1950年代は、イタリアのバイク史のなかで最もバラエティ豊かで、エネルギッシュだった時代といえるだろう。”イタリアンモーターサイクルが最も美しかった時代”を、振り返る連載のvol.3では、第2次世界大戦後の航空機製造禁止措置により2輪造りに転向し、他のイタリア製バイクとは異なるユニークなメカニズムの数々を取り入れたカプリオーロの軌跡をたどる。
”花形”航空機から社の存続をかけた2輪製造へ
これまで存在しなかった未来的なスポーツカー──イタリアを巡る物語 vol.12
20世紀の内燃機関の進化によって目覚ましい発展を遂げた産業は数多くあるが、20世紀半ばに動力源の主流がジェットエンジンに移行するまで、航空機製造は最も映えある”花形”の分野だった。同じ内燃機関を用いる自動車や船舶よりも、はるかに速いスピードでの移動を可能とする航空機こそ、20世紀最大の発明である、とする人は少なくない。
内燃機関の黎明期から、航空機エンジンの開発者はエリート中のエリートであった。第1次世界大戦での敗北によりドイツのBMWは航空機エンジンの製造を禁止されたため、社の存続をかけて2輪車製造業を始めることを選択したのは、バイクおよび自動車好きなら誰もが知る有名なエピソードだろう。そのプロジェクトを託されたBMW開発者のマックス・フリッツは、地べたを這い回る乗り物であるバイク設計を任されることに強く抵抗したと言われている。
航空機産業のエリートである自分が、内燃機関を搭載する乗り物としては最も安価な部類のバイクを作るなんて……。同類のエンジニアすべてがフリッツと同じ想いを抱いたわけではないだろうが、2度の世界大戦の敗戦国側の航空機エンジニアの多くは、好むと好まないとに関わらず、フリッツ同様、バイク開発に駆り出されることになった。
第2次大戦後のイタリアの場合、戦後間もない時期の航空機製造禁止という措置から2輪造りに進出せざるを得なかったメーカーには、アエルマッキ、MVアグスタ、ベスパスクーターで有名なピアッジオ、そしてカプローニがある。カプローニはそもそも、1908年にジョバンニ・バチスタ “ジャンニ” カプローニがミラノ郊外のタリエドに設立した会社であった。
そのバイクはライバルたちとまったく異なっている
1911年に初の航空機を製造したカプローニは、第1次大戦の間はイタリアが属した連合国側の空軍向けに重爆撃機を供給した。戦中にいくつかの航空機会社を買収したことにより、一大航空シンジケートへと成長したカプローニは、戦後は、急速に発展した民間航空市場向けと従来からの軍用機向けの双方の需要にこたえて成長をつづけた。
しかし、最初の世界大戦では勝者側だったイタリアは第2次大戦では敗戦国となり、カプローニも戦後は航空機以外のビジネスの道を探ることを余儀なくされる。結果、戦争の被害を受けなかったアルコ・ディトレントの工場で1948年から製造されることになったバイクたちは、工場の周辺に棲息していた小型のノロジカの一種であるカプリオーロの名をブランド名として与えられることになる。
同じく戦後に2輪製造業者となったドゥカティのクッチョロを範として作られた試作車は50ccだったが、製造販売されることになったのは75ccのバイクだった。1940年代末から1950年代に生産されたカプリオーロの大きな特徴は、他のイタリア製バイクでは採用されることのない、ユニークなメカニズムの数々を取り入れていたことにある。
当時のドイツ車的なプレス式フレームやフェイスカムを用いたOHC方式の4ストロークエンジンなど、カプリオーロは同時代のイタリア国内のライバルメーカーたちの作品群とはまったく似ていないバイクを製造販売していた。1953年のミラノショーでは、チェント50というBMW的な149ccのフラットツインを発表している。これらカプリオーロの名を持つすべてのモデルを見る限り、カプリオーロのバイクはイタリア的というよりは、ドイツ的エンジニアリングの”文法”を遵守していたようにも思えてくる。
レースでの成績が販売成績に直結するという、当時のイタリア国内の事情を受けて、イタリア国内のライバルメーカーたち同様にカプリオーロもモータースポーツ活動には精力を注いでいた。人気のある街道レースの分野では、1954年のミラノ-タラント、1955年のモト・ジーロ・ディタリアでクラウディオ・ガリアーニのライディングにより75ccクラスの優勝を手中におさめており、その技術の優秀性をモータースポーツの場でも証明している。
1957年、組織再編によりカプリオーロはアエロ・メカニカ・レジオナーレを短縮したアエロメーレを新たなブランド名として名乗ることになるが、欧州不況、そしてフィアット500のような大衆向け4輪車の普及によって、イタリア国内の2輪メーカーの淘汰の津波に襲われることになる。この時代、ビジネスの新天地である北米市場への進出に成功したメーカーは生き残りに成功するのだが、それもままならなかったアエロメーレは1964年に終焉を迎え、アルコ・ディトレント工場は同胞のライバルメーカーであるラベルダに買収されることになった。
もし、”並列4気筒”技術を活かしていたなら……
世界最古の大学であるローマ大学を1923年に卒業したふたりの青年……カルロ・ジャンニーニとピエロ・レモルは、この年にギアトレインの動弁系を持つOHC4気筒エンジン(490cc)を設計した。金欠の彼らはこの設計を具現化するための出資者を募り、その求めに応じたジョバンニ・ボンマルティーニ伯がプロジェクトに参画。1926年にこのプロジェクトは、3人のイニシャルを組み合わせた”GRB”と名付けられた。
1927年にGRBは、490cc空冷4気筒エンジンを完成、当時としては驚異的な、28bhp/6500rpmの最高出力を記録することに成功する。そして彼らは同年、OPRA(=オフィシーネ・ディ・プレシジョーネ・ロマーナ・アウトモビリスティカ)を設立。その目的は彼らの技術を、欧州の2&4輪メーカーにライセンス販売することであった。
1928年のミラノショーにGP500をOPRAは出展するが、彼らの望みどおりにその技術を欲する者は現れず、あえなくOPRAは1929年暮れに清算されることとなった。そして一連のプロジェクトが生み出した4気筒の技術と権利は、ボンマルティーニ伯が所有するCNA(コンパニア・ナシオナーレ・アエロナウティカ)という、小型航空機製造会社が引き受けることになる。
しばらくCNAのなかで埋没していた4気筒の技術が、再び日の目を見ることになったのは1934年のことだった。翌1935年のトリポリGPに出場するために、新型4気筒車を製造するプロジェクトが立ち上げられたのである。カムギア方式というOPRA時代の動弁系は引き継ぎつつも、新型車にはあらゆる箇所に新技術が導入されていた。冷却方式はシリンダーを含む完全な水冷式となり、動弁機構はDOHCを採用。そしてシリンダーを直立から前傾45度に改め、シリンダー背面に生じた空間に過給器を設置。4速のギアボックスは、クランクケース内に収められる構造だった。
イタリア語でツバメを意味する"ロンディーネ"の名が与えられた新型4気筒は、86bhp/9000rpmという出力を発生。デビュー戦のトリポリGPでは、ピエロ・タルフィとアミルカレ・ロセッティが、当時最強のノートン、モトグッツィの両ワークスを打ち負かし見事1-2フィニッシュを飾った。その年、1935年11月に、タルフィはストリームライナー仕様のロンディーネで速度記録に挑戦し、フライング1kmで平均244.316km/hという世界記録をマークした。再度ロンディーネのポテンシャルの高さを世にアピールすることに成功する。
しかしCNAにおけるロンディーネの栄光は、その年暮れに早すぎる終焉を迎えた。CNAの国営化に伴い、ロンディーネ・プロジェクトはカプローニに売却されることになたのだ。先述のとおり、カプローニは第2次世界大戦後2輪事業をスタートさせることになるが、当時航空機産業で大成功をおさめていたカプローニは、2輪ビジネスにはまったく関心を寄せていなかった。
そのためタルフィはプロジェクトの売却先を探す役目を負うこととなり、グローム・ノーム、モトグッツィ、そしてジレラに話を持ちかけたのだが、これら3社はこの商談を断った。しかし、カプローニがこの"お荷物"の処分に困っているという事情を酌んでか、最終的にジレラがロンディーネの引取先として手を上げることとなった。そして1936年よりロンディーネは、ジレラ500 4C(4気筒)と名乗るようになった。
想像するに、ジレラ創業者のジュゼッペ・ジレラは、このプロジェクトを引き受けたことが正しい判断だったと、すぐに気付いたであろう。1937年にタルフィは、ジレラ500 4Cで絶対速度記録の274.181km/hをマークしている。権利を手中に収めたその翌年に、ジレラは世界最速の2輪車を生み出すメーカーという栄光に浴したのだ。そしてロードレースの分野でも並列4気筒技術の優秀さを証明することになり、欧州選手権と世界ロードレースGP(現MotoGP)で当時の最高峰の500ccクラスにおいて、合計7度のタイトル獲得に成功している。
GRB、OPRA、CNA、カプローニを経て、第2次大戦前にジレラのものとなった”並列4気筒”のフォーマットは、戦後にはホンダをはじめとする日本のメーカーにコピーされ、市販車・競技車の部門で大成功をおさめることになる。そして周知のとおり、今日に至るまでスポーツモデルのバイク用エンジンの典型としての地位を守り続けている。
もし第2次大戦前の時代に、カプローニが押し付けられたかっこうの”並列4気筒”技術を活かし、2輪製造業者としてのあゆみを史実より先にスタートさせていたら、どうなっていたであろうか? ともあれ、1950年代にカプリオーロ・ブランドで生み出されたバイクたちの美しさとユニークさを見るにつけ、その”もしも”が現実にならなかったことも、それはそれでよしと思ってしまうのは筆者だけではないだろう。
文・宮﨑健太郎 写真・奥村純一 編集・iconic
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みんなのコメント
ジェット機のように見えて、実は胴体内にあるファンをレシプロエンジンで駆動して
さらに排気ノズル後端で燃料を噴射燃焼して推進力を得るという飛行機
「カプローニ・カンピー二」を1940年に飛ばしたメーカーですね。
イタリアの航空博物館には今もその実機が展示してあるそうですが、そのカプローニが
戦後バイクを造っていたとは…