■“めちゃ個性的”なクルマを作る「光岡自動車」とは!
日本には多くの自動車メーカーが存在します。それぞれ異なる個性・特徴を持っていますが、その中でも歴史が若く小規模ながらも強い存在感を持っているメーカーが「光岡自動車」です。
【画像】カッコイイ! これが超レトロな「新しいスポーツカー」です!(96枚)
同社は2023年に、創業55周年を記念したコンセプトカー「M55コンセプト」を発表。当初は市販化計画が無かったと言いますが、市場の反響の高さから、光岡自動車はM55の市販化を決意します。
このモデルの詳細は別記事で紹介するとして、今回はこれまで「ワクワクと夢をお届けするクルマづくり」をモットーに様々なモデルを世に送りだしてきた、光岡自動車の歴史を振り返ってみたいと思います。
光岡自動車の創立は、1968年で板金塗装工場としてスタート。当時の車名は、「光岡自動車工業」でした。
1979年に光岡自動車を設立し、中古車事業「BUBU」や輸入車の正規ディーラー事業を行ないながら成長を遂げますが、それと並行して創業者・光岡進氏の「モノづくりの夢」の実現のため、1981年に社内に“開発部”を設置。
こうして誕生した光岡自動車のオリジナルカー第1弾が、1982年に登場したゼロハンカー「BUBUシャトル50」です。
実は欧州のマイクロカーの修理を依頼された際に、そのモデルを見た光岡氏が「自分たちでもつくれるのでは?」とひらめいた事がキッカケでした。
ゼロハンカーは、原付免許で運転できるその気軽さが話題となり全国的にヒット。
シリーズ化されますが、1985年に道交法改正に伴う免許制度の見直しによって、普通免許が無いと乗れない状況に……。
当然、ゼロハンカーの売れ行きは下がり、オリジナルカー事業は一転して大ピンチに陥ったのです。
しかし光岡氏は「ピンチをチャンスに」と、新たなビジネスを見つけます。
アメリカ車の並行事業のために訪れたロサンゼルスで見かけたクラシックカーのレプリカモデルを見て、再び「自分達でもつくれるのでは?」とひらめきました。
そして1987年に発売したのが、VW「ビートル」のコンポーネントを用いつつ、ルパン三世の愛車としても有名な「メルセデス・ベンツSSK」を再現した、「BUBUクラシックSSK」でした。
「見た目はクラシカル、でも普通のクルマのように扱える」と言うコンセプトは、このクルマからスタートしたと言っても過言ではありません。
その後「BUBU356スピードスター」、フォード「マスタング」をベースとする「ドゥーラ」、日産「シルビア」がベースの「ラ・セード」などが発売。
1993年には、クラシックカーレプリカ車における最大のヒット作となる「ビュート」が登場します。
ビュートは日産「マーチ」(2代目)をベースに、古き良き英国車であるジャガー「マークII」をオマージュしたエクステリアを架装したノッチバックセダン。
後にハッチバックやオープンモデルも展開するなどバリエーションも豊富で、自動車マニアのみならず一般ユーザーにも好評を得ました。
その後もビュートは、ベース車の世代交代に合わせて2代目/3代目へと進化し、2023年には累計1万3000台を記録。
現行ビュートは4代目にあたり、ベース車をトヨタ「ヤリス」に変更。基本的なデザインは不変ですが、時代の流れでハッチバックのみの設定となっています。
そしてこのビュートの初代モデルがヒットしたことにより、光岡自動車はレプリカモデルのバリエーションを拡大。
「ガリュー」(世代によって日産「クルー/「セドリック」「グロリア」/「フーガ」、トヨタ「カローラ」、フォード「マスタング」がベース)、「ユーガ」(日産「キューブ」がベース)、「リョーガ」(日産「サニー」/「プリメーラ」がベース)、「リューギ」(トヨタ「カローラ」がベース)、「ヌエラ」(ホンダ「アコード」やトヨタ「カローラ」がベース)、「レイ」(マツダ「キャロル」やダイハツ「ミラジーノ」がベース)、「ヒミコ」(マツダ「ロードスター」がベース)などが続々と発売されました。
これらのモデルたちは、ビュートと同じく古典的な英国車をオマージュしたモデルですが、直近に発売された「ロックスター」(マツダ「ロードスター」がベース)や「バディ」(トヨタ「RAV4」がベース)は、レトロなアメ車のオマージュと大きく方向転換。
両車は発売するやいなや、メーカーも驚くほどの反響と引き合いだったと言います。
■光岡の更なる夢!「オリジナルモデル」の開発
また光岡氏はレプリカ路線と並行して、更なる夢の実現にも舵を切っており、それは「オリジナルモデルをつくる事」でした。
その1台が1996年に発売された「ゼロワン」です。
ゼロワンはパワートレインについてはマツダから供給を受けたものの、フレームを含めた基幹部品は全て自社設計して開発。
更に道路運送法に定めるところの「組み立て車」として運輸省(当時)から型式認定を交付されたのです。
これが何を意味するのかと言うと、光岡自動車が“正式”な自動車メーカーとして認められたと言う事。
これは1967年のホンダ以来、実に32年ぶりとなる快挙でした。そのため、ゼロワンの車検証の車名欄には、メーカー名にしっかり「ミツオカ」と記されています。
そしてもう1台のオリジナルモデルが、2006年に登場した「オロチ」です。
元々は2001年開催の「第35回 東京モーターショー」において、光岡自動車を表現するために出展された純粋なコンセプトカーでしたが、お披露目するやいなや「市販化してほしい」と言う声が殺到。
光岡氏は市販化を決断しますが、そのコンセプトは「誰にでも乗れるスーパーカー」。つまり性能を競うのではなく、見た目を競う事を目的にしたモデルなのです。
とは言っても中身は本格的で、独自の衝撃吸収装置を付けたスペースフレーム構造のシャシーや、ツインショックのリアサスペンションなど、完全なオリジナル設計を採用。
パワートレインは、トヨタから供給を受ける3.3リッターのV型6気筒エンジンと5速ATの組み合わせで、速さよりも扱いやすさやスムーズさを重視したモノでした。
このオロチには筆者も何度か試乗しましたが、独特のボディ形状ゆえに車両感覚がつかみにくい事以外は、極めて“普通”。
従来のスーパーカーが苦手とする一般道はもちろん、長距離移動さえ苦にしない扱いやすい走りに驚いたのを今でも覚えています。
オロチの当初の発売目標台数は400台でしたが、2007年の発売から7年で約130台を発売し、海外向けには2桁台数が出たと言います。
ちなみに光岡自動車の公式サイトで会社概要の中にある「部門別売上比」を見ると、輸入車ディーラー事業+BUBU中古車事業が売上の77%を占め、開発車事業(ミツオカ車の開発・販売)は10.9%となっています。
ビジネスとしては苦しい所もありますが、「これを売って儲けよう」ではなく「こんなクルマを作りたかった」という、クルマ屋としての“想い”や“情熱”が支えているのでしょう。
これからも常に時代の変化にマッチさせた自由な発想とデザインで、他にはない「夢のあるクルマづくり」に挑戦してくれる事を信じています。(山本シンヤ)
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みんなのコメント
ケンメリならサーフラインが無ければ全く面影も無いって個人的に思います