訪れる終結のとき……
山田宏の[タイヤで語るバイクとレース」Vol.74「ドライなのに途中でマシンを乗り替えたオーストラリアGP」
ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、当時を振り返ります。2014年シーズン序盤で最大の話題となったのは、2009年からはワンメイクでの活動を続けてきたブリヂストンのMotoGP撤退宣言。今だからちょっとだけ暴露する、その決定の背景とは?
TEXT: Toru TAMIYA PHOTO: DUCATI, HONDA, RED BULL YAMAHA
第1期、第2期が終わりを迎え、第3期に向けて議論
ブリヂストンのワンメイクになって6年目となった2014年のMotoGPクラスでは、ドゥカティが突如として、共通ECUを使用する代わりにエンジンの年間使用可能基数が多くてシーズン中のエンジン開発が可能などのメリットがあるオープンクラスでの参戦を表明。ゴタゴタの末、新たにいわゆるファクトリー2クラスという扱いとなり、優勝1回または2位2回または3位を3回獲得するまでは、オープンクラスと同様に決勝で使用できる燃料がファクトリークラスよりも多く、タイヤもワンステップソフトなコンパウンドがアロケーションされるようになったというのが、開幕前の大きな話題でした。しかしドゥカティと同じかそれ以上にMotoGPのパドックをざわつかせることを、ブリヂストンは第4戦スペインGPのレースウィークに発表。そう、MotoGPに対するタイヤ供給の終了です。
―― スペインGPが開催されたヘレスサーキットのパドックで、記者に囲まれながら。
ブリヂストンがMotoGPクラスにワンメイク供給を開始したのは2009年からで、これは3年ごとの契約。つまり2009~2011年が第1期で、2012~2014年が第2期でしたが、じつは第1期が終了する前に、今後も継続するかについて社内で議論がされていました。たしか、2010年の秋ごろからだったと思います。MotoGPで活動するためには、莫大な費用が必要ですから、企業としては費用対効果の検証が必須。経営陣のトップも、クルマのF1とは違ってバイクのMotoGPで活動することは市販二輪タイヤの販売に好影響を与えるということは、かなり認識してくれていました。その一方、ちょうど米国で発生したリーマンショックの直後だったこともあり、二輪タイヤの販売比重が大きな欧州でも、2010~2012年あたりは売り上げが伸びないどころか落ちるくらいのときもありました。
それからあっという間に3年が経ち、第3期をどうするかについて、2013年の夏ごろから社内的な議論がスタート。この年の9月には、MotoGPを運営するドルナスポーツのカルメロ・エスペレータ会長とも話をしています。先方としては、「来年いっぱいで契約が終了するけど、また続けてくれるんだろうね?」と、継続してほしいという方向で打診があったのですが、当然ながら私のほうから明確な返答はできず……。「前向きに社内で検討しております」と返すのが精一杯でした。
その後、10~11月にあった経営会議やグローバルなトップクラスの社内会議など、ブリヂストンのいろんな会議体の中で、MotoGPタイヤ供給の継続について議論されたようです。その段階でも、2013~2014年の二輪タイヤ販売見込みというのは芳しくなく、米ドルやユーロに対しても円高の状況で、欧米での業績は厳しい状況。社内的な旗色が悪いなかで、我々は「MotoGPの活動によりブランドイメージが向上する」という、当初から目的に掲げていたことのひとつを強く主張し、撤退した場合のリスクも想定して継続を訴えたのですが、3年前の“宿題”は成し遂げられたとは言えず……。社内上層部には「レース活動はあくまで販売に資するものだ」という認識を持つ人のほうが多かったこともあり、最終的には12月に、我々が知る由もないところで撤退が決定されました。
誰にどうやって伝えていくのか
これに関しては、私もいまだにいろいろ思うところがあるのですが、その話は胸の内に秘めておくとして、MotoGPから撤退すると決定されたときにまず考えたのは、それまで一緒に働いてきたドイツ人スタッフたちの心配でした。私を含めて、ブリヂストン社内の人間というのは、配置転換されるだけで職を失うわけではないですし、サラリーマンなら普通にあること。しかしドイツ人スタッフは、ほとんどがフリーランスとして働いていて、ブリヂストンとMotoGPに情熱を持って活動してくれていたので、そういう人たちが悲しむだろうし、仕事がなくなることで困る人たちもいるだろう……と。
しかし、その段階ではまだ社内のトップレベルで撤退が決まっただけで、一切公表されていないので、彼らになにかを伝えることもできません。私はただ、会社の決定に反対する余地もなく、撤退に向けたプロセスを進めていくだけでした。
1年だけ延長をという要請に応えて2015年までの活動を決定
まずは、当然ながらドルナに対して活動を停止することを正式に伝えなければいけません。2013年秋の段階でエスペレータ会長には、「2015年以降に関する正式な返答は来年1月中旬まで待ってほしい」とお願いしてありました。そして約束のタイミングで、私はスペインのマドリッドに飛び、エスペレータ会長と会談。ここで撤退したいという意思を伝えました。
ただし、社内では第2期での終了を決定しましたが、それが可能かどうかはドルナ側が次のタイヤサプライヤーを見つけられるかどうかによっても変わる状況。たしかに契約は2014年までながら、次のサプライヤーが確保できていない状態で辞めるのは非常に無責任ですし、ブリヂストンというブランドにとっても大きなマイナスイメージとなることは間違いないからです。そして、ドルナはこの段階ではまだブリヂストンが本当に撤退すると予想して何らかのアクションを起こしていたわけではないので、準備を含めて考えると難しいという判断から、「1年だけ延長してほしい」と要請されました。ブリヂストンとしても、それは受けないわけにはいかないだろうということで、2015年までの活動ということになったのです。
ドルナとの協議に加えて、ほぼ同時期にホンダレーシング(HRC)とヤマハを訪問して、上層部に決定事項を報告。また、2月上旬にはマレーシアテストがあったので、ドゥカティと翌年からのレギュラー参戦が予定されていたスズキ、ホンダとヤマハにももう一度、この話をしました。その後、ドルナとはいつ発表をするか協議して、ヨーロッパラウンドの初戦となるヘレスサーキットでの第4戦スペインGPがいいだろう……と。そして、2014年5月1日の木曜日、現地時間の11時にプレスリリースを配信し、14時からブリヂストンのホスピタリティで会見を実施しました。
このときまで、社内でもまだ情報をオープンにしていない状態だったので、ブリヂストンのスタッフでも撤退すると決定されたことを知らない人もいましたし、我々としても淡々と実務をこなしながら、外部に情報が洩れないようケアするのが精一杯。ある意味、とても後ろ向きの仕事で、今思い返しても嫌な気持ちになる数ヵ月間でした。
―― 2月のセパンテストで、翌年からのMotoGP復帰に向けて直4エンジンのGSX-RRをテストするスズキ。4月にはオースティン、アルゼンチン、そしてシーズン末のバレンシアテストと精力的にこなしていた。
―― 2014年のチャンピオンはマルク・マルケス選手。写真は第15戦・日本GPで、優勝はホルヘ・ロレンソ選手、2位マルケス選手、3位にバレンティーノ・ロッシ選手が入った。年間ランキングでもこの3名がトップ3に。
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ミシュランのスペシャルが回っていなかったレイニーやマッケンジーは、悔しかったろうな、、、