個性的なスタイリングに映えるゴールド
眩しいゴールドに塗られたクルマは、好き嫌いが分かれるものだ。多くの人は、乗るには派手過ぎると考えるだろう。クラシック・フェラーリやランボルギーニなら、魅惑的な雰囲気に惹かれるかもしれない。
【画像】ベントレー・スポーツツアラーと同年代のオープンモデル 最新のコンチネンタルGTも 全81枚
ベントレーだったら、過剰なほどの存在感に圧倒されそうだ。ヴェルサーチェやロレックスを身につけたオーナーを想像してしまう。だが今回ご紹介する4 1/4リッターは、少々趣が異なる。
上品な輝きのハニーサックルと呼ばれるボディーカラーは、1939年に英国人ファッションデザイナーによって選ばれた。由緒正しい歴史を持った、ベントレーのスポーツツアラーだ。
シャシーはB154MRで、オドメーターのカウンターは80年ほどの間に数周回っている。幾人かの著名なエンスージァストによって、大切に距離を重ねてきた結果といえる。
西洋スイカズラを意味するハニーサックルが映えるのは、晩秋が1番だと思う。朝霧が掛かるような冷えた日でも、イチョウの葉のように美しく陽光を反射する。
ヴァンヴァーレン社やヴェスターズ&ネイリンク社など、少なくないコーチビルダーがベントレーのシャシーへ壮観なボディを載せてきた。だが、多くに影響を与えたヴァンデンプラ・スポーツツアラーが、筆者は最も望ましい容姿だと考える。
低いフロントガラスに折りたたみ式のソフトトップを備え、リアバンパーが後ろへ伸ばされている。ボディカラーと相まって、スタイリングを一層個性的なものにしている。
オーバードライブ付きは6台のみ
このベントレーがロンドン市民の前に姿を表したのは、第二次世界大戦が始まる直前だった。暗く沈んだ夜を明るく照らす5灯のヘッドライトと、滑らかにささやく直列6気筒エンジンの力強い走り。不穏な空気に包まれていた人々を、驚かせたに違いない。
この頃のベントレーは、英国中部にあったロールス・ロイスのダービー工場で製造されていたことから、ダービー・ベントレーとも呼ばれている。あるいは、ロールス・ベントレーとも。
この例はビンテージといえる後期モデルで、排気量は4257cc、4 1/4へ増やされている。トランスミッションやステアリングラックも、改良版が組んである。
オプションとして理想的な、高速巡航用のオーバードライブ・ギアが選ばれたMRかMXシャシーのヴァンデンプラ・ツアラーは、僅か6台しか作られなかった。発表は1938年のロンドン・モーターショーで、1430ポンドの値段で販売された。
フライングBと呼ばれるマスコットが、ラジエターグリルの頂点で羽ばたく。3スポークのステアリングホイールを握ると、戦前の空気感がよみがえるようだ。
素晴らしく手入れの行き届いたダービー・ベントレーは、1930年代のツアラーとして相応しい洗練度を備えている。操縦系にはブランドの創業者、ウォルター・オーウェン(W.O.)・ベントレー氏も好んだという、ロールス・ロイス品質が与えられている。
ステアリングホイールは至って滑らか。ドライバーの右側から伸びる、シフトレバーの動きも心地良い。
歴代のレーシングドライバーも愛用した
ハイカムが組まれたプッシュロッドの直列6気筒エンジンは、最高出力126psを発揮する。低回転からトルクが豊かで、変速をサボっても運転には困らない。ホイールは、この年代としては控えめな17インチを履く。
油圧ショックアブソーバーを装備し、乗り心地は良好。スポーツカーとは呼べないが、車重は約1500kgと比較的軽い。カム&ローラー式のステアリングラックに慣れれば、驚くほど扱いやすい。
マルコム・キャンベル氏やプリンス・ビラ氏、レイモンド・メイズ氏といった歴代のレーシングドライバーも、サーキットへの移動にダービー・ベントレーを愛用したという。その理由もうなずける。
このベントレーをオーダーしたのは、エドワード・ヘンリー・モリニュー氏。1938年にB154MRシャシーの4 1/4リッターを購入すると、コーチビルダーのスラップ&マバリー・セダンカ社へクーペボディの製作を依頼した。
さらにモリニューは、2台目のオーバードライブ付きシャシー、B35MXもオーダー。なぜか、そのクーペボディを載せ替えている。結果的に、B154MRのシャシーは1939年にヴァンデンプラ社へ運ばれ、オープンツアラー・ボディが架装された。
その際、モリニューはデザイナーらしく細かな仕上げを指定している。レッドレザーの内装に、このハニーサックルの塗料が選ばれたのだ。
第一次大戦後に才能を開花させた彼は、英国貴族や映画俳優をエレガントに魅せるファッションで名声を集めた。「テイラーは着る人に何かを与えるスーツを作るべき。女性が着るドラスなら、それ以上のことを」。という言葉を残している。
戦時中に売りに出されたベントレー
彼の考えが、スポーツツアラーにも活かされているに違いない。ダービー・ベントレーに載せられたボディは、多くがフォーマルで落ち着いたデザインだった。しかしモリニューの1台は、彼のキャリアを表すようにスタイリッシュだ。
ボディは1939年8月17日に完成したが、実際にオーナーがどれほど運転したのか明らかではない。1940年6月に拠点をフランス・パリへ移していたが、戦争が始まると石炭船に乗り込み、ロンドンへ避難している。
ベントレーの履歴を確認すると、B154MRは1940年には中古車の在庫リストに記載されていた。そして、ジャン・スミス・ビンガム氏へと売られている。豊かな財力で、ダービー・ベントレーを迎え入れたようだ。
夫のターバービル・スミス・ビンガム氏は、英国の高級車ディーラー、H.R.オーウェン社に勤めており、ベントレーは身近な存在だった。真新しいハニーサックルの4 1/4リッター・オープンツアラーが中古車に加わったという情報も、真っ先に知ったのだろう。
オックスフォシャー州の自宅ガレージから婦人は輝くベントレーに乗り、競争馬の厩舎を巡った。彼女の愛馬、ブレンダンズ・コテージは1939年のチェルトナム・ゴールド・カップで華々しく優勝している。
ところが、すぐに2人は離婚。B154MRのベントレーは再び売りに出された。当時の価格は1350ポンド。第二次大戦の真っ只中に、ロンドン中心部のショールームに展示される姿は、さぞ人目を引くものだったはず。
ちなみにその時期に、AUTOCARはこの4 1/4リッター・オープンツアラーを試乗テストしている。
この続きは後編にて。
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