デイムラー ダブルシックスの思い出
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第153回
「30年前の未来のクルマ」展で改めて驚いたトヨタ4500GTの素晴らしさ
デイムラー ダブルシックスについては以前にも書いたが、思い出深いクルマなので、もう一度書かせていただく。
1980年代後半からのバブル期。文字通り「日本中が浮かれ踊っていた」ようだった。すべての人が、、、とは言わないが、僕の周りも、大方は「バブル症状」を発症していた。
当時の人気雑誌「NAVI」がジャガー特集を組んだことがある(90年代初め?)。NAVI関係者(執筆者と写真家)だけで5台のデイムラー ダブルシックス(当時の日本市場にはジャガー XJ 12のデイムラー版が輸入されていた)が集まった。5台で京都まで走り、写真を撮って帰ってきたが、、、バブリーな思い出のひとつである。
僕の周り、、、と書いたが、僕もその一人。当時は、ダブルシックとポルシェ 964をもっていた。基本的にコンパクト好きな僕の車歴の中で、デイムラー ダブルシックスは例外的なLサイズ。僕の車歴にLサイズは3台しかない。1台がアメリカ車(1957型デソート ファイアスポーツ)で、他の2台はダブルシックスだ。
「熟練工が手作りで造った」、、、そんな形容すらできるほどのエレガントで艶やかなボディ。そして、繊細で強力なV12のコンビネーションはただただ素晴らしかった。フットワークも文句なし。「ネコ足」がもたらす乗り心地は極上。同時に、筑波サーキットのようなコースでも好タイムを刻む、、、といった懐の深さをも併せもっていた。
僕もそんなダブルシックスの虜になったひとりだった。
ダブルシックスは2台続けて乗った。1台目は91年製、2台目は93年製。カタログ的にはとくに変化はなかったものの、僕は躊躇することなく93年製に買い換えた。中身も外観も基本同じなのに、なぜ91年製から93年製に乗り換えたのか、、不思議に思う人もいるだろう。
答えは簡単。デイムラー ダブルシックス(ジャガー XJ シリーズ3)の「生産終了が決まった」からだ。ちなみにXJ、、、1986年には次世代モデルがデビューしている。だが、「クラシック」の香りすら漂わせる「シリーズ3」の人気は高く、デイムラー版を含めて生産は続行された。7年もの長きに亘って、、、。
静的に、のみならず、動的にも、、、すべてに「美しい!」と形容できる名車、、、その最終生産モデルを、僕はなんとしても手に入れたかった。
ジャガーを一流のプレミアムブランドに育て上げた、サー ウィリアム ライオンズの美意識には、今なお惹かれ続けている。彼の代表作ともいえる、ジャガー マークII、ジャガー Eタイプは、永遠に僕の憧れだ。そして、XJ サルーン シリーズ3は、その延長上に位置する作品。彼が直接関わった最後の作品でもあるのだから、、、。
91年製を93年製に買い換えた理由はもうひとつある。91年製は、なにも考えず「ありもの」を買った。でも、心の中に、「自分好みに仕立てたダブルシックスに乗りたい」との思いはずっとつきまとっていた。生産終了の話を聞いたとき、その思いは我慢しきれないほどになり、実行に移した。
ボディカラーは濃紺、革シートはアイボリーホワイト、シートにはワイン系のパイピング、、、確か、そんなオーダーだったと思う。多くをオーダーできるわけではなかったが、それでも満足度は高かった。
当時、ジャガー・ジャパンの広報責任者であられたK氏にもあれこれサポートいただき、オーダーの作業も問題なく進んだ。このK氏、なにごとにも強い拘りを持つ好事家。そのガレージには今もダブルシックスがさりげなく置かれている。
新しいダブルシックスをわが家に迎えるまでは約6カ月。長い待ち時間だったが、楽しい待ち時間でもあった。
でも、、、その6カ月の間に、まったく予期していなかったことが起こった。引っ越しだ。
当時、わが家は賃貸のマンション住まいだった。富士山が正面に見える高台にあり、とても気に入っていたし、引っ越すなど考えたこともなかった。1階を駐車場にした4階建て。一戸が広く、モダンで建築のクォリティも高い、快適なマンションだった。マンションのオーナーは、素敵な版画をさりげなく駐車場に飾る、、、そんな方であり、会うといつも話が弾んだ。
駐車場は1戸に1台が決まり。貸し駐車場も遠かった。そんなことで、熱心に(強引に?)交渉した結果、オーナーが折れて「2台確保」に成功。してやったりだ。
とても快適なわが家に出会えた。僕はもともと、持ち家派ではなく賃貸派。そんなこともあって、当分はここで暮らす、、、いや「ここに住み続けてもいい」とさえ思っていた。ダブルシックスをオーダーしたときも、そのマンションに住むことが前提。僕はそんなことがけっこう気になる質で、マンションとダブルシックスの調和は気に入っていた。
ところが、、、ダブルシックスを待つ間にまったく予期しない事態が起こった。マンションを介在した不動産屋が、「岡崎さんにピッタリの物件が出ました」と言ってきたのだ。僕は常々、「クルマがたくさん置ける家がほしい」と言っていたが、「その希望にピッタリ合った物件」だということ。
聞くと「4台置けます」と、、、。とはいっても4台分の駐車場があるわけではない。真っ当な駐車場は2台分。1台分は増設可で、玄関先の小さな庭を潰せばもう1台の計4台。私道の奥だから、自分のクルマの前を塞ぐ形ならさらに1台駐められる。
家はというと「白くペイントされた板張り」で、アメリカの田舎でよく見かけるような佇まい。安普請だったが、雰囲気は悪くない。予算的にも手が届く物件だった。仕事柄、試乗車を長期に預かる事も少なくなかった。そのために離れた駐車場を借りていたが、それもなくなる。
とても気に入っていたマンションを離れるのは複雑な気持ちだったが、「とにもかくにも5台駐められる」ことが決定打になった。
家の改装とかいろいろあったので、引っ越しまでには少し時間がかかり、ダブルシックスの納車とほぼ同時期になった。ダブルシックスはイメージしていたマンションで出迎えたかったので、引っ越しもそれに合わせ、納車のほぼひと月後に決めた。
濃紺のダブルシックスとマンションの相性は予想通り。ピッタリ馴染んだ。素晴らしい気分だった。
、、、が、である。移り住む「アメリカの田舎風の家」との調和、、これは無残だった。ダブルシックスと新しい家との相性/調和についてはまるで考えていなかった。ボディカラーは違っても、すでにダブルシックスは持っていたし、新しい家に乗っていってもいたのに、、、。
改装工事中だったから、イメージをシンクロできなかった、、、そんな言い訳もあるかもしれないが、とにかく大ドジをやらかした。ダブルシックスをオーダーした後のことなので、途中で気づいても後の祭りではあるのだが、衝撃は大きかった。
結局、引っ越す前にダブルシックスは手放すことにした。ポルシェ964も同じ理由で手放した。ちなみに、手放したときのダブルシックスのオドメーターは「800km ! 」。
新しい家では、アウディ80 アバント、アルファ155、1963年型MGBの3台と暮らした。MGB以外はしっくり馴染むとはいかなかったが、まあ、それほど酷くもなかった。
ほろ苦い思い出だ。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。
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