした雰囲気に包まれていたという。
もちろん、当の本人も、周囲を納得させるだけの働きを見せた。2000年当時、筆者は来日した彼と長い時間スケジュールを共にする機会があったが、絶えず細かい指示をとばし続ける彼が、いったいいつ休んでいるのか不思議に思ったことを思い出す。そして彼は気づかいの人でもあった。慌ただしく日本から帰っていった彼から数日後、筆者へと直筆でメッセージが届いていた。「私たちが過ごした大切な時間を忘れることはないでしょう」と。
貴族ファミリーの末裔として誕生
ルカ・ディ・モンテゼーモロは、1947年にボローニャの由緒正しき貴族ファミリーの末裔として誕生した。若年時代からモータースポーツに親しみ、ランチアのラリーチーム「HF スクアドラ・コルセ」で短期間だがドライバーを務めた経歴もある。
1973年にはエンツォ・フェラーリのアシスタントとしてスクーデリア・フェラーリに参画。スクーデリアのマネージャーとしてニキ・ラウダとともに1975年と1977年にF1世界選手権を制覇した他、フィアット・グループ全体のレース活動もマネージメントし、1977年にはフィアットのシニアマネジャーに昇格した。その後、チンザノや出版社などフィアットに関わる様々な企業の経営に携わり、1990年FIFAワールドカップ・イタリア大会組織委員会のマネージャーにも就任。まさにイタリア実業界のメインストリートを歩み大活躍したのだ。これら珠玉のキャリアの背景にはフィアット帝国を牛耳るジャンニ・アニエッリのサポートがあったことはいうまでもない。
再びフェラーリへ
1991年にはエンツォ・フェラーリ亡き後、フェラーリの社長にモンテゼーモロが指名され、ジャン・トッドとともにF1チームの再建に取りかかった。1990年代、彼は少なからぬ負債を抱えていたフェラーリのロードカー事業を復活させ、着実に利益を上げる体制作りに尽力。1997年にはフェラーリのマネージメントと兼務してマセラティの再建をも成功させるなど、並々ならぬパワーを発揮した。
2000年にはF1世界ドライバーズ・チャンピオンを獲得し、あわせてコンストラクターズ・チャンピオンも獲得している。その後もフィアット、フェラーリのマネージメントに大きな実績を残したが、2014年、セルジオ・マルキオンネとの経営方針の対立から退任している。
50年目に辿る、フェラーリに残した足跡
2001年9月11日。世界はこの日をけっして忘れることがないであろうが、筆者はこのアメリカ同時多発テロ事件の当日、フランクフルト・モーターショーの会場にいた。ニュース速報でこの悲劇を知ると、会場は騒然となった。NATOの軍事基地のあるフランクフルトも攻撃対象となるのではないか、という憶測が流れる中、各スタンドで行われるプレスカンファレンスを中止するメーカーもあり、会場は大いに混乱していた。
そんな中でスポットライトを浴び、登場したのがモンテゼーモロであった。評価ドライバーを務めたミハエル・シューマッハーとともにマセラティ・スパイダーのアンベールが行われたのだ。その当時、マセラティはフェラーリ・マセラティ・グループの傘下にあり、両社は一体であった。
イタリア訛りの英語で、熱く北米へのマセラティ再上陸のプランを語る彼のスピーチは、ざわついていた会場の流れを変えたと、その時筆者は感じた。その瞬間も、彼はまさにカリスマであった。
さて、当のモンテゼーモロも昨年エンツォ・フェラーリからスクーデリア・フェラーリのマネージャーに任命されて50年という節目の年を迎えている。前述のフィオラーノにおけるサプライズのように、彼のフェラーリへの関与を願う声も少なからぬ存在するというところに彼のカリスマぶりがある。
そこで当連載では10回に渡って彼がフェラーリ、そしてフィアット(現ステランティス)に残した足跡を辿って行きたい。
続きは、「【第2回】モンテゼーモロ以前のフェラーリ エンツォはロードカーにもこだわっていた事実」にて。
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みんなのコメント
ルカの時代のフェラーリは欲しくない。