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父から息子へ受け継がれた「ポルシェ 911 S クーペ」は家族を象徴する宝物になった

Porsche 911 S Coupe

ポルシェ 911 S クーペ

父から息子へ受け継がれた「ポルシェ 911 S クーペ」は家族を象徴する宝物になった

南アフリカでファッション・ビジネスを手がけるアリーの物語

アリー・ファビアンは、南アフリカを拠点とするファッションアイコンである。彼はこれまで独自の道を歩み続けてきた人物だ。それは、まるでポルシェのようだと例えられている。

「あのポルシェ911を初めて見た時、『このイエローのポルシェを所有することは決してないだろうな』と、アバに言ったことを覚えています。まぁ、数kmドライブしてみたら、私はすぐに気が変わったんですけどね」と、アリーは彼のアバ(「父」を意味するヘブライ語)の傍らで笑った。

アリーの父であるジェフは優しく微笑んで、「このクルマは真の芸術作品です。ある意味、モータースポーツ界のパブロ・ピカソと言えるでしょう」と、付け加えた。

父親から9年前に贈られたイエローの911 S クーペ

今回取り上げたイエローの1974年式「911 S クーペ」は、アリーが9年間所有している。この911は1946年生まれの父ジェフが購入し、1974年生まれの息子アリーへと贈られた。彼はこのクルマの象徴性だけでなく、意味を重視している。それは、父から受け継がれた“価値感”だ。

「もはや“伝統”と言えるかもしれません。父は私の価値感を体現するロールモデルでもあるのです」と、アリーは語る。父親のジェフは「私は人と同じことはしたくなかった。もしみんなが右を向けば、私は左を向くような人間でしたね」と、ウィンクした。

ファビアン一家は独自の歴史を持つ。3世代にわたるファッション王国の一員として育ったことが、現在のアリーを作り上げたと言えるだろう。彼のユダヤ人の祖母は、第二次世界大戦が勃発する直前、東プロイセンから最後の船で南アフリカへと移住した。彼女は当時、多民族が集うケープタウンの第6区に小さな衣料品店を開く。

そして、彼女の息子として生まれたジェフは9歳で父親を亡くし、16歳で母親の意向に反して、ケープタウンの高級エリアに彼自身のファッションブランドを立ち上げた。それは、アパルトヘイト(人種隔離政策)を掲げる南アフリカへ世界的な経済制裁の嵐が吹き荒れる中での大胆な挑戦だった。

1978年、ジェフは様々な高級ファッションブランドの買い付けのためにイタリアを訪れた。その際イタリア人コーディネーターは彼の名前「ファビアン(Fabian)」を、毎回「ファビアーニ(Fabiani)」と間違えたという。これが「ファビアーニ」ブランド誕生の瞬間だった。当時彼のショップは、ジョルジオ・アルマーニ、エルメネジルド・ゼニア、ヒューゴ・ボスなどのブランドを提供する南アフリカの数少ないリテーラーのひとつだった。

南アフリカでファッション一家の三代目として育った男

息子アリーは、1974年にこのファッション王国に生まれた。20歳のとき、父は彼にファッションを学ばせるべくドイツへと送る。「アバは当時ヒューゴ・ボスのクリエイティブディレクター兼CEOだった、ヴェルナー・バルデサリーニをよく知っていたのです。それで僕はドイツへと修行の旅に送られました」と、アリー。

この留学により、アリーもまた類まれな才覚を持っていることが明らかになった。ヒューゴ・ボスのミュンヘン・ショップに配属されたアリーは、25名の販売員中トップのセールスを記録したのだ。「私はひどいドイツ語を話すだけで、他の人よりもセールストークが上手だったわけではありません。でも、私は誰に対しても心を開いてオープンに接したのです」と、アリーは肩をすくめる。

当時、このショップを訪れたトミー・ヒルフィガーにアリーが付き添い、すべてのフロアを案内した。彼はトミー・ヒルフィガーという人物をよく知らなかったにも関わらず、実に4000マルクもの買い物をさせたという。「今ではこの時のことが『最も成功したお客様との旅』と言われていますよ(笑)」とアリーは懐かしそうに振り返った。

アリーはミュンヘンに続き、メッツィンゲン、ロサンゼルス、ニューヨークで経験を積んだ。「ヒューゴ・ボスは自由にセールスの才能を発揮させてくれましたし、ファッションショーやキャンペーン、VIPのフォトセッションにも参加することができました」。 さらに彼はブランドのマネージメントサイドに関する深い洞察力も得た。この留学期間が現在の彼を形作ったという。

「当時のヒューゴ・ボスは、すべてのブランディングが正しく行われていました。非常にエモーショナルでしたね」

父の後を継ぎ「ファビアーニ」のマネージングディレクターに

その後、アリーはケープタウンへと戻り、父が立ち上げた「ファビアーニ」のマネージングディレクターの職に就く。そして、10年でファビアーニを南アフリカのトップラグジュアリーメンズブランドへと成長させた。

「他のブランドも販売していますが、デザインや品質をコントロールすることはできません。我々が決定できるのはファビアーニ・ブランドのみとなります。私たちはプラダ、アルマーニ、そしてヒューゴ・ボスを、ファビアーニと同じようにショップ内で扱いました」

ブランドを成長させる過程で、アリーはそれぞれのショップに裁量を与えたうえで、セールスチーム全体を個人的にトレーニングした。ここで需要だったのは、彼自身が権力を振るわないことだったという。

ファミリービジネスにおいて、アリーは独自の方針を採ることになった。2011年、ファビアーニ・ブランドを、南アフリカの大手ファッション関連商社の「フォスキーニ・グループ(Foschini Group)」に売却。ブランドを立ち上げた父のジェフにとっては「心臓が張り裂ける思いだった」というが、彼は息子に自分の道を歩ませた。

「私の人生には常にふたつのモットーがあります。『我が道を行く』と『不可能はない』ということです」と、アリー。ファビアーニを手放したあと、彼は新たにブランドコンサルティング会社を立ち上げた。

「現在、私の顧客のほとんどがファビアーニでお世話になったお客様たちです」

父と息子が共有する「歴史と絆」を象徴するポルシェ

父と息子は、経営会議の場で会うことはなくなってしまったが、9年前の誕生日に父親から911をプレゼントされて以来、毎月のようにドライブを楽しんでいる。「私は日常生活でも運転が大好きです。でも、現在クリフトン海岸の近くに住んでいるため、海風は911にとって良くありません。そこで、911を父のガレージに預けているのです」と、アリー。

父のジェフはヒストリックカーのコレクターであり、自動車マニアを自認している。そして、専用ガレージに収められた911の様子を見るために毎月訪れる息子を心から歓迎しているようだ。

アリー自身は父から「自動車マニアの遺伝子」を継承していないという。彼は自身が生まれた年に製造された911を、父親ほど過剰にエモーショナルな目では見ていない。それでもポルシェへの強いシンパシーを明かしてくれた。

「父の血管にはガソリンが流れていますからね(笑)。もちろん私はポルシェのファンです。ポルシェをドライブしていると、とてもナチュラルなフィーリングに包まれます。いや、それ以上でしょう。ポルシェは刺激的でセクシーで、成功を表していますから」と、アリー。

「そして、ポルシェは道を外れた者の象徴と言えるかもしれません。6歳のときでさえ、私はそのフォルムが独特だと感じていました。そして、いつかポルシェを自分でドライブし、独立する夢を父に語ったことを覚えています」

「私が父に夢を語った30年後、911をプレゼントしてくれました。このポルシェは、父と私が共有する歴史とユニークな絆を象徴しています。そして、ステアリングを握りスロットルを踏み込むと、私がこれまでの人生で経験したすべてを感じることができるのです」

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